テレビのインタビュー番組にてバルサでの現状について語ったラキティッチ
31歳の今が自分のベストな時期だと感じていて、状況を変えたいセントロカンピスタ
イバン・ラキティッチが現在の心境を語ったインタビュー番組 『Universo Valdano』が放送されました。2日前にその予告編が流され「悲しい」というラキティッチのコメントが大きく取り上げられていましたが、この本放送ではバルサ退団の扉を開けたセントロカンピスタです。
「僕はすべて(のタイトル)が欲しいし、この状況をどう変えるのかを考えているよ。僕としてはハッキリしてるんだ。もっとタイトルを勝ち取りたい。ここであれ、どこであれ、今季チャンピオンズを獲りに行きたい。そのモチベーションで僕は生きているよ。チームのために自分のベストを出したい。一回一回トレーニングを楽しみながら、必要とされる最後の日まで全力を尽くすさ」
「この5年間、僕は多くを与えてきたと思う」
全力を尽くすこと、それがラキティッチの素晴らしさであることに疑問の余地はないです。自分のために、チームのために、彼はいつも汗を流してきました。黒子となってクラックを支えてきたのはラキティッチだった。
だからこそ今シーズンの扱いには外野としても不可解ですし、ラキティッチ本人もキャリア最高の時期だと感じているからこそ不満でしょう。
「どうすれば楽しめるか、それはフットボールをプレーしてさ。僕の小さな娘は、オモチャを取り上げられた時にどう感じるだろう?彼女は悲しむ。僕も同じだよ。僕はボールを取り上げられた。悲しいよ」
僕はボールを取り上げられた。悲しいよ。
「自分にとっては新しい状況だから、すごく難しいね。でも100%理解する必要のないことだって時々は起こるし、それらを受け入れなければならない。フットボールは複雑なんだ。チームで改善しなければならないことを僕は話したい。僕らはシーズンのそういう瞬間にいる」
「監督やクラブ、もしくは誰のものでも決定は理解するし尊重もするけれど、ここでの5年ちょっとの間に自分は多くを与えてきたと思うんだ。僕が望むのは楽しみ続けること。僕にとって一番大事なのはそこだからね。僕は自分のフットボールを信じているし、年齢は31歳であって、38歳じゃない。今が自分のベストの時だと感じているよ」
「アンフィールドを除けば、去年は僕のキャリアの中で最高の一年だったと確信してる。僕は最高の瞬間にあって、かつてないほどにハードワークを行ってるよ。自宅にジムも作ったしね」
チャビやメッシに出来ないことをしたかった
「自分にとってチャンスだった。バルサのようなチームに入るためにみんな努力するわけだし、僕は幸運だった」というラキティッチ。バルダーノさんは彼にバルサ入団当時のプレッシャーについても訊ねています。チャビ・エルナンデスの後任としてのプレッシャーです。
「チャビがしていたことをしようという考えは一切なかったよ。だってそれは不可能だからね。僕はチームやクラブがどのように機能するのか理解しようとしたんだ。僕にはチャビのようにプレーをしたり、レオのようにドリブルしたりは出来ないけれど、自分のプレーを、彼らが出来ないことをしたかった。チャビからは勉強したよ。彼に好いてもらえたのは幸運だったね。もし偉大なカピタンを一人話すとすれば、それはチャビさ」
「チームがどういうもので、自分になにが与えられるのかを読み取りたかった。リズムを掴んでいきつつ、チームメイトやミスターに対して、彼らが僕を信頼していいんだと示したかった。最初は簡単じゃなかったよ。セビージャとバルサでは役割が全く違うと理解したんだ」
バルサに入団する選手たちが、そんなラキティッチから学ぶことは多いです。
そしてキング・メッシに関しては。
「メッシはフットボールそのものだね。彼と同じロッカールームに5年ちょっといて、彼のために走ったのは楽しいことだよ。プレッシャーとの付き合い方には感嘆させられるんだ。世界中が彼に注目して、なにか違うことをすると期待されている中でやっていくのは簡単なことじゃない。彼がフットボールに与えたもの全てが感嘆ものだよ。彼は世界最高のひとりだ」
フットボールへの情熱は父譲り
その他のテーマでは、少年時代に関する話が興味深かったです。
■裕福ではなかった少年期
「僕は両親から学んだ。両親は簡単じゃない環境で育った人たちでね。食べるものがなかった夜、父母は泣いていたけれど、次の日に僕にフットボールシューズを買おうと少し空腹で眠ることを優先したんだ。そういった本質をフットボールを通じて伝えていきたい」
■バルカン独立戦争 ※ラキティッチはスイス生まれのスイス育ち
「クロアチアの家に初めて訪れた時のことを覚えているよ。7歳の時だったけど、地面に落ちてた弾丸で遊んだ。幸いなことに、僕の両親はその一帯から出ることができて、僕らはもうちょっとリラックスした生活を送ることができた」「7歳にとってはすごく驚くことだよ」
■フットボールを始めた頃
「小さな頃からフットボールに夢中だったよ。どこへでもボールを持って行ってた。兄のトレーニングに付いていって、年上たちとプレーを始めたんだ。僕らのフットボールへの情熱は父譲りだね。僕がプレーする時は、僕よりも父の方がナーバスだよ。父はプロ目前までいってた。17歳ころユーゴスラビア代表でプレーしてたんだ。スイスに移ったのは叔父と仕事をするためさ。父は村のチームでは一番レベルが高くて、いつもリベロでプレーしてた」
■影響を受けた人物
「父。もし父がいなければ、今の僕はなかったよ。父が僕のためにしたことを全て言う必要はないし、それを説明する言葉もないけれど。父は今、僕以上に苦しんでいるよ。去年は僕以上に楽しんでいたね。僕にとっては父が全ての上にいるんだ」
■将来への準備
「僕が見たいもの、それはこれからやって来るものだよ。フットボールを止めた後、自分が何をするのかを見るための準備をしておきたい。フットボールのすごく近くにいるだろうし、後に続くたくさんの子たちに情報を提供できればいいよね。アンス・ファティのように若い子が楽しんでいるのを見るのが好きなんだ。彼らが少し悲しそうにしている時は、僕が18歳の時はバルサでプレーしてなかったぞって言うよ」
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