Historia del Barça

 

スペイン市民戦争(Guerra Civil de Espanyol)

 

フランコ将軍とセグーラ枢機卿1936年7月17日、スペイン領だったモロッコでフランコが軍事クーデターを起こしたことを発端に、同国民が殺しあう内戦、「スペイン市民戦争」に突入しました。

クーデターは全土に飛び火し、軍隊対市民という図式により進展していきます。

ドイツやイタリアといったファシスト政権の承認を得るため、フランコは一日も早いマドリ攻略を目指していました。しかしマドリ、ならびにバルセロナの街は武装市民の激しい抵抗にあい、内戦は長期化の様相を見せます。

この緊急事態に対し、バルサは出来る限り通常通りに活動を行うことを決定しました。スペイン全国規模のリーガやカップ戦は不可能となり、カタルーニャ選手権などを行うことでなんとか活動を続けるバルサ。

しかしソシオ数の激減、バルセロナへの空爆開始などにより運営は困難になり、クラブの経済状況は日に日に厳しさを増して行きました。それでもバルサは試合を何とかこなしていきます。

しかし1939年1月にカタルーニャ陥落、3月にマドリ陥落。2年半続いた内戦は終了し、カタルーニャにとっては戦時中よりも辛い時代が始まるのです。

 
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