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2016年9月20日

ウンティティ:スピード適応の秘密

資質の高さだけでなく、周到な準備が順応を早めたと。

シーズン開幕から1ヶ月が過ぎ、新戦力たちもそろそろチームに馴染み始めているであろう、この9月中-下旬。デニス・スアレスアンドレ・ゴメスといったリーガ経験者たちよりも早くバルサ流に適応し、クレに嬉しい驚きをもたらしているのがサムエル・ウンティティです。初夏にウワサが出た頃は無名に近かったフランス代表セントラルですが、今や序盤の最大のセンセーションとも評される彼。これほど早く先発で連続起用され、マスチェラーノを脅かす存在になるとはどれだけの人が予想したでしょうか。しかしウンティティは何故こうもあっという間にバルサ流に適応できたのか。そこには幾つもの理由があったようです。

バルサのプレーを研究していた

9月19日付のMUNDO DEPORTIVO紙が、サムエル・ウンティティのバルサへの早期適応の理由について分析をしています。同紙によりますと、基礎となっているのはウンティティが備えていた資質とパーソナリティです。フットボル選手としてバルセロナに適うことがなければ、まず成功はつかめない。しかしサムエルはただ選手としての資質に優れていただけでなく、入団前から適応への素地ができていたとMDは説明します。

■バルサのファン:MDがまず挙げている要素が、ウンティティがFCバルセロナの大ファンだったことです。フランス人ですがカメルーンの血を引くウンティティは、名前が同じくサムエルのエトーさんがアイドルで、ロナウジーニョデコとともに欧州を制したフランク・ライカー時代からバルサの試合を欠かさずチェックしていたのだとか。リヨンでの試合が重なりライブ観戦できない時は、録画して後でゆっくり観ていました。

1月から準備開始:MDによると、バルサからウンティティ側への最初の接触は年始め頃だったそうです。これは単なる問い合わせ程度の接触でしょうが、選手と彼の周囲は千載一遇のチャンスだと捉え、リヨンでのプレーに全力を出すだけでなくバルサのセントラルを研究していったらしく。ルイス・エンリケの鉄板コンビだったピケ&マスチェラーノの動きやポジショニングに特に注目し、“もしも”の時に備えました。事実だとすれば、成功者とはかくあるべきとの意志を感じます。

アビダル先輩サムエル・ウンティティにとって、オリンピック・リヨンからバルサに移籍し、クレの絶大なる信頼を勝ち取ったエリック・アビダルほど心強い先輩はいないでしょう。アビさんとサムエルは好い関係にあり、先輩は後輩からのバルサや街に関する質問に助言を送っている。ウンティティの移籍をめぐってアビダルが“暗躍”したウワサには、強い真実味があります。

スペイン語の勉強

■言葉の習得ウンティティの将来への備えはそれだけに止まりません。彼はまだバルセロナ行きが遠い可能性に過ぎない段階から、スペイン語の勉強を開始。学校、もしくは家庭教師にカステジャーノを学び、ロッカールームではセルジ・ダルデルとスペイン語で会話をしていきました。ロベルト・フェルナンデスSDはスカウトの際にはチーム関係者にも聞き取りを行うようですから、ウンティティについて訊ねられたダルデルや彼の代理人氏の返答が好ましいものだったことは容易に想像がつきましょう。

バルセロナに移ってからまだ数ヶ月ですが、ウンティティはカステジャーノをすっかり理解できるようになり、正確に表現したいメディア応対はフランス語を使うものの、チームメイトとの日常会話はもうスペイン語でいけているそうです。さらにカタルーニャ語の習得も目指し、SNSでそれを示している彼ですから、その向上心には地元ファンも喝采を送っています。

パス能力やポジショニング、空中戦の強さなどプレーで見る者を唸らせるだけでなく、そうして成功への野心を持ち、アビさんを手本にクラブや街に溶け込んでいけば、ウンティティがバルサの中心選手になる日はそう遠くないんじゃないかと思います(それは同時に、マスチェラーノの出場時間が減少することを意味する点が悩ましい...)

アンティッチ「アトレティコ戦ではウンティティが出るべき」

追記です。かつてFCバルセロナとアトレティコ・マドリーの両方で監督を務めたラドミール・アンティッチさんは水曜日の大一番バルサ対アトレティに関し、セントラルにはウンティティを先発起用すべきだとの見解を示しています。ラジオ局Esports Copeのインタビューでのコメントです。

マスチェラーノがFIFAウイルスで苦しんでいるのは明らかだ。彼からは疲れが感じられるし、元気がないよ。とはいえ、彼はリーダーシップでも貢献し、チームにとって非常に重要な選手であることは考慮しなければならない。水曜日の試合に関しては、ウンティティがプレーにバランスをもたらすと思う。アトレティコにはスピードがあり、トランジションの速いチームなので、ウンティティは彼らが生じさせる守備的問題を解決できることだろう」

 

イニエスタ、バルサ入団20年

世界王者となった6年前より今の方が好調だとドン・アンドレス。

チームトレーニングが休日となった19日(月)、バルサのカピタン アンドレス・イニエスタがラジオ局ONDA CEROの番組 El Transistor に出演。バルセロナ郊外 Esplugues de Llobregad の自宅に番組の司会者で友人でもあるホセ・ラモン・デラ・モレナ氏を招き、9月16日でちょうど20年となったバルサ入団時の思い出話やトップデビュー、スペイン代表でのムンディアル優勝、引退後の監督業についてなど様々なテーマについて語っています。ドンは言います。「僕は今32歳で、バルサとは34歳まで契約がある。僕は今、26歳の頃よりも状態が良いんだ。この今と同じフィーリングをこれからも持っていけると好いね」

ラ・マシアが今の自分を作った

■バルサ入団:「子供の頃は、父親を仕事から引退させたいと思っていたんだけど、それが上手くいくかどうかは分からなかったよ。バルサへ行く時は、そのことは誰にも言っていなかったね」「バルセロナへ行くかと訊かれて、最初の答えはNOだったよ。家族と離れて知らない場所へ行くことが僕にブレーキをかけていたんだ」「ラ・マシアでの最初の夜は泣いた。すごく泣いたよ

「あれは僕の人生で最悪の夜だった。人生で最悪の日がラ・マシアでの初日だと言うとキツイ響きがあるし、僕は感情面でのことを話しているんだけど、僕にとってラ・マシアは我が家であり今の自分を作ってくれた場所だよ。ラ・マシアは一つの家族なんだ。僕らは一つだし、両親が教えてくれたことの全てがラ・マシアでの生活でさらに鍛えられた。それが僕の抱いている感情。これからもそれは変わらないだろう」

■トップ昇格:「フベニールチームにいた時、(トップチーム世話役の)カルロス・ナバルから次の日はトップチームでトレーニングをするぞと言われたんだ。当時僕は16歳で、トップチームを率いていたセラ・フェレールから電話があった時、最初は冗談だと思ったよ。(翌日)僕は練習用のシューズを持って、どこへ行けばいいのか知らずにいた。そこへルイス・エンリケが通りかかって、彼と一緒のロッカールームへと行ったんだ」

「ずっと夢見ていたトップデビューはベルギーでの試合。監督はバンガールだったね。バンガールはいつもすごく正直だったし、僕にとっては特別な人だよ。カンテラーノをデビューさせるのは簡単なことじゃないんだ。デビューの際には自分に出来ることをしろ、楽しんでこいって言われた」

転換点となったムンディアル優勝弾

■親友ダニ・ハルケの死:「全てが揃っているという瞬間に、心地良くない物事、自分ではどうにもならない状況が入ってくるという事が時折あるよね。コントロールできない状況がどばっときて、周りの人々の助けが必要だと気付くんだ。困難な瞬間が訪れた時、前進を続けるために僕は偉大なプロフェッショナルや人々のサポートが必要だった。真っ黒な雲から抜け出すのは難しかったけれど、幸運なことに僕は少しずつ前へ進んでいくことができたよ。精神は複雑で気まぐれなものだからね。もし(2010年)ムンディアルがああいうことになっていなければ、自分がどうなっていたか分からない。ムンディアルが僕を推し進めてくれたんだ。選手としても人としても、あれ(決勝戦の優勝弾)が転換点となった」「ゴールの瞬間は1秒か2秒、僕は静寂を耳にしていた」

26歳だったその当時より、今の方が状態が良いと感じてるよ

■現役引退後:「自分にはこのクラブで成果をあげる力がないと思った時、去るべき時が来たと言うことになるだろう。それは一つの可能性さ。だけど、クラブもまた決断することはできるね。監督業?僕はあまり先のことは考えてないんだ。将来もフットボルとつながっているとは思うけど、今日のところはトップチームの監督となっている自分は思い描いてない。否定もしないけれどね」