2006年に6万ユーロで契約できたところを・・・
ネイマール・ダ・シルバに関し、5日付のAS紙が今更ながらのネタをスクープしています。レアル・マドリーが2006年春、当時14歳だったネイ少年と契約一歩寸前までいきながらも、彼の可能性を信じきれないばかりに逃していたという話です。恋人の特に知りたくもない過去話のようなネタですが、せっかく(?)なのでどうぞ。
それは2006年3月末のことです。その時14歳だったネイ少年は、父ネイマールとワグネル・リベイロ代理人とともにマドリーを訪れていました。目的はレアル・マドリー下部組織の入団テストを受けるため。彼は2週間にわたってバルデベバスでのトレーニングに参加し、白コーチたちはみな、このブラジル人少年の資質を高く評価していたようです。よって入団テストは余裕でクリア。白組さんはさっそく彼を2005/06シーズン最後の数試合に出場させようと、マドリーフットボル連盟に選手登録しています。AS紙が特ダネとして掘り出してきたのが、この時の出場登録用紙。丸坊主のネイ君の写真が張ってあり、彼のサインもあります。登録日は2006年3月30日です。
しかし、ネイマール一家はほどなくしてブラジルへと帰国。リベイロ代理人が要求した6万ユーロをマドリーのゼネラルディレクターが出し渋ったことで、交渉は破談となったのです。当時の白組はフロレンティノ・ペレスがガラクティコ崩壊の責任を取って2月に辞任し、フェルナンド・マルティンが臨時会長という状況でした。で、彼らはその先どう伸びるかも分からない14歳の少年に6万ユーロ払うのはナンセンスだと判断したと。結果論ですが、逃した魚は大きかったわけです。
メッシを逃さず、ネイマールも獲得したバルサ
そんなAS紙の報道を受けたバルセロナのメディアが、“見る目のなかった白組と我らのバルサは違うぞ!”と胸を張るのはごく自然な流れでしょう。マドリーがネイマール少年に6万ユーロを出し渋ったその6年前、バルサは13歳だったレオ・メッシ少年を入団させています。メッシの才能に驚愕したカルラス・レシャックが、「とにかく何でもいいから紙を持ってきて!」と命じ、紙ナプキン契約書伝説が生まれたのは有名な話。バルサはレオの成長ホルモンの治療のための費用を負担してでも、迷うことなく未来のクラック候補と契約したのでした。
数年前にマドリーのことを「傲慢なクラブ」と言ってたイスコが幸せそうに白いユニに袖を通したり、バロテッリがバルサの入団テストを受けていたりといった例もあるので、ネイマールの場合も「小さな頃からバルサファン」との言葉をクレとしては採用するとして。マドリーさんは実に勿体無いことをしましたし、バルセロナにとってそれは非常に幸運なことでした。なんといっても現場のコーチたちがこぞって獲得を勧めていたそうですから、よくぞケチってくれたというものです。ありがとう!
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