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“最悪の会長”バルトメウの歴史をちょっと振り返ってみる

ジョアン・ラポルタ理事会のメンバーとしてバルサに入ったのが2003年
商業主義を進めて収入を飛躍的に増やした一方、スポーツ面では失策を連発しメッシに愛想を尽かされた

FCバルセロナの長きにわたる歴史の中で、最悪の会長として名を残しそうなのがジュゼップ・マリア・バルトメウです。バルサを年間予算10億ユーロという世界トップのスポーツクラブにしたものの、チーム強化は場当たり的で的を射ず。挙げ句の果てには世界最高選手でクラブの宝であるレオ・メッシが失望し退団を願う事態を巻き起こしました。しかし辞任はしない。

そんなバルトメウのこれまでを、ちょっと懐かしいところから振り返ってみました。

クラブを刷新したジョアン・ラポルタ

現在バルサ周辺では、反バルトメウ勢力が力を合わせ理事会への不信任投票実施に向けて動いています。不信任投票で名前を売ったといえば、思い浮かぶのはジョアン・ラポルタです。

彼は“エレファント・ブラウ(Elefant Blau。青い象)”という反ジュゼップ・リュイス・ヌニェス会長グループを結成し、1997年末、そのわずか半年前の会長選挙に勝利していたヌニェスに対して不信任投票を実施することで、バルサ社会に反ヌニェス派としての地位を確立したのです。
(翌年1月にソシオ署名集めをクリアし、3月に行われた投票でも惜しいところまでいった。ヌニェス続投40,327票、退陣24,863票)

そしてラポルタヌニェス理事会に対する消耗戦を継続します。2000年の選挙では副会長で人気者だったジョアン・ガスパーに敗れますが、そのガスパーの辞任に伴う2003年選挙では、大本命と見られていたリュイス・バサット(広告業界の大物)を破っての当選でした(27,138票 対 16,4121票)。

当時のバルサは長年にわたるヌニェス&ガスパー体制によって末期的状況を迎えていました。
そこに現れしリーダーシップとカリスマを備えた40歳の弁護士と、ビジネス界で頭角を現している同世代の才気ある者たち。彼らがチームを組んでプロジェクトを、バルサの未来を熱く語る。勝ちますよね。彼らなら変革を実現させ新しいバルサを作るとの期待を受けての勝利でした。

この時ジョアン・ラポルタの元に集まった、バルサの改革に燃える30-40代の若くて優秀な人材たち

有名どころでは、幼なじみでナイキの南米部門責任者だったサンドロ・ルセイ。コンピューター関連の会社を経営していたフェラン・ソリアーノ(現マンチェスター・シティCEO)やマルク・イングラ。そして少年時代からバルサバスケ部のソシオとなり、空港関連の各種サービスを行う国際企業ADELTEの重役だったジュゼップ・マリア・バルトメウ・・・。

ちなみにバルトメウはバルサバスケ部のユースチームに所属していたこともある、スポーツ少年でした。

バスケットボール部門の責任者として出発

2003年にラポルタ理事会が発足したとき、バルトメウはバスケットボール部ほかスポーツセクションの責任者を任されています。
当時のことを振り返ると、フットボール部復調の裏でひんぱんにバルトメウの名前が出ていたのは覚えているのですが、バスケ部門のことは気にしておらず内容を覚えていないのが悔やまれる。

wiki情報によると、ラポルタの強引なスポーツセクション改革に バルトメウサンドロ・ルセイ(スポーツ部門副会長)らが反対し、ラポルタによるバルトメウの罷免を経て、5人の理事会メンバーが一斉辞任したようなことです。相当ゴタゴタしている。そりゃあ連日メディアを賑わせます。2005年6月のことでした。

ロナウジーニョ太陽王に導かれてチーム再生に成功したラポルタ理事会でしたが、スキャンダルにも事欠きませんでした。2008年にはオリオル・ジラルトというソシオが不信任投票の開催に成功(背後関係は勉強不足で不明)。この時、それを援助したのが下野してチャンスをうかがっていたサンドロ・ルセイです。

ラポルタは辛くも不信任投票では生き残りますが、2010年7月の会長選挙では周到に準備を整えていたルセイチームが圧勝。バルトメウはスポーツ部門副会長としてバルサに帰還します。
(ラポルタの正統後継候補、ジャウマ・フェレールは惨敗)

悔やまれる2015年選挙

仲が良かったからこそ、敵意も強まる。バルサ会長となったサンドロ・ルセイは右腕バルトメウとともにラポルタ派(と支援者ヨハン・クルイフ)の哲学をクラブから消去しにかかります

特徴はカタルーニャ主義と商業主義。世界中に拡大していたソシオに入会制限を設け、カタラン以外はクラブ会員になりにくくなりました。カンテラは軽視です。
一方でマーケティングを重視し、バルサブランドの強化には余念がなかった。この路線は2014年1月にネイマール問題でルセイが辞任し、クラブ運営がバルトメウに引き継がれて以降も継続されて今に至ります。

当然ペップ・グアルディオラチャビ・エルナンデスカルラス・プジョルは距離を取る。

痛恨だったのは2015年に行われた会長選挙でバルトメウを勝利させてしまったことです。
あの選挙では対抗馬にパンチ力がなく、復活を狙ったジョアン・ラポルタは政権担当時のお家騒動・疑惑の連発が今さら感を出していたと思います。
FIFA制裁ネイマール問題、バルサB降格など春先まではバルトメウは退場する雰囲気だったのに、MSNトリデンテが大爆発しての三冠達成が強力な追い風となり、投票日前にはルイス・エンリケダニ・アルベスとの契約延長を発表して支持を稼いだ。
バルトメウではラ・マシアの復活は難しいと知りつつ、現状維持がベターな選択肢かと考える自分がいました。

この時ラポルタが勝っていたらどうなっていたか、は想像するしかないですが、第一次の失敗を反省しつつラ・マシア復興に取り組んでいたら、いろいろ違っていたろうとは思います。

スポーツプロジェクトや敬意の欠如

バルトメウ理事会は右肩上がりで収入を増やし、年間予算10億ユーロを達成するなど金儲けには成功したものの、スポーツ面での成功は長くは続きませんでした。理事会メンバーの多くは実業家でビジネスには巧みだけれど、フットボールチームを強化できる確かな目を持った責任者がいなかったわけです。

国内では(バルベルデのやり繰りで)どうにか勝てた。でも欧州では黒歴史の連続。
メッシというギガクラックを擁しながらも、チャンピオンズでは2015年の優勝を最後に決勝へと辿り着けず、4回は準々決勝止まりです。準決勝へと進んだ去年はアンフィールドで悪夢を見て、さらに今年のリスボン2-8・・・
2017年にネイマールに出て行かれてからは、スカッド強化の有効な対策を取れずに巨額のユーロをただ費やすばかりで「もう何年も前からプロジェクトは存在しない」とのレオ・メッシの指摘どおりです。
コロナウイルスによって経済面も瀕死状態。

メッシ残留騒動においては、頑として彼の移籍を認めなかったことによって政治的な勝利を手にしたバルトメウではありますが、バルサゲートや保身を最優先するその姿勢によって、バルサの名誉には泥が塗られました。
許せないのは選手たちへの敬意を欠いた振る舞いの数々。バルサが唱える「価値」のひとつである「敬意」や「謙虚さ」に背いてしまってるのが残念です。世界最高選手にしてクラブの至宝、バルサでの引退を願っていたメッシを失望させた事実は重い。

ジョアン・ラポルタたちと日々集い、バルサを良くしたいと熱い議論を交わしていた日々のことを思い出してほしい。今のクラブは、その時の自分の目にどう映る? おっとセンチメンタルでしたかね。

“メッシを売った会長”としては歴史に名を残さずに済んだけれど、“不信任投票によって退陣した(初の?)会長”となるのも良いでしょう。

 

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