ルイス・スアレス

9番 ルイス・スアレス  
9. Luis Suárez
フルネーム

Luis Alberto Suárez Diaz
(ルイス・アルベルト・スアレス・ディアス)

ポジション デランテロ プレーゾーン
国籍 ウルグアイ
生年月日 1987年1月24日
出生地 サルト(ウルグアイ)
身長 181cm
体重 81kg
バルサ入団 2014年
前所属クラブ

ナシオナル・モンテビデオ(ウルグアイ) 2005-06
FCフローニンゲン(オランダ) 2006-07
アヤックス(オランダ) 2007-11
リバポー(イングランド) 2011-14

デビュー戦 2014年10月25日、レアル・マドリー対バルサ(リーガ第9節、3-1)
契約終了年 2019年
移籍金 8,400万ユーロ
年俸 推定800万ユーロ
違約金

2億ユーロ?

やってきました、ウルグアイの問題児。

ルイス・スアレスは1987年1月24日、ウルグアイの北西にあるアルゼンチンとの国境近くの町サルトにて生まれた。用務員?である父ロドルフォさんと、家政婦であるサンドラさんの間に生まれた七人兄弟の四男坊。彼ら一家が父の仕事の関係で首都モンテビデオに引っ越したのは、ルイスが6歳の頃だった。これをきっかけに少年はフットボルを開始する。

すぐさま輝きを放っていたルイス少年の才能に、ウルグアイの名門クラブナシオナルのスカウト氏が気づいたのは、彼が11歳の時だった。しかしスアレス家はここから苦難の時期に入る。母と子供たちを残し、父が家を離れてしまったのだ。14歳でナシオナルの下部チームに入団したルイス少年は、家計の助けにするためにバスの清掃もしていた。このタフな子供時代が成功への飢えを生んだようだ。

しかしながらシューズも満足に買えなかった10代半ばのスアレスには、フットボルよりも遊びが重要だった。ガラの良くない友人たちと夜遊びに出歩くような生活が続き、もっと真面目にプレーをしないのであれば、二度と試合に出させないぞとコーチに脅されるような日々。そこに現れ、スアレスを全うな道へと立ち直らせたのが、現夫人であるソフィア・バルビさんとの出会いだ。当時彼女は13歳、ルイスは15歳。金髪の少女にたちまち心を奪われたスアレスは、バルビ家の温かい支えもあり、フットボル選手として成長を遂げていく。

しかしその1年数ヵ月後の2003年、バルビ家がカタルーニャへと移住を決めたことで、スアレスは失意の底へと落ちることとなる。フットボルも止めようかと考えた彼の成績はみるみる下がり、ナシオナルは放出も検討。それを救ったのは、夜毎行われていたスカイプでのソフィアさんによる励ましと、いつか結婚しましょうとの約束だった。希望を得たスアレスはこれで復活し、2005年5月3日にプロデビュー(コパ・リベルタドーレス)。ナシオナルで良いパフォーマンスを見せた彼には2006年夏、オランダのフローニンゲンからオファーが届き、100万ドルの移籍金とともにデランテロは欧州へと渡った。ソフィアと同じ、欧州での生活だ。

とはいえ、カタルーニャとフローニンゲンは遠い。ここでもしばらく、パソコン経由でのおしゃべりは続いた。全てが激変したのは、ソフィアさんの両親が彼女をオランダで暮らすことを認めてからだ。2006/07シーズンは最終的に37試合に出場し(リーグ29試合)、15ゴール。その夏の終わり、スアレスは750万ユーロで名門アヤックスへと移籍する。

2007年から始まったアヤックス時代で転機となったのは2009/10シーズン、マルコ・バンバステンの後を継いだマルティン・ヨル監督との出会いだ。この年、スアレスはカピタンに指名され、自信を得たゴレアドールはシーズン49ゴール(リーグでは35ゴール、15アシスト)と、オランダでの最高成績を残している。スアレスの勝利への渇望、闘争心はチームメイトたちにも影響を及ぼし、アヤックスはその翌シーズン(2010/11)、7年ぶりにエールディビジを制する。

ただし、その野性味が悪い方向へ行ってしまうこともあったスアレスは、2010年11月20日のPSV戦で事件を起こす。相手選手バッカルの首に噛み付き、7試合の出場停止を命じられたのだ。デランテロはその夏の南アフリカW杯でも、相手のPKをGKのごとく手でセーブする“プレー”で名を知られていた。そこでガーナ選手がPKを外し、大会から敗れたことも、物議を醸す一因となった。ヨル監督がすごいのは、この噛み付きの後でもスアレスをカピタンから外さなかったことだ。噛み付き事件はスアレスの退団を後押しし、彼は2011年1月、冬のマーケットでリバポーへと移籍する。移籍金は2,280万ポンド(2,650万ユーロ)だった。

リバポー移籍直後のストーク戦でいきなり初ゴールを決めるなど、強いインパクトを残したスアレスだったが、このシーズンの一番の出来事はユナイテッドのパトリス・エブラに対する人種差別発言だ。デランテロはこれによって8試合の出場停止を命じられた。

2012/13シーズンはブレンダン・ロジャース監督の下、リーグ戦33試合で23ゴールとゴレアドールとしての能力を示していたスアレス。しかし第34節のチェルシー戦でまたもや彼は事件を起こす。この試合でルイシートはブラニスラブ・イバノビッチの腕にがぶりと、キャリア二度目の噛み付き。これによりスアレスは10試合の出場停止を科せられた。度重なる問題行動に、放出のウワサが現れるのも無理はなかった。しかしスアレスは残留し、翌2013/14シーズンはリバポー時代で最高の成績を残す。この年彼は最初の5試合を出場停止となったが、残る33試合に全て出場し、31ゴール12アシストの大活躍。リバポーは惜しくも優勝を逃したものの、快進撃の立役者となったスアレスは高い評価を受けた。

が、しかし、、その後の2014年ワールドカップでスアレスはまたもやネガティブな主役となる。怪我から復帰したイングランド戦でいきなり2ゴールを決め、ウルグアイを勝利に導いたまでは良かったのだが、続くイタリア戦でキエッリーニの方にがぶり!三度目となっては情状酌量の余地はなく、FIFAによって彼は代表戦の9試合の出場停止と、クラブでの4ヶ月間のフットボル活動停止処分を命じられた。そんななか、大きな議論のなかで決まったのが、FCバルセロナ移籍だった。8,400万ユーロを投じての“悪童”の獲得に、バルセロニスタの多くはかなり否定的だった。

ルイス・スアレスはそんな批判的なクレを、強烈なる得点力によって味方へと変えていく。バルサファンのハートをがっちりと掴み取ったのは2ゴールを決めたマンチェスター・シティ戦、ダビド・ルイスを股抜きダブルで葬ったPSG戦あたりか。機能し始めたメッシ、ネイマールとの南米トリデンテはもはや敵知らずとなり、このシーズンに3人で決めたゴールの数はなんと驚異の122ゴール。歴史的トリプレーテ達成の原動力となった。

2015/16シーズンもまたメッシ、ネイマールとゴールを量産し、3人で131ゴールを記録。スアレス自身は40ゴールでリーガ得点王とゴールデンシューに輝いた。

【プレーの特徴】

足技に優れているのは勿論のこと、チームのためには労を厭わないランニングが持ち味。相手チームの最終ラインの間を常に動き回り、裏へ飛び出すチャンスを窺うとともに、味方へのスペースを作り出している。得点力はメッシに次ぐレベルの変態さで、これはナイだろうという局面から理不尽なゴールをネットへと叩き込む。近距離、長距離、空中戦、DFとの1対1とあらゆる状況に対応し、ゴールもしくはアシストを生み出す。バルサがついに見つけた、長年探し求めていた9番。

【雑情報】

ソフィア・バルビ夫人との出会いから遠距離恋愛、結婚へと至るラブストーリーは有名。映画に出来るほどに波乱に満ちている。

 


【獲得タイトル】

    バルサ
  • リーガ(2014/15、2015/16)
  • チャンピオンズ(2014/15)
  • 国王杯(2014/15、2015/16)
  • ヨーロッパ・スーパーカップ(2015/16)
  • クラブワールドカップ(2015/16)
    リバポー
  • リーグカップ(2011/12)
    アヤックス
  • エールディビジ(2010/11)
  • KNVBカップ(2009/10)
  • ヨハン・クライフ・シールド(2007)
    ナシオナル・モンテビデオ
  • リーガ(2005/06)
  • ウルグアイ代表
  • コパ・アメリカ(2011)
  • 個人賞
  • エールディビジ得点王(2009/10)
  • プレミアリーグ得点王(2013/14)
  • ヨーロッパゴールデンシュー(2013/14、2015/16)
  • プレミアリーグ年間最優秀選手賞(2013/14)
  • コパアメリカ最優秀選手賞(2011)
  • 英プロフットボール選手協会ベストイレブン(2012/13、2013/14)
  • 英プロフットボール選手協会年間最優秀選手賞(2013/14)
  • 英フットボールライター協会年間最優秀選手賞(2013/14)
  • オランダ年間最優秀選手賞(2009/10)
  • 2014FIFAワールドカップ予選・中南米得点王(11得点)
  • EFE賞(2014/15)
  • チャンピオンズベストチーム(2014/15)
  • リーガ・エスパニョーラ得点王(2015/16)
  • FIFA/FIFProワールドイレブン(2016)