国民の祝日、そこかしこで見られたセニェーラのシャツ。
9.11といえば世界的に同時多発テロをまず思い浮かべますが、少なくともカタルーニャでは全く異なった意味を持ちます。
9月11日はラ・ディアダと呼ばれる祝日で、こちらの言葉でいえばカタルーニャ国民の日。
スペイン王位継承戦争の末、1714年のこの日にブルボン王朝の軍隊によってバルセロナが陥落し中央政府の支配下になった(地域の特権を剥奪された)ことから、カタルーニャの独立を訴える人たちが盛大に集う日となっています。
昨年は150万人が大規模デモを行い、スペイン債務危機云々もあって日本でも大きく注目されたのは記憶に新しいところ。そして今年は全長400kmにも及んだというVia Catalana(カタルーニャの道。人間の鎖)が作られ、カンプノウもその一部となりました。
カサノバ像への献花とla Via Catalana
ラ・ディアダといえば、1974年の戦いにて最後までカタルーニャ軍を率いて奮闘したラファエル・カサノバの記念碑への献花です。
今年もバルサからはカルラス・ビラッルビ、ジョルディ・カルドネル副会長を筆頭とした理事会のメンバーほか、各スポーツ部門の人々が参加し、フットボルチームではジェラール・ピケとヘラルド・マルティーノ監督がカタルーニャの英雄に花を捧げています。タタさんにとってはこれが初のラ・ディアダ体験です。
そしてもう一つ、バルサ的に話題となったのが“la Via Catalana”と呼ばれる人間の鎖キャンペーンです。
旧ソ連崩壊前の1989年にバルト三国で独立運動の一環として行われ、以来、なんらかの主張を目的として世界各地で実施されているこの人間の鎖。
今回のla Via CatalanaはAsamblea Nacional Catalana (ANC)が運営し、カタルーニャ州の北から南まで86の自治体が協力。160万人の参加によって全長400kmの人間の鎖が出来上がった!として日本を含む世界各地で報じられています。
みなさんが手をつないで鎖となったのは、1714年にちなんで17時14分のことでした。
このla Via Catalana にバルサがどう関わっているかと言いますと、鎖がカンプノウ内をくねくねと通過している点にあります。それもただ単に敷地内が使われるだけでなく、スタジアム正面スタンドにも人々が入って手をつないだ(合計約4,000人)。
これに対してエスパニョールのコレット会長さんは「モンジュイックのオリンピコが使われるのがより自然だった」とコメント。ANCからエスパニョールへは問い合わせも一切なかったと漏らしているのですが、どうせ彼らは参加はしてくれないと見越されていたのでしょう。
(※独立は現実的にほぼ無理とみんな分かった上で、毎年それを主張することが重要というデモであり、人間の鎖みたい。全くの部外者ゆえ、現地の思惑はよく分かりません)
アルトゥール・マス首相からの提案
このla Via Catalana など、ラ・ディアダに参加した人たちは多くが青星付きのカタルーニャ州旗や黄色地に赤い4本線の入ったTシャツをまとっていたのですが、それらに混じってちょいちょいと見られたのがバルサの13/14セカンドユニフォームでした。
発売されるやカタルーニャ以外でも良い評価を受け、バルサ史上最も売れたセカンドユニフォームとなった今季のセニェーラモデル。ラ・ディアダでのイベントに着用しようと多くの人々が考えるのはごく自然な成り行きですし、カタルーニャの象徴として自分たちのユニフォームが用いられることをバルサも喜んでいるでしょう。
FCバルセロナがセカンドユニフォームにセニェーラ柄を採用するに至った過程については、11日付けのSPORT紙で説明されています。
時代の渦がバルサにこのデザインを着せたのは必然とはいえ、決断を下した人たちがいたからそれは実行された。今回大きな役割を果たしたのはバリバリのカタルーニャ主義者であるサンドロ・ロセイ会長と、ジェネラリター(カタルーニャ自治政府)長であるアルトゥール・マス氏だそうです。
いつかバルサがセニェーラ柄のセカンドユニを着るというアイディアは、2010年12月27日、マス氏の首相就任の際に生まれました。
ジェネラリターの新代表となったマス氏がその日ロセイ会長らバルサ代表と会談し、なんらかの流れでユニの話題となった時、バルサ会長が自分の任期中にセニェーラユニを実現させると約束したのです。ジェネラリター筋の証言によれば、提案したのはマス氏だった模様。
このアイディアを実現するべく、バルサからNIKEへは程なくして希望は伝えられたました。そして2年の歳月を経て、NIKEはカタルーニャ政府トップの(非公式ながら)リクエストを現実のものとした。誰よりも早く試作品を見せられたというマス氏は、もちろんのことながらご満悦だったようです。
ユニフォームサプライヤーとしましても、バルサ史上最も売れたセカンドユニを提案してくれたロセイ会長とマス首相には感謝というところでしょうか。
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