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2016年12月27日

ウンティティ「バルサでのプレーを夢見ていた」

他のクラブへ行くことは考えてなかったとセントラル。

バルセロナが2016年夏に獲得した新加入選手6人の中で、ファンやメディアから断トツの高評価を受けているのがフランス代表セントラルのサムエル・ウンティティです。12月27日付のMDには同紙が300人のバルサソシオを対象に行ったアンケートの結果が掲載されているのですが、新人6人の獲得を10段階で評価する問いでは実に37.33%がウンティティを「8点」と評価。平均点も8.25に達しており、2番手のデニス・スアレスの6.52点を大きく引き離しています(30.66%が6点と評価)。ちなみにこの問いの結果は、アンドレ・ゴメスが平均6.4、ルカス・ディニェが平均6.06点、ジャスペル・シレセンが平均4.41点、パコ・アルカセルが平均4.2点。前期の“通知表”では、前の4人が合格というところです。

偉大なる母を見て育った

それだけずば抜けた評価を受けるだけのパフォーマンスを、サムエル・ウンティティは示しています。獲得前から言われていたようにボール技術が高く、戦術理解に優れ、ポジショニングが良く、空中戦にも強い。いち早くカタルーニャ語を習得しようとする点も、バルサというものを“よく分かっている”。敢えていまひとつの点を探すなら、トレーニング中に2度も怪我をしちゃったことくらいでしょうか。

そんなフランス代表セントラルのインタビュー記事が、25日のSPORT紙に載っています。ウンティティは母親がカメルーン人で、家族は彼が2歳まで首都ヤウンデに居住。フランスへ移住した理由は、リヨンで勉強していたサムエルの兄のところへ家族全員で行くことに決めたから、ということです。きょうだいは長兄、2人の姉、そして末っ子サムエルの4人。兄さんが彼の代理人を務めています。

そこまで聞くと、ウンティティのキャリアに最も影響を与えたのは代理人の兄さんではないかと想像しますが、「そうじゃないんだ」とサムエルは言います。「母親以上に僕に影響を与えた人はいないよ。母は闘争心が強い人で、何事にも正面から立ち向かうんだけど、誰かにダメージを与えることもない。彼女は僕のお手本なんだ」。その強き母さん、以前は病院で働いていらしたそうです。

では父親はどんな人かというと、「会ったことがない。カメルーン人だと思うんだけど、知らないんだ」とサムエルは答えています。「そういう生活環境も、僕にとっては難しいものじゃなかった。父親と母親の役割を、母親が同時にこなしていたからね」。カメルーンの経済事情は分かりませんが、子供をフランスに留学に出すとなると、やはり大変そう。しかしフランスに移住したのは経済的な理由からか、と訊ねられたウンティティは、「ノー」と答えています。

観客ではなく、選手としてカンプノウへ行くと決意

サムエル・ウンティティはストリートでフットボルを始め、5-6歳で地区のクラブに入団します。当時のポジションはデランテロ。8歳でリヨンのテストに合格した後もしばらくは前線でプレーをし、徐々にセントロカンピスタ、デフェンサとポジションを下げていったそうです。「(入団テストの後)リヨンから僕を受け入れるという手紙を貰ってね、あれは僕の人生最初の手紙だった。どれだけ嬉しかったか、想像してみてよ。自分で封を開けたのか、母親が開けたのかは覚えてない。すごく幸せだった」

オリンピック・リヨンで順調にフットボル選手として成長していったビッグサムは、ユース時代から全ての監督たちに“キミにはいつか大きなクラブでプレーする能力がある”と言われていたそうです。曰く、「20歳の時、バルセロナでもやれると言われた」「バルセロナは“僕のクラブ”だったんだ。僕はバルサが好きだったし、プレーすることを夢見ていた。他の場所は一切興味なかったね。だから監督たちは僕にバルセロナと言ったんだよ」。バルサ入団を夢見始めたのは、「15歳」だそうです。

ウンティティがバルサ好きになった理由は、そのスタイルにありました。「ボールを前に蹴り出すのではなく、最初から作っていくチームが好きで、その旗手がバルセロナだったからね。だから勉強のためと、楽しむためにバルサの試合をいつも観ていた。バルサは僕の夢のチームだったよ」

リヨンとバルセロナは、ちょっと頑張れば旅行に行ける距離にあります。なのでアムステルダムからカンプノウに観戦に来ていたルイス・スアレスのように、ウンティティも生観戦に来ていたのかというと、そうではなかったそうです。「観客としてではなく、選手としてここに来たかったんだ。バルセロナ(カンプノウ)に最初に行くのは、選手としてでありたかった」。兄に観戦を誘われたこともあったけれども断ったらしく、家族旅行でバルセロナに来た際も、「カンプノウは固辞。ミュージアムも行かなかった。そのエリアに近付きたくなかった」のだとか。頑固者^^

好きなバルサは「ロナウジーニョデコがいたライカーのチーム」というサムエル。そのチームにはフランスの先輩にルドビク・ジュリがいたわけですが、そのジュリやリヨンの先輩エリック・アビダルから「街やクラブのすばらしさを語ってもらい、成長するにはベストのクラブだと言われたよ」とセントラルは明かしています。

感銘を受けた、ロッカールームの落ち着き

サムエルのこの恐ろしく早いバルサ流への適応の陰には、徹底的なるプレースタイルの研究がありました。「バルサへと来る前、彼らの試合は全部観たし、メカニズムを知るためにバルサが送ってくれたビデオも観たよ。だってバルサのプレーはリヨンとも、他のどのチームとも違っているからね。特にデフェンサはそうさ。一番難しいのは集中力を常にMAXに保っていることと、背後に広いスペースがあることだね。絶えず先を予測することが求められるんだ」

バルセロナのロッカールームに入って驚いたのは、「試合やトレーニング前の落ち着き(静けさ)と、皆のプロフェッショナル精神」だとビッグサムは言います。それは決してお通夜のような感じではなく、無駄に気合を入れてない感じか。ウンティティはその様子を「シティ戦やマドリー戦の前でも落ち着いている。それはチームが自分たちの強さを知っているからだ」と説明しています。リヨンではロッカールームが静かな場合もあれば、そうでない時もあったようです。

新入団選手がレオ・メッシの異次元ぶりに驚愕するのは決まりごとです。「最初の瞬間から、彼が凄まじく滑らかにボールを使う様に驚いたよ。天賦の才能だね。彼はトレーニングで並外れたことをしているし、時々僕らがポールであるかのように抜いていくんだ。ここへ来たのはそのためでもあるから、楽しいよ」

フットボルの他にはNBAが大好きで、贔屓のチームはないけれどもマイケル・ジョーダンに憧れて背番号23を選んでいるというウンティティ。同じくNBAファンで「プレジデンテ(会長)」と評するジェラール・ピケをお手本としながら、自分を抜き去るメッシに呆気に取られたり止めたりしつつ、一歩ずつバルサの大セントラルへと成長していってほしいです。ラ・マシアは経ていなくても、なんとなくカンテラーノに近い愛着を感じるってのは言い過ぎですかね。彼はこんなふうにも語ってます。「バルセロナで愛されてると感じてるよ。通りを歩いているといつも呼び止められて、僕にすごく満足してるって言われるんだ。彼らは僕が喜ぶ言葉を持ってるよ」