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トゥレ・ヤヤ「最高だったバルサ時代」

 

今はマンチェスターでとっても幸せ。

過去数年にバルサが獲得した選手の中で、”これは大正解だった!”と言える1人がトゥレ・ヤヤです。しかしブスケツの台頭によって出番を求めた彼は、2010年夏にマンチェスター・シティへと移籍。富豪オーナーによって再生したチームを大黒柱として支え、今やプレミアリーグにおける中心選手となりました。でも今でもバルセロナには良い思い出を抱いていて、「バルサ時代が最高だった」と言い切ってくれる。そういうことなら是非、お安く戻ってきてほしいのであります^^

 

バルサ時代3年間の思い出

トゥレ・ヤヤのインタビューは、10日(月)付のSPORT紙に掲載されています。そこで語られているのは基本、バルサではすばらしい思い出をたくさんもらった、ということ。ペップチーム時代のキラキラと光るメモリーズたちです。

インタビュアーのトニ・フリエロス記者はまず、3年間過ごしたバルセロナでのことを覚えていますか?と訊ねています。「忘れられるわけないよ!あそこでの経験は、生きてるかぎり僕と共にある。告白すると、バルサでの3年間は僕のキャリアにおける最高の時間だったからね・・・ バルサに入団した初日から、ここは他のどことも違うクラブだぞって気付いたんだ。1年目はタイトルの面ではすごくポジティブとは言えなかったけれど、翌年はペップ・グアルディオラの手によって新しい哲学の新しいチームとなって、僕もすごく成長したんだ」

そしてトゥレは、ある日チキ・ベギリスタインに受けた助言のことをよく覚えているよ、と続けました。「彼はこう言ったよ。ヤヤ、キミの目の前には今、人生で最高の機会が訪れている。汗をかいてプロとなり、24時間フットボルのために生きるんだ。そうすればキミは成功する」

スポーツディレクターの言葉を、トゥレはとことん実行したそうです。「それによって、チームと同化するのも容易くなったよ。僕が参考にしたのはプジョルだった。ケアの仕方やトレーニングへの臨み方、試合をどう戦うのか、などね。それからチャビやイニエスタ、メッシも。彼らはクラックであると同時に、とても謙虚だったよ・・・ 僕は自分に言ったんだ。あんなに良い選手である彼らがあれだけ頑張ってるんだ、自分がやらないでいいわけないだろ?」

バルサの特徴は、自前の選手の多さだとヤヤは言います。「外国人、あるいはカンテラ出身じゃない選手がバルサに入ると、すぐにこのクラブのすごさに気付くんだ。選手やテクニコの大多数がカサ出身であることが、バルサを世界のどのクラブとも違う存在にしている。ロッカールームには一体感があったし、僕はバルサの価値とひとつになっていたんだ」

 

ペップとチャンピオンズ優勝

ペップ・グアルディオラが新監督に就任したチームは、2008/09シーズンにいきなりトリプレッテ(3冠)を達成します。トゥレ・ヤヤ曰く、「自分でもほとんど信じられないくらいに最高の時期」です。「グアルディオラの1年目はロナウジーニョやデコが去り、アルベスやケイタといった新しい選手たちがやって来た。リーガではスタートでつまづいて、、覚えてる?、でも最後は全てのタイトルを獲ったんだ。歴史的なトリプレッテさ。全タイトルが嬉しかったけど、僕としてはローマでマンチェスター・ユナイテッドに勝利したチャンピオンズが格別だったね」

あのシーズンもバルサは守備陣に欠場者が続出し、トゥレはペップによってセントラルへとコンバートされました。ローマでも彼はピケの相方として出場しています。「そのポジションはあれが初めてではなかった。グアルディオラにはセントラルでプレーする準備はOKか、と訊ねられたから、僕は信頼してもらって大丈夫、好きな場所で起用してくれと言ったよ。あのタイトルは最高の思い出さ」

偉大なる指揮官グアルディオラについては、まず感銘を受けたのはプロフェッショナル精神だそうです。「あれほどにチームへと時間を捧げる監督を、僕は一度も見たことがなかった。こんな日のことを覚えてるよ。その日は休日で、僕はちょっとランニングをするためにシウター・エスポルティーバへと行ったんだ。それでグラウンドを走りながらふと頭を上げたら、ペップがオフィスから僕を見ていた。彼は休日でも仕事を休まないんだよ」。全てをコントロール下に置き、偶然の要素を排除していたこと、モチベーションUP力もまた、トゥレや指摘したペップのすごさです。

 

マドリーには行けない

しかしトゥレ・ヤヤのバルサ時代は、続く2009/10シーズンで終わりとなります。2010年夏に彼はマンチェスターへと移籍。そんなにステキだったバルサを去ったのは何故だったのでしょう。「3年間であらゆるタイトルを獲得した後、僕は希望するほどにはプレー時間を手にできなくなっていた。そこでマンチェスター・シティからのオファーが届いて、移籍がみんなにとってベストだと考えたんだ。バルサで僕はそれ以上成長できなかった。これはいい意味で言ってるんだよ。そしてシティは僕に、とても野心的な新しいプロジェクトを申し出てくれた」

イングランドでヤヤはとっても幸せに暮らしている、と言います。「じゃなければ、契約を延長したりはしなかったよ」、と。ところでシティへと移籍する前、彼には様々なウワサが飛び交っていました。レアル・マドリーもそのうちの1つです。しかしトゥレは、白く身を染める考えは全くなかった、と断言しています。

バルサの一員となって、彼らの文化や歴史に浸った人間なら、レアル・マドリーのエンブレムを身につけながらカンプノウへと戻れないことを知っているさ。僕にはバルサのソシオやファンを裏切れなかったよ。おカネ?僕にとってそれは、人生での最優先事項じゃない。肝心なのは必要とするものを手にしていて、幸せであること。そして僕の家族はマンチェスターですごく幸せだからね。もう一度環境を変える必要はないし、穏やかに暮らしながら、シティが世界的なビッグクラブになる手助けをしたいんだ」

 

心の友アビダル

インタビューではまた、バルサの同期入団組であり、心の友でもあるエリック・アビダルについても語られています。アビさんのことを話す上で避けて通れないのは、2年間で2度行われた肝臓の手術です。親友の肝臓に腫瘍が発見され、手術を行うとのニュースが届いた時は、「相当悲しかった」と語るトゥレ。彼は一度目の手術から約1ヵ月後の2012年4月にバルセロナの病院を訪問しています。「病院について、まず彼の妻ハイェットと抱擁したんだ。彼女は病室の外で僕を待っていた。僕は涙を堪えきれず、泣いてしまったよ。するとハイェットは僕を慰めてこう言った。ヤヤ、泣いているあなたを中には入れられない。彼が泣いているあなたを見ることは、彼がこの苦境を乗り切るための助けにはならない」

そしてトゥレは涙を拭い、アビダルに泣いていたことを感じられないように元気をだした後、面会を果たしたそうです。「今ならニッコリ笑いながらエリックに、ビックリしたんだぞって言えるよ。病気が再発した時は、手術が終わって数日後、彼は何もなかったかのように笑いながら僕を抱擁してくれた。信じられないことさ。彼には大きなものを教えられたよ」

トゥレ・ヤヤによると、アビダルは入院中も脚の運動を欠かすことはありませんでした。「筋肉が退化しないようにしていたよ。彼の頭の中には、回復してピッチに復帰することしかなかったんだ。アビダルは勝者であり、戦士であり、成功者であり、僕らみんなにとってのお手本だよ」

 

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