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アレイシ・ビダル

22番 アレイシ・ビダル
22. Aleix Vidal
フルネーム

Aleix Vidal Parreu
(アレイシ・ビダル・パレウ)

ポジション デフェンサ(ラテラル)、インテリオール、エストレーモ プレーゾーン
国籍 スペイン
生年月日 1989年8月21日
出生地 プッチペラート(タラゴナ)
身長 178m
体重 69kg
バルサ入団 2015年6月
デビュー戦 2016年1月06日、バルサ対エスパニョール (コパ1/8イダ、4-1)
前所属クラブ

RCDエスパニョールB 2008-09
Panthrakikos(ギリシャ) 2009(レンタル)
ジムナスティック・タラゴナ 2009-10
ポブラ・デ・マフメト  2009-10
RCDマジョルカB 2010-11
UDアルメリア 2011-14
セビージャ 2014-15

契約終了年 2020年
移籍金 1,800万ユーロ+出来高400万
年俸 推定300万ユーロ
違約金

1億ユーロ

流転の末にバルセロナへと戻ってきた奇跡的キャリアの右サイド選手。

アレイシ少年は2000年、出生地プッチペラートの隣町バルス(Valls)のUEバルスで本格的にフットボルを始める。FCバルセロナのラ・マシアの門をくぐったのはその翌年のことで、チャビ・リョレンス率いるインファンティルBではジョルディ・アルバルベン・ミーニョらのチームメイトだった。しかし彼は監督の目には留まらず、わずか1年でバルサを退団。地元へと戻ると、Veterans de Cambrilsの選手となった。そこでなかなかの活躍をしたことで、今度はレアル・マドリーが彼をスカウト。ナスティックでの1年を経て、少年はラ・ファブリカ(白い養成所)へ入ることになった。

しかし当時のマドリーは負債返済のためにラ・カステジャナのトレーニング施設を市に売り払っており、寮がなかったのでアレイシ・ビダルはSEKインターナショナルスクールへと入寮。ここは宗教系の学校で規則に厳しく、マドリーとフベニール契約を結んだ直後、これ以上の居住は認められないと告げられてしまう。そんなこんなでアレイシの白組時代は終了となったらしい。

プロの夢を諦めかけ、電気工事士としての勉強を始めたアレイシを拾ったのがレウスだった。その後、ビダルは17歳でエスパニョール入団のチャンスを掴み、今度こそはと食らいつくも、フベニールはすでにいっぱいでDammへとレンタル移籍。翌年はペリコのBチームに所属したが、育成部の抗争に巻き込まれる形でギリシャのPanthrakikosへとまたも貸し出されることとなった。その後もナスティックのBチームであるポブラ・デ・マフメトへ移籍するも、1年で不要とされてマジョルカBへ。ここでも芽が出ず、アルメリア移籍へと最後の望みを賭けた。そしてこれが大正解となる。

アレイシはBチームでの練習を見ていたルカス・アルカラス監督の目に留まり、すぐさまトップチームへと昇格。アルカラス監督の指導を受けて彼は力を伸ばし、レギュラーとして起用されるようになっていった。2012/13シーズンには主力となってアルメリアのプリメーラ復帰に貢献。2013/14シーズンはついにプリメーラで初のシーズンを経験し、38試合出場6得点の彼をセビージャが引き抜くのだった。

さらにアレイシ・ビダルはセビージャでもレギュラーとしてプレーし、ウナイ・エメリは彼をエストレーモだけでなく右ラテラルでも起用。これが決定打となって、ダニ・アルベスの後任を探していたFCバルセロナが獲得を決断したのだった。多くのクラブを渡り歩いた末、奇跡的なバルサ復帰。これほどに漂流し、ビッグクラブに入った選手はかなり珍しい。アレイシは2014/15シーズンのヨーロッパリーグ・ベストチームのひとりに選出されている。

2015年5月にはスペイン代表へと初招集を受けた。

【プレーの特徴】

右エストレーモからラテラルへとコンバートされたということで、攻撃的なラテラルらしい。アルベスのバックアッパーとしての獲得だが、エストレーモとして起用されることもありそうだ。

【雑情報】

2015/16シーズンの一人目の補強選手。FIFA制裁のせいで、2016年1月まで背番号なし(22に決定)。

カタルーニャ人なので発音はアレイシ。アレイクスでは断じてない


【獲得タイトル】

  • バルサ
  • リーガ(2015/16)
  • 国王杯(2015/16)
  • セビージャ
  • ヨーロッパリーグ(2014/15)
  • スペイン代表
  • 個人賞
  • ヨーロッパリーグ・ベストチーム(2014/15)