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プジョル 「100%でいけないなら、辞めようと決めていた」

トップチームでの15年間を振り返ったプジ。

全世界のクレ(のみならずフットボルファン)に惜しまれつつもバルサを退団し、9月からはアンドニ・スビサレッタの助手として新たな人生をスタートさせるカルラス・プジョル

先週土曜、バルサTVにて、そんなカピタンが15年に及んだトップチーム生活を振り返るインタビュー番組が放送されました。
照明の落とされたロッカールームでレポーターさんと向き合いながら、ルイス・エンリケフィーゴへのマーク、チャンピオンズ決勝、ベルナベウでの2-6クラシコなどについて語ったプジョル。Youtubeにその動画があるのですが、穏やかな表情が印象的であります。

カピタンの手本だったルーチョ

カルラス・プジョルと聞いてまず思い出すのは、彼のモジャ毛と、強烈なキャプテンシーです。

プジがルイス・エンリケからカピタンを引き継いだのは、ルーチョが現役を引退した2004年のこと。トップチームの一員となったのは1999年ですから、そこから5年ほど、彼はガッツ兄貴からカピタンとは如何なるものかを学んできたわけです。

ルイスはカピタンの良いお手本だったよ。当時(のバルサ)はとても難しい時代だった。僕はとても多くのことを彼から学んだし、彼にはいつまでも感謝していくだろう。ルイスはとても偉大なカピタンだった。僕が特に残念に思うことの一つが、翌年に僕らがタイトル(リーガ)を獲得した時、彼がトロフィーを掲げられなかったことだよ

10年前を思い出すに、炎のカピタン・ルーチョからプジョルがチームリーダーの任を引き継ぐ際、ごく自然な継承者との印象を受けたと記憶します。
プジョルはすぐさま周囲やファンの信頼を勝ち取り、堂々たるカピタンとなっていきました。

僕はいつもクラブやチームメイトたちを守ろう、自分に出来るかぎりのことをして彼らを助けよう、ベストを尽くそう、としていたんだ。それがチームにとってのベストだと信じていた

思い出のチャンピオンズ決勝

今では考えにくいですが、21世紀に入った頃のバルサはタイトルにはとんと無縁で、“一度でいいからプジョルチャビにビッグタイトルを獲らせたい……..”というのがクレの願いでした。

それが実現したのが、プジがカピタンとなった最初の年である2004/05シーズンのリーガ優勝。さらに翌年にはリーガ連覇に加え、パリでのチャンピオンズ制覇も達成します。

「スペクタクルな一日だったよ。あれは父親が生観戦に来た唯一の試合だったんだ。一度も僕の試合を観に来なかった父を、マネル・ソストレスが連れてきてね。僕がチャンピオンズで優勝するところを見てくれて、とても嬉しかった。父は僕の試合をテレビで観てたけど、仕事については決して口出ししなくてね。いつも体調はどうだ、とだけ訊ねていたよ。父は僕の側にいてくれた。彼には感謝しないといけない」

そこからのバルサは幾つかの浮き沈みを経験しつつもタイトルだらけの時代へと入っていき、プジの経歴書は多くのトッププロが羨むほどの内容となっていきます。
プジョルとトロフィーがもはや馴染みのツーショットとなるのなかで、とりわけ印象的だったのは2011年のウェンブリーでのチャンピオンズ決勝、エリック・アビダルにカピタンマークとトロフィー掲げ役を譲った場面でした。

プジョルによると、あれは「ファイナルの2、3日前に考えていた」のだそうです。そして「2人の知人に話したんだけど、手にする前からトロフィーを掲げる件が話題になってほしくなかったから、口止めしていた」らしく。

「すごい試合だったね。あの舞台に立つために戦ってきた彼には、あれが相応しかった。彼は決して諦めることがなかったし、全員にとっての手本だったよ

フィーゴ消し、2-6クラシコ

プジョルの名を一躍世に知らしめたのは、禁断の移籍をしたルイス・フィーゴを鬼マークで止めたクラシコでした。
「彼はバルサにとって非常に重要な選手だったし、永遠のライバルへと移籍したことで、ここ(カンプノウ)での最初の試合の雰囲気はすごかったよね。審判の笛が聞こえずに、プレーを続けたことが何回もあったよ。ファンからの指笛しか聞こえなかった

もうひとつ、プジ(とクレ)の記憶に強く刻まれているのが、2-6でベルナベウを陥落させたあのクラシコでの炎のジャンピングヘッド弾です。

「チームで動きの練習はしてなかった。話はしていたけどね。ピッチに出て行く前にティトに言われたんだ。知ってたのは3人だけ。僕へのマークをブロックしなくちゃならないジェラール(ピケ)と(キッカーの)チャビ、それに僕さ。映像を見れば、僕がどうやってチャビにサインを送っているかが分かるよ。完璧なプレーだったね」

怪我との闘い

いつも全力プレーだったプジョルはしょっちゅう怪我をしていましたが、20代の頃はほぼ毎回、当初の診断よりも早く回復。日頃のケアと努力の賜物としての“超回復”は、彼の大きな特徴の一つでした。

しかし近年は長期の怪我に悩まされ続け、カピタンはついに退団を決意するに至ります。
「プレーを続けることを目指してたんだけれど、身体がもう十分だろうと言ってきてね、受け入れたんだ。僕は常々、100%を出せないのであれば辞めようと決めていた。そして今の僕は、100%を出すことができない。なんとかプレーやトレーニングができるようにと、僕は闘ってきたよ。それでおそらく、すべきこと以上のことをしたんだろう。でも僕は自分が感じたことをしたんだ。僕はチームと一緒にいたかった。そしてヒザがもうこれ以上はムリだと言った」

そして。「チームに必要とされているのに、自分がそこに居れない時、僕は自分に腹が立って苦しくなる。それが(引退を)退団した理由のひとつさ。痛みには耐えられるけど、それでチームが害を受けるのであれば、僕はもっとずっと傷つくんだ」

 

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