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スアレス「家にはほとんど何もなかった」

11歳で食いぶちを稼いだことを恥じることはない、とルイシート。

FCバルセロナで今一番ホットな選手、それはクラブ通算400ゴールなる新たな大記録を打ち立てたレオ・メッシか、決定的なゴールの数々でチームを救い、“手頃な買い物だった!”、“求めていた理想の9番がついに!”と評価を上げているルイス・スアレスでしょう。“ルイシート”に関しましてはなんと言いますか、プレーのすごさは勿論のことながら、あの決して可愛いわけでもないルックスが最近はとても可愛らしく魅力的に思えてきてまして、つまるところそれがギャップにやられたということなんでしょう^^ 時間の経過とともに、ぐいぐい引き込まれて行ってる感じがします。リバポーで愛される理由が分かる。

そのルイス・スアレスを特集したスペシャル番組が先週、母国ウルグアイのテレビ局CANAL 10にて放送されました。そこでデランテロはやんちゃだった少年時代のエピソードや、ソフィア・バルビ夫人との出会いと一時の別れなどについて説明。決して恵まれていなかった環境を生き抜いてきた彼だけに、なかなかに興味深いものとなっています(参照したのはネット上の各抜粋記事)。

■やんちゃだった少年時代

今でもなお“悪童”のレッテルを貼られているルイス・スアレスですが、子供の頃は実際に悪ガキそのものだったようです。そして家庭は経済的に貧しく、何をするにも足りない物だらけだった、とルイシートは当時を振り返ります。

「自分が手に余る子供だったかどうかは知らないけど、落ち着きがなかったのは確かだね。学校では良い行いをせず、決して大人しくしてなかったよ。僕がどんなふうに振舞っているのかを先生に書いてもらうためのノートを母親に持たされたのを覚えてる。自分の行いが良くないのは知っていたけど、母親がそういうことを知らせてくれるよう先生に頼まないといけなかったとは知らなかった」

自宅では、何もかもが不足していた。食べるものがないということはなかったけれど、食べ物を家へと持ち帰るために、11-12歳の頃から祖父と車を磨きに(?)に行っていたと言うのは、僕にはなにも恥ずかしいことじゃない。母親には友達の家に行くとかなんとかウソを言ってたよ。母は僕が10歳の時にショッピングセンターに働きに出て、僕はチップを稼ぎにに出かけていた。父と兄が料理をして、僕は買い物を担当していたんだ。そういったことで思い出すのは、自分がフットボルをプレーするため行った犠牲的行為だ。だから僕は全てのことをより評価するし、食べ物を得るためにしたことを説明しても恥ずかしくないんだ

■ソフィア夫人

ルイス・スアレスの人生にソフィア夫人が絶大な影響を与えたことは広く知られています。もし彼女と出会わなければ、自分の歩む道はおそらく間違ったものになっていただろう。

彼女は僕が愚か者ではなく、ただ何かをやりたいという意欲がなかっただけだと気付かせてくれたよ。僕らが付き合い始めたのは、僕が15歳で彼女が12歳の頃だった。彼女はすぐに13歳になったんだけど、僕は彼女が12なのか13なのか知らなかった。彼女のためにモンテビデオからソニマール(約21キロメートル)まで歩くなんて信じられないこともしたよ」

そしてソフィア夫人は家庭の事情でバルセロナへと引っ越すことになります。別れの日、ルイス・スアレスはとにかく泣きじゃくっていたそうです。

ソフィアからバルセロナへ行くと言われた時は、かなり厳しかったよ。僕にとっては彼女はとても大事な人だったから。経済的に、僕が彼女と再会することは不可能だった。僕らは別れゆく思春期のカップルだったんだ。彼女が行ってしまう前の晩、僕らは一晩中泣いていたよ。当日に僕は試合があったんだけど、ベッドでただ彼女が残していったノートを見て、泣いているしかできなかった。僕を起こし、プレーに行かせたのは兄だった」

■初めてのバルセロナ空港で止められた

ルイス少年はその後、バルセロナを訪れソフィアさんに再会する待望の機会を手にします。しかし彼女にはそう簡単には会えませんでした。家で少年に間違えられたか、いかにも不審な様子だったか。空港で、ちょっとこっちの部屋にきたまえ、と職員に連れて行かれたのです。

「僕はバルセロナへと行くための切符は手に入れたんだけど、旅費がなかった。そこで兄がお金をくれてね。兄は僕に70ドルをくれたんだ。だいたい40-50ユーロだね。長い旅だったよ。僕は道に迷ってしまい、税関で引き留められたんだ。当時の僕は16歳。住所(のメモ)もなにも持ってきてなかった。白いシャツを着ていたら、鼻から血が出始めたりしてね。ソフィアは空港で僕を待っていたけど、飛行機が到着して2時間待っても僕は出てこない。自分が何故引き留められているのか、僕には分からなかったよ。彼らは僕が行き先を示すものを何も持ってないと言っていて、僕は彼らにここで暮らしている恋人に会いにきたんだと説明した。すると彼らは恋人は誰と住んでいるのかと訊ねてきたので、彼女の両親だと言った。僕が何をしに来たのかと訊ねられ、散歩だと言ったよ。飛行機の中から山や浜辺が見えたから、山や海に行くと言ったんだ。そして彼らは僕の旅行カバンを開けてチェックし、彼女のおばさんが僕に送ってくれた小包があった。そこに電話番号と住所が書いてあってね。最高にラッキーだったよ。僕が到着してから数時間が経ってたんだけど、そこで彼らは彼女の両親に電話し、すべてが片付いたんだ。でも一番酷いめに遭ったのは彼女さ。バルセロナの空港は3つか4つターミナルがあるんだけど、彼女はルイシートはどこにいるのかと、すでにその全てを歩き回っていた。血のシミが付いた白いシャツの僕が現れるまでね」

空港のロビーに行けばソフィアさんに会えるだろうから、なんの心配も要らないや、ということだったのでしょうが、16歳の初大西洋横断旅行(たぶん)で連絡先のメモすら持っていなかったとはなかなかやります。いや、とてもイメージどおりなんですけれどね^^

ルイス・スアレスというと、おそらく世間的にはまだ“ガブリの人”とのイメージが強く、なにかとお騒がせな選手てな印象なんでしょうが(自分も少し前までそうだった)、バルセロニスタとして身近に感じこういうニュースを見ることで、悪童のレッテルがうそ臭いというか、彼がとても感じの好い人だと分かってきました。それがとても嬉しいことだと思う今日この頃であります。ゴールキラーとして並外れた能力があるのに、エゴイスティックではないのも素敵。マテ茶仲間のレオ・メッシとゴールを決めて抱き合っている姿は非常にホッコリします。下がり気味の目尻がいいんですよね、きっと。

 

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