カンテラ
FCバルセロナは、世界に誇る優秀な育成組織(フットボル・バセ Fútbol Base)を擁するクラブです。
一般的にカンテラ(=石切り場、養成所)として知られる育成組織。
目的はもちろん、才能ある若手選手を発掘・育成することにあります。
一人でも多くの少年の才能を磨き上げ、トップチームへと送り込むことがカンテラの目標。
それゆえに、育成カテゴリの各チームはトップチームと同じシステムでプレーするというのも特徴で、幼い頃から、バルサのプレー哲学(バルサのDNA)を身体に叩き込まれて育っていくのです。
ただし近年はトップチームが伝統の4-3-3ではなく4-4-2でプレーをしたり、バルサBが結果(残留・昇格)を重視することでバルサらしからぬフットボールをしたりと、原点を見直すべき事態も発生しています。
年代の分け方
下部組織は年代別に
プレベンハミン pre-benjamin |
7〜8歳 | アマチュア |
ベンハミンA、B、C、D benjamin |
9〜10歳 | |
アレビンA、B、C、D alevin |
11〜12歳 | |
インファンティルA、B infantil |
13〜14歳 | |
カデテA、B cadete |
15〜16歳 | |
フベニールB juvenil |
17〜19歳 | |
フベニールA juvenil |
プロ | |
バルサB |
に分類されています。
スペインでは他クラブも同様です。
そしてフベニールからインファンティルまではAとBに、アレビンとベンハミンはそれぞれがA、B、C、Dに分けられています。
(バルサCは2006/07シーズンで廃止。バルサBは2008/09にバルサ・アトレティクと名称変更、2010/11より再びバルサB)
フベニールAからはプロセクションに入り、アマチュア部門となるのはフベニールBまでです。
この年齢別けは絶対的なものではなく、各カテゴリで飛び抜けた能力を持つ少年は、“飛び級”によって一気に上位カテゴリへとステップアップ。イニエスタやメッシといったクラックたちは、17歳頃にトップチームに参加するようになっています。多いのは20歳前後のトップ昇格。
ラ・リーガでは、“24歳になった選手がトップデビューするとBチームに戻れない”という規則があるので、育成が目的であるバルサBはこの24歳が最高年です。
危険な世代:カデテからフベニール
バルサで将来を期待される宝石たちは、プレミアリーグを始めとした欧州のビッグクラブからも大きな注目を集めます。バルセロナにとって危険なのは、カンテラーノたちが16歳を迎える、カデテからフベニールへとステップアップする頃です。
その理由は、スペインではプロ契約を結ぶには18歳を待つ必要があるのに対し、イングランドやフランスでは16歳で可能だから。プレミアなどのクラブが好条件での契約を持ちかけるため、フベニール昇格前の有望株が引き抜かれるケースが目立っています。
土台を作ったヌニェス
クラブ創成期から、現在ほど組織化されたものではないにせよ、独自の若手育成哲学をもってカンテラを運営してきたFCバルセロナ。しかし細かく年代別に分類された下部カテゴリを持つようになったのは、近年になってからのことです。
その現在に至る組織の土台を築き上げ、発展のきっかけを作ったのは1979年に会長に就任したジュゼップ・ルイス・ヌニェスでした。
後の“大会長”となるヌニェスはまず、下部カテゴリをほぼ現在のものと同じ年代別に分け、BやCチームには昇格したものの、トップチームには上がれない選手の他クラブへのレンタルというシステムを考案しています。
これによってカンテラの血の巡りがよくなり、組織は徐々に活性化していきました。
カンプノウの隣りに立つカンテラ専用の寮、ラ・マシア(LA MASIA)を作り出したのもヌニェスの功績です。
ラ・マシア
地下鉄マリア・クリスティーナ駅方面からカンプノウを目指すと、巨大なスタジアムの隣りに、歴史ありそうな石造りの古民家のような建物があるのに気付きます。
Embed from Getty Imagesこれが18世紀に建てられ、ヌニェスが選手育成寮として使い始めたラ・マシア(バルセロナの重要建築物)。
それ以前はクラブの事務所として使用されていました。
現在では、選手たちの生活する寮としての機能はバルセロナ市の隣町サン・ジョアン・デスピにあるトレーニング施設シウター・エスポルティーバに移転しているため、ここに“キラキラ星”たちは暮らしていません。
かつては隣りにトップチーム用の練習グラウンドがあり(現在は駐車場)、ここを通称でラ・マシアと呼んでいました。
日本では、スポーツに秀でた少年はひたすらにその練習に打ち込み、ただエリートの道を目指していくというようなパターンが多いと思います。しかしバルサのカンテラ育成哲学で特筆すべきなのは、ラ・マシアが勉学も含めた人間形成の場であり、一流のスポーツ選手であると同時に、一人前の大人にならなければならない、というものです。
よってマシアに入寮した少年たちは、フットボルの練習だけではなく、勉強にも励みます。
学業が疎かになり、進級できなければ、退寮。無断外泊など、規則違反をしても退寮。
トップ選手として成功するのはほんの一握りであり、それ以外の子供たちが社会で立派に生活していける道を、ラ・マシアは開いているのです。
2011年、バルサのトップチームには多くのカンテラ出身選手が在籍していました。
バルデス、プジョル、ピケ、チャビ、イニエスタ、ブスケツ、セスク、ティアゴ、メッシ、ペドロ、テージョ、そしてクエンカ。
チャンピオンズ優勝候補の常連であるバルサのようなビッグクラブで、これほどまでに下部組織上がりの選手が多いのは、きわめて稀です。しかもそのほとんどがチームの中心ですから、バルサ・カンテラのすさまじさがよく分かります。全てのポジションにカンテラ出身者がいるのも、特筆すべきことです。
過去の輩出選手を見ても、ガブリ、セルジ、グアルディオラ、フェレール、アモールなど多士済々。
バルサだけではなく、ルイス・ガルシアにレイナ、デラ・ペーニャ、ルケ、ルフェテ、セラデス、F.ナバーロ、セルヒオ・ガルシア、ジェフレン、ボージャンなどがラ・マシアから巣立ち、各トップチームで活躍をしています。
育成か結果か
2006/07シーズン、バルサAチームへの人材供給源として重要な役割を担うバルサBが、事実上4部となるアマチュアリーグへ降格となってしまいました。
さすがに4部では人材育成の場としての役割をバルサBが果たすことは困難で、多くの選手が他のクラブへとレンタル、あるいは移籍によってバルサを離れることは必至の状況。バルサCも廃止の憂き目に遭いました。
しかし、ここで登場したのがペップ・グアルディオラ。
後に黄金時代を築く名指揮官に導かれ、バルサBは1シーズンでのセグンダB復帰を果たしています。
この時にセルヒオ・ブスケツやペドロ・ロドリゲスらを直接見ていたことも、彼らがトップチームの主力に抜擢されるうえで役立ちました。
続く2008/09シーズンからは、ルイス・エンリケが監督となり、セグンダA昇格。
2010/11シーズンは1年目でいきなり3位獲得という偉業を成し遂げました。
エウセビオ新体制となった2011/12は8位で終了。
2013/14シーズンは新世代のキラキラ星たち(バグナック、グリマルド、サンペル、デニス・スアレス、ムニル、アダマなど)らの活躍により、序盤の低迷を挽回して2度目の3位フィニッシュを達成しています。
一方、2013/14シーズンはフベニールAがリーガとUEFAユースリーグを制覇。
こちらも期待される逸材の宝庫だったのですが、バルサBが迷走したことでトップチームへの選手供給は叶っていません。育成よりもセグンダ残留を重視したことで、即戦力補強が目立つようになってしまったのが痛かった。
バルサというクラブのカンテラがどうあるべきか、見つめ直すべき時期が訪れています。