16 Samper | ||
フルネーム | Sergi Samper Montaña (セルジ・サンペール・モンターニャ) |
|
ポジション | セントロカンピスタ(ピボーテ) | |
国籍 | スペイン | |
生年月日 | 1995年1月20日 | |
出生地 | バルセロナ | |
身長 | 181cm | |
体重 | 71kg | |
バルサ入団 | 2001年(トップ昇格は2016年) | |
デビュー戦 | 2016年8月17日、バルサ対セビージャ(スーペルコパVUELTA、3-0) | |
前所属クラブ | バルサB 2013-16 | |
移籍金 | なし | |
契約終了年 | 2019年+1年 | |
年俸 | 推定100万ユーロ | |
契約解除金 | 5,000万ユーロ |
経歴
バルサ待望の純ラ・マシア産カンテラーノ。2001年に6歳でエスコラ(スクール)に加入してから、FCバルセロナでのみプレーしてトップチームにまでたどり着いた。
元テニス選手だった彼の父は、兄ジョルディと同じようにセルジもまたテニスの道へと進むことを望み、地元のテニスクラブへと彼を入団させる。しかしFCBエスコラの生徒募集を見た祖父が入校テストに連れて行ったことで、セルジの進路はフットボルへと変わった。セルジ・サンペールは6歳にしてバルサの門下生となった。
セルジ少年はFCBエスコラで2年間を過ごし、8歳でいよいよベンハミンチームへと加入する。
フットボル選手として稀有な才能を発揮した彼は、アレビン、インファンティル、カデテ、フベニールとカテゴリを上げていく中で、ほとんどのチームでカピタンを担当。
カデッテAではオールド・トラッフォードでのNIKEプレミアカップを制し、プレミア方面の注目を集めるようになった。
しかし甘い誘惑に乗ったベジェリン、トラルたちとは異なり、サンペールはバルサでの成功を目指し、オファーを拒否。2014年9月17日のチャンピオンズ・APOEL戦にて念願のトップデビューを果たした。
だがセルヒオ・ブスケツが君臨するトップチームでは19歳のセルジを起用するにも限界があり、2014/15、2015/16シーズンもバルサBでプレー。特にバルサBがセグンダBに降格した2015/16はレンタルでの武者修行も選択肢に挙がったが、フィリアルに残りカピタンとして1シーズンを過ごした。Bチームでは103試合に出場。
2016年7月、待望のトップ契約を手にし、ルーチョチームの一員に。
セルヒオ、マスチェラーノら偉大なる先輩から学び、数少なくなくとも出場機会を大いに活用してほしい(グラナダでの1年間の武者修行決定)。
2017/18シーズンはエルネスト・バルベルデ新監督によって戦力に数えられず、レンタル続行。UDラス・パルマスへと旅だったが、シーズン半ばの1月に重傷を負ったことで期限付き移籍終了。バルセロナでリハビリを行った。
2018/19シーズンはチームに残り、背番号「16」で戦ったがバルベルデの信頼を得るには至らず、3月に契約を解除し、日本へ。
【プレーの特徴】
バルサが生んだ“4番”だけに、長短の正確なパスが持ち味。ゲームの動きを読み、視野も広い。ポジショニング良好。キープ力やドリブルによる推進力も備えていることで、インテリオールもこなせる。
アイドルはセルヒオ・ブスケツで、日々セルヒオのプレーを研究しているという。課題は線の細さと守備。
【雑情報】
・兄のジョルディはテニス選手で、2016年には全仏オープンの本戦に出場を果たした。結果は1回戦でフランスのブールグに7-5、7-6、7-6の惜敗。
・名字Samperに関しては、現地ファンの間でも発音論争が起こった。ラジオ局RAC1の取材に対して彼の父上ジョルディさんが説明したところでは e にアクセントを置いた「サンペール」だが、セルジ本人はチームメイトたちからずっと a を強調した「サンペル」と呼ばれてきたので、別の呼ばれ方だと「変な感じがする」とのこと。
※2016年8月、グラナダへと1年間の期限付き移籍。
※2017年8月、ラス・パルマスへと1年間の期限付き移籍。
※2019年3月、FCバルセロナとの契約を解除し、神戸へ。スエルテ!
【獲得タイトル】
- バルサ
- 国王杯 (2015/16)
- スーペルコパ・エスパーニャ(2016/17)
- スペイン代表
- 個人賞