クラブによるお別れセレモニーで、チャビが繰り返した“ありがとう”。
2015年6月3日(水)、カンプノウの敷地内にあるイベントホール Auditori 1899 にてチャビ・エルナンデスのお別れセレモニーが開かれました。
ちょうど一年前にこの同じ場所で、カルラス・プジョルのお別れ会をしたことが思い出されます。
その去年と同じように、ホールにはこの式に参加したいと望むチームメイトや友人たち、クラブ理事、関係者たちで溢れました。人生の半分以上をこのクラブで過ごしてきたチャビですから、600人は収容できるホールもこの日は小さく思えるほどだったようです。
会場には昨年の主役だったカルラス・プジョルを始め、オレゲール、ジェラール・ロペス、サンティ・エスケーロ、ガブリ、エリック・アビダルら元チームメイトほか、他のセクションのカピタンたち、クラブ顧問で元監督のカルラス・レシャック、セラ・フェレール、ジョルディ・ロウラ、33年間(~2006)に渡ってバルサで物理療法士を務めたアンヘル・ムールさん、御大ヨハン・クライフ、アンドニ・スビサレッタ、ジョアン・ラポルタ、ジョゼップ・マリア・バルトメウ会長を筆頭とするクラブ理事たち、そしてスペインフットボル連盟のアンヘル・マリア・ビジャール会長ら、たくさんの知人友人が訪れています。もちろん、ご両親やヌリア夫人も。
トップチームのチームメイトたちはもちろん全員出席しているのですが、折り悪くUEFAのドーピング検査に“連行”されたレオ・メッシ、ジェラール・ピケ、イバン・ラキティッチ、テル・ステーゲン、ラフィーニャの5人は会場には行けず。メッシがインスタグラムから、「ドーピング検査のせいで僕らはチャビのお別れ会に行けないんだ」とのメッセージと写真を投稿しています。
A photo posted by Leo Messi (@leomessi) on
セレモニーはまず、チャビと共に壇上に上がったジョゼップ・マリア・バルトメウ会長の言葉から始まりました。
「私たちは今、信じられないようなシーズン最後を過ごしている。少し前にはリーガのタイトルを祝い、チャビへのセレモニーを行った。土曜日にはチャビとイニエスタがコパのトロフィーを掲げ、私たちはドブレーテを達成した。そして私たちにはあとひとつ、次の土曜日の挑戦が残されている。チャビはここへ戻ってくるために去っていく。彼が残すフットボルの遺産は私たちと共にあり続けるだろう。キミが生み出す価値と希望は、キミが旅をしている途中も、ここに残り続けるだろう。今日はキミの日だよ、チャビ。キミはこの何年間、いつもクラブに感謝を告げていたけれど、今日はクラブがキミにありがとう、また会おうと言う日だ」
イニエスタ 「僕らはいつだって一緒だ、アミーゴ」
会長の感謝のスピーチに続いて、司会者さんに紹介されて登場したのはアンドレス・イニエスタでした。いつもよりも緊張した様子のドンは、「ちょっと手紙を用意してきたんで……」と述べ、親友へとはなむけの言葉を贈ります。ちなみに一年前のプジョルの式典では、この役を担当したのがチャビでした。
「カピタンであり、チームメイトであり、友人であり、マキナ(マシーン。チャビの愛称)のチャビ。キミとプレーをしてきた者全員の代表として僕が話すよ。キミがトップチームのポスターに登場するようになってから、17年になるね。キミはいつだって最前列にいた。これはすごく価値のあることだ。何故なら難しいのは辿り着くことじゃなく、世界で最も要求度の高いクラブで、その位置を保ち続けることだからね。来シーズンの最初のトレーニングでキミの姿がないことを、誰も想像できないよ。キミはいつも新しいチームメイトたちを笑顔と励ましの言葉で向かえ、彼らにこのユニフォームとエスクードの表すものを説明していた」
「フットボル界はキミに感謝しているよ。いつも自分よりもグループを優先して考えてくれてありがとう。24年間このクラブの価値を僕らに伝えてくれてありがとう。キミの助言はどれもが人生の教訓だった。だから僕らはキミに感謝をしているんだ。今では勝つことが当たり前で、ハードルは高くなっているけれど、最初からそうでなかったことを多くの人間が知っている。キミの与えたもの全てが僕らを強くしてくれたんだ。ありがとうチャビ」
「クレは誰も、キミが誰よりも数多くバルサのユニフォームに袖を通した選手なのを知っているし、キミがここへ戻ってくることを知っている。何故ならここはキミのカサ(家)であり、キミの心はアスルグラナだからね。今日はキミに家族や友人が付き添っているし、キミはきっと祖父のジャウマさんを思い出しているよね。彼はバルサフラッグ以上のクレだった。もし今日この場所にいて、このキミの姿を見ていたら、彼はとても誇らしかったことだろう」(チャビ涙)
「個人的に僕からも、キミにありがとうと言いたいんだ。いくつもの魔法の時間だけにじゃなくて、僕らが交わしたフットボル以外の雑談にもね。僕らは先生と生徒のようなものだった。つまり、キミの側にいれた僕はとても恵まれていたんだ。僕らはいつだって一緒だよ、アミーゴ」
イニエスタがスピーチを終えると会場は割れんばかりの拍手に包まれ、二人はがっしと抱擁。このあたりになるとチャビは溢れる涙を堪えきれず、しきりに目元をぬぐっています。
そして会場は暗転し、次のビデオが流されました。チャビにありがとうの言葉を述べるチームメイトたちの表情がよい。たどたどしいスペイン語で喋るバンバンバンガールが登場した時は、会場に笑いが起こってますね^^ 感動的なビデオです。
チャビからみんなへのありがとう
「ここへ来てくださった皆さん、本当にありがとう。僕からまず最初に言いたいのは、バルサのソシオやファンのみんな、僕へと愛情を届けてくれたみんなへの感謝の言葉です。僕に残留を求めてくれたみんなに、カンプノウで僕の名前を叫んでくれた人たちや僕にありがとうと言ってくれた全ての人たちに僕はとても感謝をしています。でも本当に感謝をしているのは僕なんです」
「バルサにもありがとう。僕がテラッサからここにやってきたのは25年前、弱冠11歳の時でした。その時の僕はフットボル選手になることを夢見る子供だった。その時描いていたどんなに最高な夢でも、僕が後にバルサで経験することは想像できなかったでしょう。昔も今も、僕はとてつもなく幸せです」
「カンテラ時代のテクニコたち全員には、感謝の言葉しかありません。ジョアン・ビラと会えたのは幸運でした。ジョアン、あなたには本当に感謝をしています。あなたが僕にしてくれたことに対して、どうやっても僕はお返しできないでしょう。僕が成長する上で、あなたはキーパーソンでした。僕はあなたから全てを教わり、プレー方法やゲームへの理解の仕方を変えた。あなたとトレーニングする前も僕は楽しんでいましたが、僕が持つ概念は全てあなたに教わったものです」
「僕はここで選手として鍛えられていきましたが、人間としてもそうでした。タイトルや他人から認められることも、笑顔や友人たちと比べれば何でもない。それらが僕が手にしている、最もステキなものなのです」 「僕はQuinta del Troyaでベルムド、ダビ・プラッツ、ピベティ、アントニ・イルガド、トニ・ロボらと共に育ち、彼らと子供時代を分かち合ってきました。そして20年が経った今でも、僕らはまだ友人であり続けています。そして僕が知る全てのクラブ会長、ヌニェス、ガスパー、ラポルタ、ロセイ、バルトメウ、あなたたちはいつも僕に良くしてくれましたし、その全員と良い関係にあると僕は言えます」
「アンティッチやセラ・フェレール、レシャック、タタ・マルティーノのような、短い時間しか一緒に入れなかった人たちも含め、全ての監督たちも同じです。僕を信頼してくれたバンガールにありがとうと言いたい。ライカーは僕に参考にされる選手になれと言ってくれました。ペップは僕にとって選手として、後に監督としての手本でした。ティト、ありがとう。彼は僕にとってフットボルの父だった。あなたのことはいつまでも忘れはしません」(会場拍手)、「昨年退団を思い止まらせてくれたルイス・エンリケとスビサレッタにも感謝しています。退団せずに僕はラッキーだった。そうでなければ今頃僕は、頭をかきむしっていたことでしょう」
「僕は人生の半分をカンプノウで過ごし、偉大な選手、偉大な人物たちと暮らす幸運を得ました。現在のチームメイトを始めとして、これまでにロッカールームで一緒だった全てのチームメイトたちや友人たちにありがとうを言っていけば、何時間とかかることでしょう。アンヘル・ムールやチェマ・コルベジャ、アレハンドロ・エチェバリア、ペペ・コスタ、ドクター・プルーナといった人たち….他のたくさんの人たちにも感謝をしています。ロッカールームもそう。彼らはクラックです」
「代表チームに別れを告げた僕ですが、ラ・ロハの人たちに対しても特別な思いを抱いています。僕はラ・ロハで成長し、小さな子供のように楽しみました。特別な思い出があるのはルイス・アラゴネスです。ミスター、あなたが僕のためにしてくれた事に対して、僕からどれだけ感謝をしてもそれに足ることは決してありません」、「カマーチョやイニャキ・サエス、ビセンテ・デルボスケにも感謝しています」
「最後に、僕の周りの、良い時も悪い時も僕へと全てを注いでくれた人たちへ。イバン・コレチャ、それにテラッサの友人たち、いつも僕のそばにいてくれてありがとう。S’Agaroの義理の両親たちもありがとう。きょうだいたち、キミたちは僕の人生です。僕は今ここに居るのはキミたちのおかげ。本当にありがとう。父さん、助言をくれてありがとう。もしそれがなければ、自分がどうしていたか僕は分かりません。あなたの助言を僕はよく覚えています。母さんありがとう。もしあなたがいなければ、僕はもう何年も前にバルサを離れ、今日僕らはここにいなかったでしょう。いつも僕を信じてくれてありがとう。あなたたちは最高の両親です」
「そして最後に、ありがとうヌーリア。僕の人生における一番大事な人。僕らは二人でカタールへと行くけど、すぐに三人になるね。(はにかむチャビ、会場喝采)その子の名前もソシオナンバーも僕らはまだ知らないけれど、自分たちがカタールで三人のクレになることは知っています」
「そしてまた最初に戻りますが、ありがとうバルサ。バルサが僕に与えてくれたもの全てに、僕は永遠に感謝していくことでしょう。ここを去る前に、土曜日のベルリンでもう一つのコパを掲げられればと思います。これがアディオスではなく、アスタ・プロント(またね)でありますよう。ビスカ・バルサ、ビスカ・カタルーニャ」
スピーチを終えたカピタンに対し、出席者の皆さんはスタンディングオベーション。その盛大な拍手は鳴り止むことなく、司会者さんが言葉をかけるまで1分半以上にわたって続いています。
そしてセレモニーのフィナーレは、バルトメウ会長からのある写真のプレゼント。デポルティーボ戦の選手入場時のカンプノウとバルセロナの街を大空から写し取った、とてもステキな写真です。
これだけみんなに愛され、表門からバルサを去れる選手は本当にごく少数です。それだけの値打ちがプジョルやチャビにはあるわけですが、ビクトルもこんなふうに送り出せたらよかったのに、とか思ったり。あとはプジが叶えられなかったピッチ上でのバルサ生活へのフィナーレと、願わくばベルリンのパルコでのトロフィー掲げを!バモーーーース、バルサ!!
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