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アルダ・トゥラン

7番 アルダ 7 Arda
フルネーム Arda Turan
(アルダ・トゥラン)
ポジション セントロカンピスタ プレーゾーン
国籍 トルコ
生年月日 1987年1月30日
出生地 イスタンブール郊外(トルコ)
身長 178m
体重 76kg
バルサ入団 2015年7月
デビュー戦 2016年1月06日、バルサ対エスパニョール (コパ1/8イダ、4-1)
前所属クラブ ガラタサライ(トルコ) 2004-11
Vestel Manisaspor(トルコ) 2005-06(レンタル)
アトレティコ・マドリー 2011-15
契約終了年 2020年
移籍金 3,400万ユーロ+出来高700万
年俸 推定400万ユーロ
契約解除金 1億2,500万ユーロ

経歴

トルコの魔術師セントロカンピスタ。

アルダ・トゥランがプロデビューを果たしたのは2005年1月22日、ゲオルゲ・ハジ率いるガラタサライでのことだった。しかしこのシーズンの出場回数はリーガとコパで各1試合に止まり、翌年は同じくトルコのVestel Manisaspor へとレンタル移籍。

ガラタサライに戻った2006/07にはリーグ戦26試合(公式戦36試合)8得点の成績を残し、レギュラー選手となっていった。2007/08シーズンにはリーグ優勝を達成。2009/10シーズンにはカピタンに選ばれた。

アトレティコ・マドリーに入団したのは2011/12シーズン、移籍金は1,200万ユーロ+出来高100万ユーロだった。
アルダは赤白マドリーでもすぐに主力となり、在籍した4シーズンは全てリーガ30試合以上に出場。
シメオネ軍団の切り込み隊長として攻撃を牽引した(公式戦合計178試合出場、22得点)。

タイトルにも恵まれ、初年度にはアスレティック・クラブを破ってヨーロッパリーグ優勝、翌年はチェルシーを破ってヨーロッパ・スーパーカップを獲得。さらに2012/13シーズンにはサンチャゴ・ベルナベウでレアル・マドリーを撃破して国王杯を獲り、2013/14シーズンにはバルサとの最終節決戦に分けて(1-1)リーガ王者となった。アルダはしかし、このバルサ戦で負傷し、22分でベンチに退いている。

バルサ入団は2015年夏、バルサがFIFA制裁を受けていたことで1月まで試合に出ることができないことを承知での移籍だったが、やはり適応に苦労した。 特にインテリオールとしてプレーする際に輝きを放てず、期待値が大きかっただけに落胆も大きかった。

ネイマールが五輪へ行っていた2016年夏は偽エストレーモとして起用され、上々のパフォーマンスで復活をアピール。その勢いでチームの重要なピースとなることを期待されたが、次第に失速し出番を失った。

出番がないために“ツーリスト(旅行者)”と揶揄される日々。
2018年冬に母国トルコのイスタンブール・バシャクシェヒルFKへと期限付き移籍(2年半)。

トルコ代表では2006年にフル代表デビュー。2008年のユーロでは3試合に出場し、2得点をあげた。

プレーの特徴

リーガではアンドレス・イニエスタくらいしかアルダを上回る選手はいない、と称されるほどのテクニシャンで、敵陣に侵入してからの突破力に並外れたものがある。かつ強靭なフィジカルを備えるファイターでもあり、強いキャラクターも長所の一つ。創造性とタフさを兼ね備えたセントロカンピスタ。

雑情報

・2015/16シーズンの二人目の補強選手。移籍交渉時、バルサは会長選挙の真っ最中であり、正式な理事会ではない運営委員会が大きな金額の動くオペレーションを完了していいのか、と論争となった。結局は、アルダを逃すことがクラブの損失であり、ルイス・エンリケの強い要望があるとの理由で契約を完了。FIFA制裁のせいで、2016年1月まで背番号なし(7番に決定)。

・あのヒゲの濃さはとてもトルコっぽい。

・故郷イスタンブールに出資しているトルコ料理のレストラン ARSIVがあり、休日には時折里帰りして顔を出している。


【獲得タイトル】

  • バルサ
  • リーガ(2015/16)
  • 国王杯(2015/16、2016/17)
  • スーペルコパ・エスパーニャ(2016/17)
  • アトレティコ・マドリー
  • リーガ (2013/14、2015/16)
  • 国王杯 (2012/13、2015/16)
  • ヨーロッパリーグ(2011/12)
  • ヨーロッパ・スーパーカップ (2012)
  • スーペルコパ・エスパーニャ (2014)
  • ガラタサライ
  • トルコカップ (2004/05)
  • トルコスーパーリーグ (2007/08)
  • 個人賞
  • トルコ年間最優秀スポーツ選手賞 (2013)