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アルバ決まり!

 

バレンシアとついに合意。

春にはもうバルサ入団確実といわれ、シーズンが終わるや、「いつ発表があるのだろう」と言われ続けていたジョルディ・アルバのカンプノウ行きが、ついに決まりました。長かった交渉も無事終了し、バレンシアとFCバルセロナが選手の移籍条件で合意。この6月28日、クラブの公式発表へと相成ったのであります。あとはユーロ終了後にメディカルチェックをクリアし、契約書にサインを行えば、バルサのアルバが正式に誕生となります。

 

◇1400万ユーロ、5年契約

今回の交渉が長引いた理由は、移籍金だったといわれています。バレンシアは1500万ユーロを要求し、バルサは1200万ユーロ+出来高MAX300万でどうだと主張した。前日までの報道によれば、そういった出来高が付くという予想ばかりでしたが、最終的に両クラブが見出した着地点はポッキリの1400万ユーロ。バルサがどれだけタイトルを獲得しようと、アルバが60試合に出場しようと、一切のプラスのないポッキリ価格となりました。ユーロコパでの活躍を見れば、お得感もある価格です。

儀式的メディカルチェックは来週、バルセロナにて行われます。それが終われば契約書(5年契約)にサインをして、クラブオフィス玄関前の巨大エスクードで記念撮影をして、メディア用のプレゼンテーションをして、そしてバケーションへ。カンプノウでのファン向けのご挨拶があるのかどうかは、まだ発表はありません。

バルサ入団の公式発表があった後、ジョルディ・アルバは代表合宿中のキエフ(ウクライナ)にて、さっそく簡単な喜びコメントを出しています。「カサに戻れて幸せだよ。バルサとバレンシアの交渉がだいぶ進んでいたのは知っていたんだ。スペイン代表がユーロコパの決勝へ行けたし、僕のバルサ移籍は決まったし、ダブルで満足しているよ。でも今は、日曜日の試合に集中しなければならない」

おかえりというのか、ようこそというのかが微妙な感じのアルバですが、待ち侘びたニュースが届いたのはなにより。これから5年間、どうぞよろしくであります。

 

◇父アルバのコメント

ちなみにジョルディはこの日のオフ時間、キエフの別のホテルに宿泊中の家族のもとを訪れたその時、父から合意発表があったぞと電話で知らされたんだそうです。その父君であるミゲル・アルバさんはラジオ局RAC1の取材に対して、息子のバルセロナ移籍についてこうコメントしました。「カサに戻れるのはビッグチャンスです。ジョルディは胸を張ってバレンシアから移籍していきます」、「息子はバルサ選手たちといつも好い関係にありました。今も昔もね。彼とは少しだけ話をしました。バルサ入団にとても喜んでますよ」

 

◇「ジョルディは私たちのロマーリオだった」

ジョルディ・アルバのより公式なコメントなりはまた後日に出てくるとして、今日のところはメディアには彼を昔から知る人物たちの言葉が紹介されています。いつの世も面白いのは、幼なじみである友人による思い出話。SPORT紙にはバルサにジョルディが入団する以前、つまりは小学校低学年時代からの親友のコメントが紹介されているので、覗いてみましょう。

今回バルサの新ラテラルについて語っているのは、オスピタレンセという地元のクラブで、プレベンジャミン(5歳)から一緒だったというハビエル・デ・サン・ニコラス(通称ニコ)による言葉です。「成功を収めたにもかかわらず、ジョルディは今でも人生のともでいてくれてるんです。それが彼の人となりを表していると思います。エリートとなった選手が変わらず友人でいてくれるのは、とても嬉しいことです」

「小さな頃からジョルディは選手として目立っていた」というニコ。彼によればアルバはこの5-6歳当時、とてつもない点取り屋だったのだそうです。「小さい頃、彼はプンタをやってました。前線の中心選手だったんです。私たちはクレでしたし、当時はアタッカーといえばストイチコフ、ラウドルップ、ロマーリオでした。ジョルディは日焼けしてたしチーム得点王だったので、私たちは彼のことを俺たちのロマーリオだと言っていました」

ニコの思い出トークは続きます。「彼はピッチのリーダーでした。若い年代では、一般的にピッチで中心となる選手がカピタンになりました。ジョルディには芯がありましたし、なにより機敏で頭もよかったんです。彼がプレベンジャミンに入ったとき、他の選手はみんな2年目でした。彼はとても小さくて素早く、私たちを面白がらせました。そして彼はカピタンとなった。彼はみんなのお手本のような存在でした。選手として人として、今でもそれは変わりはありませんね」

そしてニコによれば、「オスピタレンセのプレベンジャミンで知り合った頃から、ジョルディのプレースタイルは変わらない。彼はいつも勝つのが好きで、100%で競っていた。常に全力を尽くしていた」そうです。

バルサでの挫折と成長

ジョルディ・アルバは1998年に9歳でバルサの下部カテゴリーに入団。7シーズンのカンテラ生活の後、カデッテBでのプレーを最後にバルサを去ります。とっても小柄だった彼に、テクニコたちは確信を抱けなかったのです。ニコは言います。「おそらく彼は、(カデッテ)Aでプレーする資質は持っていました。しかし彼には身体的な、身長というハンデがあった。それでクラブはカデッテAでプレーするには背が低いと考えたんです」

そして。「バルサ退団に彼は少しムッとしていましたが、その後も彼はコンペティティブで、どのクラブにおいても全力で努力していました。なによりもプレーを続けたいと願ったことが重要でしたし、コルネジャに入団したのも幸運でした」

UEコルネジャでの頑張りによってジョルディ・アルバは期待の少年として評判を高め、バレンシアが獲得に乗り出すことになりました。プリメーラの有名選手になるんだという希望が、再び花開いた瞬間です。そこから彼が才能を爆発させ、スペイン代表にまで上り詰めたのはご存知のとおり。かつて”ロマーリオ”と呼ばれた少年が、ユーロで最も輝いたラテラルとして憧れのカンプノウを主戦場とする。運命ってなんとも奇妙なものですなぁ。ジョルディ・アルバに大いなる幸運が味方しますよう。

 

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