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セスク「ピッチ上での僕は戦士」

 

サバデイ銀行の新イメージキャラクターとなったセントロカンピスタ。

バルセロナの隣町サバデイ(サバデル)で生まれ、130年以上の歴史を持つサバデイ銀行。バルサ監督時代にペップ・グアルディオラがイメージキャラクターとなることを引き受けたことでも知られるこちらの銀行さんは今、「cambio(チェンジ)」をテーマに新キャンペーンを展開しています。Entrevistas sobre el cambioと名付けられた、ジャーナリストのジュリア・オテロさんが各界の著名人にインタビューするという企画なのですが、先日新たに対談を行ったのが我らのセスク・ファブレガス。2003年にアーセナルへと移籍し、2011年にはバルセロナでの新たな挑戦を始めるなど、たしかにチェンジを語るに打ってつけの人物であります。

 

より難しかったのは24歳での出戻り

セスク・ファブレガスは2003年、FCバルセロナのごたごたに紛れる形でアーセナルへと移籍。直前のU-17ムンディアルでMVPと得点王を受賞し、クレをときめかせた後の出来事だっただけに与えたショックは大きかったわけですが、その決断を下すにあたってはきっと悩みに悩んだことだろう・・・と、今となっては穏やかな精神状態で推察することは可能です。しかしながらセスクにとってもっと困難だったのは、ガナーズのスター選手となった8年後の出戻りでした。バルサの4番は言います。

「もしあの時に後ろを見ていたなら、たぶん僕はその決断を下せていなかっただろうね。でも人は時々、自分の欲することを考えたくなり、向上したいと思うものなんだ。それで16歳でここを去る決断をしたのと同じように僕は、24歳で自分のカサ(家)へと戻ることを決めた。これはより難しいチャレンジだよ。だって若造だった頃よりも、証明して見せなければならないことがずっとたくさんあったからね

16歳の時ベンゲルの誘いを受けてロンドン行きを決意したのは、自らの意思によるものだとセスクは振り返っています。「僕はいつも自分の直感に従うようにしているし、自分にとって良いと思うことをするようにしているからね。未来のことを考えて決めているんだ」。ちなみに英国での挑戦を決めた際、初歩単語すら知らないにもかかわらずファブレガス君は「英語を話せる」と思い込んでいたそうで。英会話の先生について初めて、英語力がゼロであることに気付いたのだと明かしています。

そしてロンドン時代、「毎晩、明日はもっと(フットボルを)上達するぞ」と思いながら眠りについていたというセスク。過去ではなくて未来を見るのが自分の生き方だとセントロカンピスタは強調します。「後ろを見ていたら感傷的になってしまう。だから僕はいつも前を見るようにしている

 

グラウンドに立つと別の人格が現れる

パスをつないでつないで相手の守備陣形を崩すバルサのプレースタイルは、時として批判の対象となります。それに関してセスクは、なにやら禅問答のような見解を示しています(こちらの読解力の問題か)。「僕らのプレーはパスが多くて先が読めるという意見をよく耳にするけれど、僕はその逆だと思う。予見できるものは時として、一番予測できないものなんだ」

フットボル選手としての今後については、「身体に気を配り、少しでも長くプレーを続けていきたい」というファブレガス。それゆえに彼が最も怖れるチェンジは、フットボルを離れることだそうです。「毎日競う必要もなく、負けた時に腹を立てることも、勝った時に喜ぶ必要もない日々。そういう瞬間が訪れた時、僕は大きな喪失感を抱くことになるだろうね

ピッチ上で感情溢れる人生を送っているセスク。なんでも彼はピッチの中と外では別の人間に変身するそうです。「ピッチの外に出れば僕はすごく内気な人間でね、いつも脇役でいようとしている。でも一度ピッチに入れば、僕のメンタリティは完全に別ものになるんだ。それは別の人間だと僕は思ってる。僕の中から戦士のメンタリティが湧いてきて、思考もずっと速くなるね。グラウンドの外での僕はかなり大人しいよ」。理想は両方がほどほどの正確だろうというセスクですが、ピッチ上での性格も気に入っているとのことであります。

 

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