FCバルセロナの守備の要として君臨する
“ピッケンバウアー”ことジェラール・ピケの経歴や特徴などです。
3 PIQUÉ | ||
フルネーム | Gerard Piqué Bernabeu (ジェラール・ピケ・ベルナベウ) |
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ポジション | デフェンサ(セントラル) | |
国籍 | スペイン | |
生年月日 | 1987年2月2日 | |
出生地 | バルセロナ | |
身長 | 194cm | |
体重 | 85kg | |
バルサ入団 | 1997年(2008年に復帰) | |
デビュー戦 | 2008年8月13日 バルサ対ウィスラ・クラクフ(チャンピオンズ予選、4-0) | |
前所属クラブ | バルサB 2003-04 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 2004-06 サラゴサ(スペイン) 2006-07(レンタル) マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 2007-08 |
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移籍金 | 500万ユーロ | |
契約終了日 | 2024年6月30日 | |
推定年俸 | 手取り 470万ユーロ | |
契約解除金 | 5億ユーロ |
経歴
カンテラが生んだ、大型デフェンサ。
彼の祖父はFCバルセロナで20年近く副会長を務めたバルサ界の大物、アマドール・ベルナベウ。1987年にバルセロナで生まれたジェラールは、その祖父アマドールの手によって誕生当日にバルサのソシオとなる。
チビッ子時代からバルサのスクールに通い、10歳でカンテラの門をくぐったのも当然の成り行きだ。
カデッテB時、チームを率いていたのはティト・ビラノバで、チームメイトにはレオ・メッシやセスク・ファブレガス、ビクトル・バスケスらがいた。いわゆる87年世代。
バルサカンテラ時代はセントラルだけでなく、複数のポジションをこなした。
祖父がヌニェス理事会の重鎮だったこともあってか、ラポルタ会長就任後にはイングランド方面よりオファーがあっただけで干されたといわれ、17歳でのマンチェスター移籍のきっかけになったと言われる(真偽不明)(移籍の方法は、ルールの隙をついた、よくある“英国方式”だったので印象はあまりよろしくない)。
2004年夏、ジェラールは英国へと海を渡った。
マンチェスターでファーガソン監督の構想に入れなかったピケにとって転機となったのは、グアルディオラ監督のトップチーム昇格だった。
バルサへの愛情を失わず、いつかは“我が家”に戻りたいと願っていた彼は、2008年夏にバルサからのオファーがあった際には迷うことなく復帰を決断。復帰初年度からレギュラーポジションを獲得したジェリはあっという間にチームに欠かせない選手となり、スペイン代表のレギュラーにもなっていく。
かのドイツの皇帝にちなみ、“ピッケンバウアー”なる称号も得た。
そうしてペップの元で世界トップレベルのセントラルへと成長したピケだったが、2011/12シーズンからは伸び悩む。常に彼の横で最終ラインを守っていた大先輩(で親友)のカルラス・プジョルが怪我によって欠場する日々が増えたことが影響したと考えられる。スポーツ外での騒動が、この頃はよくメディアを賑わせていた。
そんな呪縛を打ち破り、以前のようなパフォーマンスを取り戻したのはルイス・エンリケが監督となった2014/15シーズンのこと。シーズン序盤の騒音を克服し、ディフェンスリーダーとなったジェリは、チームの歴史的トリプレーテ達成に大きく貢献している。
スペイン代表を引退した2018/19シーズン以降はパフォーマンスが向上し、抜群の安定感で最終ラインを統率。強いキャラクターで矢面に立ち、必要とあればメッセージを放ってチームやクラブをより良い方向へ導こうとする姿は頼もしい。
スペイン代表
U-17欧州選手権、準優勝(2004)。U19欧州選手権、優勝(2006)。フル代表デビューは2009年2月の親善試合。同年のコンフェデレーションズカップでレギュラーを獲得すると、以後はバルサと同様に不可欠な選手となった。2010年ワールドカップは全試合フル出場し、優勝に貢献。
2018年ワールドカップを最後に代表引退(102試合出場・5得点)。
プレーの特徴
本職はセントラルだが、ピボッテもこなせるなど高い適応能力を持つユーティリティ選手。カンテラ育ちだけあり、ボール展開力に優れている。プレー姿は雄雄しくもエレガント。
長身を生かした得点にも才能を見せ、セットプレーでは攻撃の大きなオプションだ。2008/09シーズンのベルナベウクラシコ(2-6)では、デランテロよろしくのプレーで6点目をゲット。
試合状況によっては“9番”として相手エリア内に残ることもあり、本職がデランテロかというほどの技を見せる。
雑情報
・性格は陽気で、チームを盛り上げる宴会部長だった。イタズラをこよなく愛す。大きな勝利を手にした遠征の帰郷便では、DJとして機内で大はしゃぎをすることも。ルックスにも恵まれ、ファッションモデルとしてもたまに活躍(近年は聞かない)。
・2011年からはコロンビア人で世界的歌手のシャキーラ(2人の年の差は10歳、誕生日は同じ2月2日)と堂々交際。2010年ワールドカップ・オフィシャルソングとなった『Waka Waka』のビデオ撮影で知り合ったのがきっかけ。事実上の結婚生活を経て、2013年1月には第一子(ミラン)が、2015年には第二子(サシャ)が誕生した。世界一般ではシャキーラの方が有名でVIP。
・バスケットボールが好きで、ボスの許可さえあれば、(かつてはボージャン、セスク、プジョルらとともに)パラウ・ブラウグラナに馳せ参じてバスケ部を応援する。ポーカーも大好き。夏休みはしばしば大会に参加するほどだ。
・父ジョアン・ピケは2011年11月、小説家デビュー。『DOS VIDAS』の出版発表会には息子のジェラールやシャキーラ、セスク、プジョルも駆けつけ騒然となった。母モンセラは医師(部長)。
・カタルーニャ独立の象徴のような存在となり、スペイン代表では独立反対派から厳しいブーイングを受ける。だがそれを強い精神力で跳ね返す男前。
・ビジネスの世界にも進出しており、楽天の三木谷氏らと創設したKOSMOS社のオーナーを務める。世界テニス連盟と提携し、デビス杯をリフォーム。2018年12月にはFCアンドラ(スペイン3部)のオーナーとなった。
- ※2010年2月、2015年まで契約を延長。
- ※2014年5月、2019年まで契約を延長。
- ※2018年1月、2022年まで契約を延長。
- ※2020年10月、2024年まで契約を延長(出場数規定あり)。
- ※2021年8月、クラブのために減給に応じる。
獲得タイトル
- バルサ
- リーガ(2008/09、2009/10、2010/11、2012/13、2014/15、2015/16、2017/18、2018/19)
- チャンピオンズ(2008/09、2010/11、2014/15)
- 国王杯(2008/09、2011/12、2014/15、2015/16、2016/17、2017/18、2020/21)
- ヨーロッパ・スーパーカップ(2009、2011、2015)
- スーペルコパ・エスパーニャ(2009、2010、2011、2013、2016、2018)
- クラブワールドカップ(2009/10、2011/12、2015/16)
- マンチェスター・ユナイテッド
- カーリングカップ(2005/06)
- プレミアリーグ(2007/08)
- チャンピオンズ(2007/08)
- スペイン代表
- U-17欧州選手権 (2004)準優勝
- U-19欧州選手権(2006)
- FIFAワールドカップ(2010)
- UEFA欧州選手権(2012)
- 個人賞
- UEFAベストイレブン(2010、2011、2012)
- チャンピオンズベストチーム(2014/15)
- FIFA/FIFProワールドイレブン(2016)