大学の卒業旅行として1997年の3月にスペインを二週間かけて周りました。
コースはマドリー〜アンダルシア〜バルセロナでした。海外での一人旅は初めてで、しかも当時はスペイン語がさっぱりでした。しかし、旅は順調に進み、同じような日本人の旅人達とも知り合いになれ(マドリーではスリ未遂にも遭いましたが)、とても楽しいものでした。
3月9日(日)に日本から手配していったチケット(現地渡し)でリーガの対コンポステーラ戦を観てる時に告知があり、3月12日(水)にカンプノウで国王杯準決勝バルサーアトレティコ・マドリーがあることを知って、急遽予定を変更して観ることにしました。
試合のチケットは、おそらく試合当日にカンプノウで直接購入しました。販売開始時間が新聞に載っていた為、その30分くらい前に行ったら余裕で取れた、と記憶してます。なにぶん昔のことなもので(^^;)。?
さて試合内容ですが、よく「2点取られたら3点取ればいい」と言いますが、この試合はポルテーロのバイーアがミスをしまくり、前半終了の時点でパンティッチにハットトリックを決められ、0-3になってしまいました。
当然のように観客は大ブーイング。白いハンカチが振られ、 カンプノウは真っ白になってました(^^;)。正直、僕は身の危険を感じてたし、当時そんなにバルサのことを応援していたわけではないので、「こりゃ負けたな。」と思い、前半終了時に帰ろうとしました。しかし、せっかく現地まで来たし、近くに家族連れもいたので、まあ安全だろうと思い、負け試合でもいいから最後まで残るかと思い直したわけです。これがまさに運命の分かれ道とも言える決断でした。
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そして、後半。 いきなりロナウドが2点ゲットー!で、いけるかもと思ったら、またもバイーアのミスからパンティッチに決められ、2-4。これで終わったと思いました。が、バルサは攻めまくります。グアルディオラとデ・ラ・ペーニャがロナウド、フィーゴ、エンリケ、ピッスィ、ストイチコフという5人のFWを操っての怒涛の攻め。フィーゴが決め、3-4。ロナウドがハットトリックとなる同点弾、そして試合終了まで10分を切ったところでピッスィが大逆転のゴーーーーールーーーーー!!僕は完全に壊れ、試合終了後には魂を抜かれたような状態でした。これこそがバルサの試合というものです(^^)
(管理人注:ミスをしまくったGKバイアが試合終了後にロナルドたち攻撃陣に向ってオイオイ泣くというシーンが印象的な試合です。バルサ史上に残る名試合。実際に観戦したタコラさんは幸せ者です)
試合終了後は11時を過ぎていたので、 地下鉄には乗らずに大通りでタクシーを拾いました。途中のランブラス通りではサポーターが大騒ぎしてました。それを見た時、「サッカーが根づいてるんだな、いいなー。またバルセロナに来たいなー。」と思いました。
その後、紆余曲折を経て、僕はバルセロナに留学することになります。それにはいろいろな理由があったのですが、その理由の一つがあの試合を見てしまったから、というのは間違いないです。
バルサ:
監督? ボビー・ロブソン
GK ビクトル・バイーア
DF アベラルド、フェルナンド・コート、ブラン、セルジ
MF デ・ラ・ペーニャ、グラルディオラ、ポペスク
FW ロナウド、フィーゴ、ルイス・エンリケ
アトレティコ:
監督? R.アンティッチ
GK モリーナ
DF ロペス、サンティ、プロダン、トニ
MF アギレラ、ベイブル、パウノビッチ
FW パンティッチ、カミネロ、キコ
ゴール:
0-1 8分? パンティッチ
0-2 27分 パンティッチ
0-3? 31分 パンティッチ
1-3? 47分 ロナウド
2-3 50分 ロナウド
2-4? 51分 パンティッチ
3-4 67分 フィーゴ
4-4 72分? ロナウド
5-4 82分 ピッスィ
選手交代:
40分? ブラン→ストイチコフ、ポペスク→ピッスィ?
55分 トニ→ソロサバル
71分 アギレラ→ビスカイーノ
76分 パウノビッチ→ ロベルト
87分 フィーゴ→ナダル
警告:
ポペスク、サンティ、プロダン
観衆:
85000人
データは試合翌日何も知らずに買ったマドリー系新聞「As」からのもの。 |