5 Puyol | ||
フルネーム | Carles Puyol Saforcada (カルラス・プジョル・サフォルカダ) |
|
ポジション | デフェンサ(セントラル) | |
国籍 | スペイン | |
生年月日 | 1978年4月13日 | |
出生地 | ラ・ポブラ・デ・サグール(レイダ) | |
身長 | 179cm | |
体重 | 80kg | |
バルサ入団 | 1996年(トップチーム昇格は1999/00) | |
デビュー戦 | 1999年10月2日 バジャドリ対バルサ(リーガ、2-2) | |
前所属チーム | バルサB | |
契約終了年 | 2016年 | |
年俸 | 推定500万ユーロ | |
契約解除金 | 1000万ユーロ(条件付) |
経歴
ご存知、バルサの炎のカピタンにしてカタルーニャの象徴的存在。
地元ラ・ポブラ・デ・サグ―ルのクラブでプレーを始めたプジョル。当時はなんとGKでプレーをしていたという。
しかし肩を痛めたことで前線へと転向。そして18歳でラ・マシアに入った1995/96シーズンからは再びポジションを変え、守備的MFとしてプレーしていた。
さらに2年後、バルサBに昇格後は右ラテラルに再配置転換。
これが当たり、プジョルはバルサBの中心選手となっていく。
1998年にはクラブがマラガからのオファーを受け入れたのに反し、親友チャビのトップデビューを見て残留を決断。もしこの時に移籍の道を選んでいたなら、バルサは未来の偉大なるカピタンを失っていたわけだ。
念願のトップデビューは1999年10月2日のバジャドリー戦だった。負傷者続出で駒の足りなくなったバン・ガールがチャンスを与え、プジョルは気持ちを前面に出したプレーでこの機会をものにしていく。
カルラスがさらに才能を飛躍させたのは、セントラルへとコンバートされた2003/04シーズンからだ。誰にも負けない努力と克己の精神によって、彼は誰もが認める世界有数のデフェンサのひとりとなっていた。この年には現役引退したルイス・エンリケからカピタンを引き継いでいる。
キャリアの最初はクラブの暗黒時代だったため、念願だった初のタイトル獲得は2004/05シーズンのリーガ。その後は史上最強チームの土台骨として、燦然と輝くタイトルを次々と手中に収めていくことになる。
クラブ史上、ビッグイヤーを掲げた初めてのカンテラ出身&カタラン人カピタン。2005年サンドニでのチャンピオンズ決勝の優勝セレモニーにて、ビッグイヤーを頭にかぶってしまったのはご愛嬌だ。2008/09にもヨーロッパを制し、同トロフィーを2度掲げた初めてのバルサカピタンにもなっている。
3度目のチャンスとなった2011/12シーズンは、肝腫瘍から復活したアビダルにカピタンマークとビッグイヤー掲げ役を譲った、出来た人物だ。
2012年2月11日のオサスナ戦では、出場56試合連続無敗の偉業を達成。同年にはミゲリ(549試合)を抜き、バルサの歴代試合出場数でチャビに次ぐ2位となっている。
2014年3月、ミゲリのリーグ戦出場記録(391試合)を抜いた2日後にシーズン終了後のバルサ退団を発表。同年5月には退団セレモニーが催され、現役に別れを告げた。そしてアンドニ・スビサレッタSDの助手として強化技術部のスタッフとなるも、2015年1月にスビが解任されたのと同時に退職。選手代理人としてのキャリアを開始した。
スペイン代表:ラ・ロハでも不動のレギュラー。2002年、2006年、2010年のワールドカップと2004年、2008年のUEFAユーロに出場し、無敵艦隊の守りの要として活躍した。2012年のユーロはヒザの怪我のため参加できず。
【プレースタイル】
闘志を全面に押し出したプレースタイルにより、チームのみならず、見るものすべての気持ちに火をつける。デビュー当時は“ただ一生懸命頑張っている”印象の強い彼だったが、プレーを重ねるごとに上手く、そして強くなっていった。
1対1にはめっぽう強く、(三十路を迎え、若干の衰えはあるといえど)スピードもある。身体を張った守備により、バルサが救われたことは数知れず。しかしファールはかなり少ないのも特徴である。
ボール供給はさほど得意ではないが、対人守備の強さは他の追随を許さない。大事な試合(特にクラシコ)ではプジョルの存在は不可欠であり、まだまだ若い衆にはポジションは譲れない。
【その他情報】
身体能力の高さは言うまでもなく、最終ラインからチームメイトを叱咤激励するリーダーとしての才覚が、彼をバルサにとってなくてはならない存在としている。練習への態度も申し分なく、カンテラの後輩だけでなく、全ての選手にとって手本となる偉大なるカピタン。
プジョルといってもう一つ思い浮かぶのは、その怪我からの回復の早さだ。これまで身体のいたるところを負傷してきたプジだが、ほぼ毎回、ドクターの見積もりよりも早期に回復。これもまた彼のプロ精神、努力の賜物だ。
ツイッターでも有名で、ピケ、セスクらとmocmocトリオを構成している。
プライベートでウワサとなって現れるカノジョはいつも若くて美人さん→2013年1月より交際しているバネッサ・ロレンソさん(モデル)と結婚。2014年1月には長女マヌエラちゃん誕生。
- ※2009年10月、海外での挑戦に心引かれながらもバルサとの契約を延長。事実上バルサでの引退を決めるサインとなった。
- ※2013年1月、今度は晴れやかに契約再延長(2016年まで)。
【獲得タイトル】
- バルサ
- リーガ(2004/05、2005/06、2008/09、2009/10、2010/11)
- チャンピオンズ(2005/06、2008/09、2011/12)
- 国王杯(2008/09、2011/12)
- ヨーロッパスーパーカップ(2009、2011)
- スーペルコパ・エスパーニャ(2005、2006、2009、2010、2011)
- クラブワールドカップ(2009、2011)
- スペイン代表
- オリンピック銀メダル(2000)
- UEFAユーロ(2008)
- FIFAワールドカップ(2010)
- 個人賞
- ワールドカップベストイレブン(2010)
- UEFAベストイレブン(2002、2005、2006、2008、2009、2010)
- FIFAベストイレブン(2008、2009、2010)