管理人の観戦記

怒涛のチキート編

西暦2001年4月11日、FCバルセロナのキャプテン、ペップ・グァルディオラが衝撃の退団発表を行った。17年プレーしたバルサを離れ、来季は別の国で新たな挑戦をしたいのだ、という。彼の発表は僕の心を動揺させたが、同時に彼のプレーをもう一度カンプノウで、直に心に刻んでおきたいという想いも生まれていた。そうとなれば話は早い。実際にカンプノウへ行き、ペップに最後の挨拶をするまでである。

1. リムジンバスでチキートへ。

西暦2001年6月15日、僕と友人Uはバルセロナ・プラッツ空港に降り立った。時間は午後6時40分過ぎ。ほぼ予定通りである。用事を済ませ7時過ぎ、日本では夕暮れの時間だがバルセロナの日は長く、外に出た僕らに太陽は強い陽射しを容赦なく投げかけていた。バス停近くにある気温は33度を指している。

暑い。

空港からバルセロナ市街地へはリムジンバスで向かうのが一番便利だと思う。バス停はターミナルビルから出たすぐ目の前にある。バスは市街と空港を巡回しており、料金は一律500ペセタ(約350円)。大体15分おきにやってくる・・・はずなのだがこの日はどういうわけか非常に遅れていてバスはなかなか来なかった。バス停に待つ様々な国の人たち。イタリア人ぽいのもいればドイツ系の人もいる。面白かったのはラテン系な人たちは来ないバスに平然とした様子だったのだが、ドイツ系の兄ちゃんは明らかにイライラした様子でウロウロとしていたことだ。こんなところにも国民性は出るものだなぁ、と思った。もちろん僕たちもイライラしていた。

7時50分頃になって、ようやくバスはやってきた。

バスは前から乗り、真ん中から降りる仕組み。乗り込む時に運チャンからチケットを買う。つまり、ひとりずつお金を払って乗り込んでいくわけで、日本人的発想からいけば恐ろしく時間のロスのように思える。バス停に自販機を置き、待ってる時間に買っておけばスムーズにバスに乗りこめるではないか、と。これを次の空港バス停でも繰り返し、挙句の果てにはバスは一杯になれば待ってる人をおいて去っていく。バルサのシステムを云々いう土地で、このバスのシステムはいかがなものだろう、と思うのはせっかちな日本人だけなのだろうか。

そしてチキートへのバスの道中で珍事件。

最初のバス停、スペイン広場(Placa de Espanya)で乗客を降ろしたまではなんの問題もなかった。そこまでの一般幹線道路をどう考えても時速100km程で走っていたがそれはたいした事ではない。問題は1度開いたドアが、そのままちゃんと閉まらずに走り出したことである。町のバス停で普通のバスを待つ兄ちゃんがいぶかしそうな目でその開いたままのドアを見ていたことから、これがスペイン的にも珍しいことであるのは理解できた。いちだんとスペインという国を好きになっていくような気がした。

チキートはリムジンバスの3つ目の停留所、バルセロナ大学前(Universitat)を降りて西へ1、2分行った所に悠然とそびえ立っていた。

2. チキート。

こまで普通にチキートと言ってきたが、御存知でない方のために念のために説明しておくと、正式名称は「ペンション・チキート」(恐らく)。1988年にバルセロナに生まれ、僕の「地球の歩き方」には唯一の日本人経営のペンションと載っている。

下にはバルとタバコ屋、向かいには市内に3軒しかないというコンビニまである最高の環境。カンプノウへのバス停、地下鉄、観光の中心であるランブラス通りにも程近くこれ以上なく立地条件はよい。

そんなチキートのカピタンTxikiさん、GranaさんにはこのHPをしていることで仲良くしてもらっており、おまけに夏休み中であるというのに泊めてもらえる事になったのである。HPをやっていて心からよかった、と思える数少ない瞬間だ。ちなみにチキートHPのウェブページへはこちらから。

カピタン、Granaさんとは初対面なのだが、そんな感覚はしなかった。HPのオフ会の時にも感じたことなのだが、掲示板というものを通じて知り合っているだけの関係でも、同じ志?を持つもの同士はなにか以前からの友人のような感覚で話せるような気がする。一応初対面の感想を言っておくと、カピタン、Granaさんともにイメージ通りの人でした(笑)。

僕らが着いたとき、カピタンはロマーリオ特集のビデオを観ていた。なんでもあちらではチームに新しい選手が入って来る時その選手の紹介の番組が放映されるらしく、そのロマーリオ版を観ていたのだ。オランダ時代のロマーリオを見るのはもちろんこれが初めて。いやぁ、すごい選手がいたもんだ。こんな選手はもう一度現れるのだろうか、と思わせる独特のテクニックと得点感覚。まさしくクラックだった。

そうこうしているうちに、Granaさんお手製の夕食が登場!メニューはなんとカレーライスでした。そしてチーズ(モッツァレラ?)の乗ったトマトサラダとナン(?)付き。異国の地で食べるカレーライス、お代わりするほど美味しかったです。

気がつくといつのまにやらビデオは1993年カンプノウでのチャンピオンズリーグ準決勝、対ディナモ・キエフになっていた。カピタン曰く「クライフ時代の最高の試合」。キエフでの第1戦を3-1と落したバルサがカンプノウで4-1の大逆転勝利を収める感動的な試合だ。

クライフ時代のバルサを見るのはこれが3つ目。日本に住んでいてはほとんど手に入らないビデオを、カピタンは100試合持っているという。なんと羨ましいことか。ダビングして欲しかったが、スペインの放送方式を見れるビデオデッキを持っていなかったので涙を飲んで諦めた。

明後日の試合もこうなればいいのに、と興奮冷め遣らぬ中、そのまま場所を下のバルに移しての2次会開始。バルセロナでの最初の夜は、こうして更けていった。

3. サインを奪え!

の旅の目的は2つあった。

ひとつはもちろん旅を決行するきっかけとなったペップのバルサでの最後のリーグ戦をこの目に焼き付けること。そしてもうひとつはあわよくば選手のサインなぞを手に入れることである。しかしGranaさんからサインが難しくなるであろう情報は聞かされていた。いつもなら練習が終わってから車で帰る選手を出口付近で捕まえ、サインをねだるということが可能なのだが、この日は非常事態が故に合宿を張るというのである。当然合宿場まではみんなで揃ってバスで行く。個別に車を止める作戦は不可能となる。狙うのならばバスに乗りこむまでの間である。接戦は必至だった。

カンプノウへは地下鉄で行くのが分かりやすい。チキートからは3番線Universitatから乗り、Espanyaで1番線に乗り換え。Maria Cristinaで降りる。地上に出たなら、La Caixaのでっかいビルのある方向へ歩いて行き、ガスパール会長の経営するホテルチェーンであるcontinental辺りで左折すればほどなくカンプノウが見えてくる。

カンプノウの手前にあるこじんまりとした歴史ある雰囲気の建物がLa Masia。FCバルセロナの若手専用の寮で、ペップやペーニャたちもここから巣立っていった。敷地の中までなら入っても怒られないだろうから、静かに入ってみるといいだろう。

そしてLa Masiaと隣接し、趣味の悪いビニールシートで覆いがされてしまっているものが、バルサの練習用グラウンドである。毒ファン・ハールによってこのシートが被される前は自由に練習を見学できていたのだ。今は隙間からなんとなく練習の様子を覗くしかない。

そのままスタジアムのフェンス沿いに50mほど歩いて行くと、ゲートが開いているはずだ。選手はその辺りから出てくるはず。練習終わりの時間帯ならきっと子供たちがいるだろうから、一緒に選手が出てくるのを待っていればいい。ただ、この日は上にも書いている通りみんなで合宿行き。停めてある「FC Barcelona」と看板のつけられたバスの近くで選手を待つ事になる。

ここからの経緯は話せば長くなるので一部省略。カンプノウの正面入り口に場所を移したバスに、選手たちが乗りこみ始めたのは午後0時半の事だった。警備員に隔離されたファンから選手たちまでの距離は30mはあろうか。突入したいが警備員に取り押さえられる可能性は98%(推定)。大人になり臆病になった心が僕をその場に押しとどめていた。

最初に姿を現したのはプジョルとレイナだった。そしてコクー、プティ、……と続いていく。普通に近くにいるメディアのカメラマンたちが恨めしい。と、主役のペップ登場!なにやらうつむいた様子でバスに乗りこんでいくペップ。憧れの生ペップ、ああ、子供にでもなって無邪気にペップの元へ駆け寄っていきたい…現実逃避しているうちにペップはバスの中に姿を消した。

ほぉっとしているとお次はもうひとりの主役リバウド登場!である。するとどうだろう、僕の前にいたセレソン・ブラジレーダのユニを着た子の肩をポン、とたたく父親。無邪気に走り出すちびっ子・リバウディスタ。ちびっ子はリバウドの元まで無事辿り着き、偉大なるブラジルの10番は快くその子の胸にサインを始めた…警備員は笑って見守っている。この時ほど強く思ったことはない。

「子供に戻りたい」。

その光景にいたく感動した我が友人は、そのちびっ子と一緒に写真を撮っていた(写真)。ちびっ子はその場の小さな英雄だった。この子の着ているシャツを剥ぎ取って逃げることなど、到底僕には考えつかなかった。

4. カンプノウ・ツアー。

だ日本では余り知られていない事実なのだが、今カンプノウでは新たな企画が静かな人気を博している。それがカンプノウ・ツアーである。

のちにカンプノウのバルサ・ミュージアム、そしてメガストアに行って思ったのだが、これらの場所には日本人はちらほら存在するのである。しかしツアーにはいない。知らないんですね。可愛そうに。ミュージアム内の日本人のお兄ちゃんに教えてあげようかと思ったが、すでにお金を払ってミュージアムに入っている彼には可愛そうで止めた。ちなみにツアー料金にはミュージアム代も含まれており、1,300ペセタ(約900円)。安い!ツアーについての詳細はこちら

ツアーは先ほど選手がバスに乗りこんでいったスタジアムの正面入り口からスタートする。ガイドしてくれるのは僕の時はとってもキュートでナイスバディーなおネエさん。笑顔と表情が印象的でした。

・・・だがツアーがもっと魅力的なのは言うまでもない。ツアーで見れる場所は、選手の控え室(アウェー側)、選手・監督のインタビュー会場、貴賓席、そしてベンチなど。これらをガイドさんの説明の元、1時間ほどで回るのである。

この間写真は撮り放題。インタビュー席でクライファートを気取るもよし、貴賓席のガスパールの席に画びょうをこっそり置いてくるもよし。ガスパール席のあまりのグラウンドの見易さには言葉を失うだろうし、なによりベンチに入ってわずかながらもカンプノウのピッチを踏めるのが良い。

ミュージアムからもカンプノウのスタンドには入れるのだが、その人たちの上からの羨ましい視線を存分に浴びながら選手気分で巨大スタジアムを見上げるというのが最高の気分である。

とにかくこのツアーは本当にお薦め。ガイドは英語とスペイン語でしてくれるのだがなんとなくしか分からなくても十分に楽しめる。ツアーチケットの売り場はメガストアの入り口から少し奥に行ったところ。午前中2回、午後4回ほどあるが、日曜・祝日は午前中しかやってないので要注意。

5. 訪れた歓喜の瞬間。

れまでのことはほとんど覚えていない。カピタンに連れられひまわりの種を食べながらスタンドに行ったこと、久々に見るカンプノウ3階席からのバルセロナの夕焼けが美しかったこと、バルセロナでは珍しく降る雨が冷たかったこと、そしてロスタイム、目の前でリバウドが考えられないバイシクルを決めてしまったこと。覚えているのはそれくらいか。

しかし、リバウドのオーバーヘッドの瞬間のカンプノウはすさまじかった。沸きあがる歓声、地響きのような10万人の絶叫。もちろんそのなかには僕の叫び声も含まれていた。自分でもなにやらわけが分からない。ただ、目の前で起こった奇跡のような出来事に、我を忘れてただただ絶叫するだけだった。

その歓喜の瞬間から、主審が試合終了の笛を吹くまでの間が異常に長く感じられたことは覚えている。10万人にとってリバウドのゴールの後の数分間はどうでもいいことだった。一刻も早くゲームが終わって欲しい。早くこの勝利が確定され、一切の不安のない状態でもう一度喜びを噛み締めたかった。

そして、笛は鳴った。

その瞬間、カンプノウではまたもありえないことが起こっていた。観客たちがピッチになだれ込んでいたのだ。イタリアなどではたまに目撃されるこのシーンだが、カンプノウでこういうことが起こるのはほとんど、いや全くと言ってもいいほどありえない。どんな勝利の瞬間であっても、バルセロニスタはただ静かにカンプノウを後にするのだ。

だが、この日は違っていた。優勝を決めたわけではない。ただ来季のチャンピオンズ出場権を手に入れただけ。しかしこれまでのシーズンがフラストレーションのたまる展開だったこと、そしてリバウドの神のようなハットトリックが僕たちの気持ちを異常なほど高めていたこと。これが冷静な観客たちをピッチへと突き動かした理由だと思う。後でテレビの映像を見て分かったことだが、乱入したファンたちはイタリア人のように選手のシャツを奪い取りたかったのではない。英雄リバウドの元へ駆け寄った男たちは、ただリバウドの肩を叩いて彼とその勝利を祝福していた。グラシアス、リーボー。その一言が言いたかっただけなのだ。

そしてクラブ側がとった行動も洒落ていた。ピッチになだれ込む観客たちを客席に押しとどめようとするのではなく、イムノを大音響で流してみせたのだ。力で制圧しようとしていれば大混乱がおきていたかもしれない。だがこのイムノによって、僕らは幸せな気分でピッチになだれこんだ。その中にはもちろん、僕もいた。

雨でしっとりと濡れた芝は、なんともやさしい香りを放っていた。カンプノウの芝は予想外に短く、そして僕の頬はひんやりとしてやわらかい感触を楽しんだ。

6. 番外編:魅惑の地中海。

ルセロナを訪れる日本人観光客のほとんどは、ツアーによるものだ。統計を見たわけではないが、バルセロナの街を歩いてみればそれは分かる。ツアーのバルセロナ観光は半日だけというものがほとんど。サグラダ・ファミリアやグエル公園を見て、そそくさとバレンシアやマドリーへと去っていく。街をゆっくりと歩いているのは欧米人がほとんどで、バルセロナの街で日本人の姿を目にすることは、イタリアでのそれと比べて圧倒的に少ない。最高に開放感に溢れ、美しいバルセロナの街なのに、日本人はそれを堪能することなく去っていってしまうのだ。

ということで地中海で日光浴を楽しむ日本人などまず存在しない。いるのかもしれないが、見たことないのでそう言い切ってしまおう。ツアーでなくバルセロナを訪れたとしても、数ある観光地に時間を割かれこの場所に足を踏み込むことはないのかもしれない。

なんてもったいない。

僕は海が大好きなので、バルセロナを訪れるたびにここへ足を伸ばす。ランブラス通りをずっと南下し、コロンブスのタワーを過ぎたあたりからが海岸線だ。とはいえ、そのあたりはまだショッピングセンターヨットハーバーが軒を連ねるエリアであり、ビーチに行くにはもうすこし歩かねばならない。

とはいえ美しいヨットを見ながら海に沿って歩いていけばほどなく念願のビーチに辿り着く。どんなに弾丸ツアーであっても、僕の心が求めてやまないバルセロナのビーチだ。このビーチは人工的に作られたらしいのだが、白い砂浜とヤシの木が続く遊歩道を歩くと気分は一気にリゾートだ。こんな感じの砂浜が何キロとなく続き、そこには平日でもなぜか人が溢れている。そのなかにはもちろんトップレスのおねえさま方も多数いる。

ビーチに着いたらどこでもいいので適当にごろりとしてしまえばいい。ということで僕はトップレス密集ゾーンを日光浴の場に決定。柔らかな砂の上に腰を下ろした。

と、ここで気になるものが目に入ってくる。なんといえばいいのだろうか、よくリゾートホテルなどのプールにおいてありそうな、寝っころがれるチェアだ。トップレスに視線を奪われそうになりつつも周りを見回してみると、そのチェアを使っている人、使っていない人と2種類に分かれているのが分かる。使えばいいのに使ってないということは、何らかの理由があるはず。砂浜に寝転ぶ感覚が好きなのか、お金がかかるか、のどちらかだ。しかし、料金を払うとなるとどうやって?気にしても仕方がないので遠慮なくチェア使用に決定する。違ったときは何とかなるものだ。

 

ところでバルセロナの海岸に打ち寄せる波は激しい。日本海のような荒波が、ドカンドカンと、次々に海岸を叩いている。泳いでいる人間の数が極端に少ないのもそのせいだろうか?無邪気にはしゃいでいた友人は見事ヒザやヒジをすりむいていた。みなさんもはしゃぎすぎにはご用心。

僕は実はこのとき、水着を用意していっていなかった。泳ぐようなことはないだろうと思っていたのだ。しかししっかりと水着を用意し、地中海と戯れている友人を見ていると血が騒いでくる。僕が着ているのは普通の短パン。ちなみに替えはない。この日は夕方からカンプノウでの試合が控えていたが、ひと泳ぎしてから日光浴がてら砂浜で乾かせば何とかなるのではないか。そう考え、僕は地中海の魚になることを決意した。ビバ・地中海。

ワカメもゴミも浮いていない海は最高!なにより港が近い街からすぐの海なのに、水が綺麗なことが驚きだ。南国でも同じだろうが、こういう海で泳いでしまうと、あの日本の汚い海では泳げない。いや、泳げはするが泳ぎたくない。つくづく日本は惨めな国だと思う。僕らの世代で変えていけるだろうか。変えていきたいなぁ。

ちなみに、この日は曇り空が多く、短パンは半分くらいしか乾かなかった。それもところどころで塩を吹きまくり。5月あたりからバルセロナに行かれる皆さん、水着は必須アイテムですぞ。

 

あ、そうそう。日本では海の家で金を払ってシャワーや着替えをすることが多いと思うのだが、バルセロナにはそういうものはない。あるのは無料のシャワーと、食べ物を売ってる売店のみ。着替える場所はないので、みんな家から水着を着ていく。海についたら、服を脱ぐ。それだけ。わかりやすく、そしてなんともセクシー。なかには水着を着てきてない女性もいて、そういう人はうまく着替えている。どうやって?そりゃ、スカートのしたから下着をとって、もぞもぞと水着を着ているのだ。そういうシーンに出会えたあなたは幸せ者!行きたくなってきた?

あ、最後に。書きかけて忘れていたことを1つ。上で紹介したチェアだが、これは有料。バイトかなんかの兄ちゃんが広いビーチを周回しており、勝手にチェアを使っている人たちからお金を徴収している。知らなかったから払わない、という姿勢をとれば無理やり徴収されることはなく、その場合はただチェアを没収されるのみ。しかし砂浜に素で寝転ぶのはなんとも心もとないので、やはりお金を払うか(料金は不明)バスタオルでも持っていくかしておこう。ビーチでは圧倒的にバスタオル派が多かったように思います。

地中海写真へ。