【黎明期】 | |
1899 | 10月22日ジョアン・ガンペルにより『ロス・デポルテス』紙(現SPORT)にフットボールクラブ創設の呼びかけが掲載され、11月29日、FCバルセロナ創設。初代会長はウォルター・ワイルド。 エスクード(紋章)、えんじと青というチームカラー、ソシオ制度などスペインでは例を見ない画期的な発想を取り入れた、地域と密接した国際的クラブとしてのバルサの歴史が始まる。 |
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1900 | 外国人に広く門戸を開いたFCバルセロナに対し、スペイン人のみで構成された現在のエスパニョールが創設される。初のデルビー開催。次第に両クラブの関係は悪化。 |
1917 | 初の監督が誕生する。初代となったのはイングランド人のジョン・バロー。 |
1922 | ラス・コルツがホームグラウンドとしてオープン。 |
1923 | プリモ・デ・リベラ将軍による軍事クーデター。中央独裁政権始まる。 |
1925 | クーデター政権による公文書でのカタラン語廃止命令発布。試合のセレモニーでの“反政府行為”により6ヶ月の活動停止、ラス・コーツス・スタジアムの閉鎖命令下る。ジョアン・ガンペル、一時カタルーニャ追放。 |
1929 | 10チームによるリーガ・エスパニョーラ開幕。バルサが初代王者に。 |
1930 | ジョアン・ガンペル死去。プリモ・デ・リベラによる独裁政権崩壊。 |
1931 | スペイン統一地方選挙、共和制時代となる。市民の関心はフットボールから政治へ。ソシオの減少止まらず。 |
【受難の時代】 | |
1936 | 軍事クーデターにより、スペイン市民戦争始まる。左翼的政治一派のリーダーでありFCバルセロナ会長のスニョールがフランコ軍によって暗殺。 |
1939 | フランコ軍がバルセロナ、マドリーを制圧。フランコ軍事独裁政権樹立、内戦は終了した。カタルーニャにとっての暗黒時代始まる。 |
1940 | クラブの名称をスペイン語に変更させられる。「Futbol Club Barcelona」から「Club de Futbol Barcelona」へ。 |
1942 | 日々の憂鬱から気を紛らわせるため、クラブへの愛情が高まる。ソシオ数激増、1万5千人を突破。 |
1943 | このころから「クラシコ」の激しさが増す。ヘネラリシモ杯(現国王杯)で“権力”の脅迫を受けマドリーに11-1の歴史的敗北。サンティアゴ・ベルナベウがマドリーの会長に就任。 |
1947 | チャマルティン(現サンティアゴ・ベルナベウ)スタジアム完成。 |
【クバラの黄金期】 | |
1950 | マドリーとの獲得競争に勝利し、ラディスラオ・クバラ入団契約。 |
1951 | クバラ、スペイン国籍取得。正式にバルサの一員に。 |
1952 | リーガ、カップなど5冠達成。“シンコ・コパス””(5つのカップ)の年。 |
1953 | 水面下でのレアル・マドリーとの争奪戦の末、多くの謎を残したまま“権力によって”ディ・ステファノはマドリーへ。マドリー黄金時代始まる。 |
1954 | カンプノウ建設開始。天才スアーレス入団。 |
1957 | カンプノウ完成! |
【忍耐の時代】 | |
1958 | “魔術師”エレーラ監督により、マドリー支配時代に奇跡のリーガ2連覇。 |
1959 | |
1960 | マドリーのコパ・デ・ヨーロッパ(現チャンピオンズ)6連覇を阻み、初の決勝進出。しかしベンフィカに惜敗(ベルンの悲劇)。バルサはこれ以降長いトンネルに入る。 |
1970 | グルセッタ事件。 |
1971 | リヌス・ミケルス監督就任。 |
1973 | ヨハン・クライフ入団。 |
1974 | ベルナベウで伝説の0-5!14年ぶりのリーガ優勝。クラブ創設75周年。イムノ誕生。 |
1975 | 11月20日フランコ死す。12月28日、クラシコでカンプノウにカタルーニャ旗がたなびく。 |
1977 | スペインで内戦以来初となる総選挙。民主主義時代へ。 |
【ヌニェス登場】 | |
1978 | クラブ創設以来初となる一般ソシオの投票による会長選挙。ジョセップ・ルイス・ヌニェスが会長就任。クライフ退団。 |
1979 | レコパ杯を制しクラブ初のヨーロッパタイトル獲得!カタルーニャ自治政府誕生。 |
1980 | ベルント・シュステル入団。 |
1981 | キニー誘拐事件。 |
1982 | ディエゴ・マラドーナ入団。 |
1984 | バルサミュージアム完成。当時としては珍しい、クラブによる博物館。 |
1985 | テリー・ベナブレスを監督に迎え、11年ぶりのリーガ優勝。 |
1986 | 15年ぶりにチャンピオンズの決勝へ。しかしステアウア・ブカレストの前に涙の惜敗(セビージャの悲劇)。リネカー入団。 |
1988 | クラブ分裂、エスペリアの反乱。ヨハン・クライフ監督就任。 |
【クライフの黄金時代】 | |
1989 | クーマン、ラウドルップ入団。 |
1990 | マドリー黄金期、リーガ5連覇。ストイチコフ入団。 |
1991 | クライフバルサ、リーガ初制覇!クライフは心臓病で倒れる。 |
1992 | バルサ、ついにウェンブリーでチャンピオンズカップ制覇!!最終節でマドリを抜き、リーガ2連覇! |
1993 | またも最終節でマドリを逆転し、リーガ3連覇!!!ロマリオ入団。 |
1994 | 3年連続最終節での逆転優勝!リーガ4連覇!!!!しかし4日後のチャンピオンズ決勝ではミラン相手にまさかの0-4負け(アテネの悲劇)。一つの時代が終わる。ドリームチーム崩壊へ。 |
【低迷期】 | |
1996 | ヨハン・クライフ解任。“怪物君”ロナウド入団。 |
1997 | ボビー・ロブソン、ロナウド頼りのスタイルを受け入れられず解任。バン・ガール監督就任。 |
1999 | バンガール・バルサ、リーガ2制覇。リバルド、バロン・デ・オロ獲得。 |
2000 | バン・ガール更迭、ヌニェス会長辞任。ガスパール新会長就任。フィーゴ、マドリーへ移籍。 |
2003 | クライシス極まる。ガスパール会長辞任。ラポルタ会長就任。ロナウジーニョ入団。 |
【ラポルタ登場、ペップ黄金時代】 | |
2005 | ライカー・バルサ、リーガ制覇。 |
2006 | リーガ2連覇、チャンピオンズリーグ制覇!ラポルタ時代の絶頂期。 |
2008 | ラポルタ理事会への不信任投票。理事会クライシス。ロナウジーニョ退団。ペップ監督誕生。 |
2009 | 歴史的トリプレーテ(三冠)達成!世界一にも輝き、年間六冠達成。 |
2010 | リーガ2連覇。ラポルタ理事会、任期満了。ロセイ会長就任。 |
2011 | リーガ3連覇!チャンピオンズ優勝。ムンディアリート優勝。メッシがバロンデオロ3連覇。 |
2012 | ペップが監督を退任。右腕のティト・ビラノバがチームを引き継ぐ。メッシがバロンデオロ4連覇。 |
2013 | 100ポイント獲得でリーガ奪還。ティトが病に侵されタタ・マルティーノ監督就任。 |
2014 | ティト・ビラノバ死去(涙)。無冠に終わる。プジョル引退。ルイス・エンリケ監督就任。 |
2015 | クラブ2度目となるトリプレーテ達成!クラブ世界一!年間5冠! |
2016 | リーガ&コパ連覇! |
このページの記事は「ペンション・チキート」の全面的許可によって作成しています。このページでバルサの歴史に興味をもたれた方は、是非ともチキートの「バルサ100年史」を読まれることをお奨めします。カピタンによる文章は感動すら覚えますし、さらにバルサに愛着を抱くことは請け合いです。チキートの「バルサ100年史」にはこちらからどうぞ。