ハビエル・マスチェラーノ
14. Javier Mascherano |
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フルネーム | Javier Alejandro Mascherano (ハビエル・アレハンドロ・マスチェラーノ) |
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ポジション | セントロカンピスタ、セントラル | |
国籍 | アルゼンチン | |
生年月日 | 1984年6月08日 | |
出生地 | サン・ロレンソ(アルゼンチン) | |
身長 | 174m | |
体重 | 74kg | |
バルサ入団 | 2010年8月 | |
デビュー戦 | 2010年9月11日 バルサ対エルクレス(リーガ、0-2) | |
前所属クラブ | リーベル・プレート(アルゼンチン) 2003-05 コリンチャンス(ブラジル) 2005-06 ウェストハム(イングランド) 2006-07 リバポー(イングランド) 2007-10 |
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契約終了年 | 2019年 | |
移籍金 | 2,200万ユーロ | |
年俸 | 推定550万ユーロ | |
契約解除金 | 1億ユーロ | |
相手チームのボールを刈りまくる、ピッチの必殺掃除人にして陰のボス。 トゥレ・ヤヤが出場機会を求めてマンチェスター・シティへと去ったことを受け、手薄となったピボーテのポジションを埋めるべく、リバポーよりやってきたメディオセントロ。 マスチェがプロデビューを飾ったのは、マヌエル・ペジェグリーニ率いるリーベルだった(2003年)。 リーベルで活躍した後は、ブラジルのコリンチャンスでプレーし(2005/06シーズン。リーグ優勝)、翌年にチームメイトだったテベスと共にウエストハムへと移籍。この年はプレミアの速いフットボルに適応できず、出場はわずか5試合に止まっている。 転機となったのは2007年1月のリバポー移籍だ。 入団当初こそリーガのプレー、審判基準に戸惑っていたが、予想以上に素早く適応。期待できないと思われていたボール捌きにも、いいモノを見せた。 2010年の夏にバルサに入団して以降、ほとんど怪我もなければ風邪を引くことすらなく、出場停止、あるいは監督が休ませようと招集しなかった場合を除いてフル稼働のすばらしさだ。 ルイス・エンリケが監督となった2014/15シーズンは、本来のピボーテとしての起用回数も増えた。 サムエル・ウンティティの加入した2016/17シーズン以降はベンチに回ることも多くなったものの、一切の不満を漏らさず、準備を整え出番では全力で最終ラインを守るプロフェッショナル。 2018年1月、夏のワールドカップに向けてより良い準備をするため、中国の河北華夏幸福へと移籍。 【プレーの特徴】マスチェラーノの武器はなんといっても、抜群の危機回避能力だ。 2014年のブラジルW杯では鬼神のごとき守備でアルゼンチンを幾度も危機から救い、一躍母国のスーパーヒーローとなった。 残念ながら、入団4年目の今もネットを揺らしていないが、時折見せる強烈なミドルシュートがチームのプレーにアクセントをつける。このミドルがネットに刺さる様を目撃してみたかった。 【雑情報】・リーベル時代には若くして"ヘフェシート"(小さなボス)と呼ばれ、アルゼンチン代表のカピタンを務めるほど、キャプテンシーは抜群。所属したあらゆるチームで尊敬を集める人格者で、苦しい試合では、彼の存在によってチームは勇気を持つ。2015/16シーズンからはついにバルサのカピタンの一人に選ばれた。 ・性格はいたって謙虚で、入団当初は「チャビ、イニエスタ、ブスケツ相手にレギュラーを取れるとは思っていない」と繰り返し強調。しかし出番がくれば確実に仕事をこなし、その男前っぷりにてバルセロニスタのハートを鷲掴みにしている。男前っぷりは会見における発言にも現れており、さらりと繰り出されるコメントの数々は、ペップに並ぶほどのカッコよさだ。バルセロナに来てくれて、本当に良かったと思える選手。 ・2004年、2008年とオリンピックで2度優勝した唯一のアルゼンチン人選手。北京ではメッシのチームメイトだった。 ※2012年7月、バルサとの契約を2016年まで延長。
【獲得タイトル】
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