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23 I. Cuenca | |
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フルネーム | Juan Isaac Cuenca Lopez (ファン・イザーク・クエンカ・ロペス) |
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ポジション | デランテーロ | ![]() |
国籍 | スペイン | |
生年月日 | 1991年4月27日 | |
出生地 | カタルーニャ州レウス | |
身長 | 181cm | |
体重 | 65kg | |
バルサ入団 | 2002年(トップチーム昇格は12年1月) | |
トップデビュー | 2011年10月19日 バルサ対ビクトリア・プルゼニ(チャンピオンズ、2-0) | |
前所属クラブ | バルサ・カデッテB (05-06) ダム (06-07) レウス (07-09) バルサ・フベニールA (09-10) サバデイ (10-11) レンタル バルサB (11-12) |
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契約終了年 | 2015年 | |
移籍金 | なし | |
年俸 | 150万ユーロ | |
契約解除金 | 2000万ユーロ |
経歴
テクニックの高いエストレーモ。
紆余曲折の道のりの末、ついにトップチームまで上ってきた苦労人カンテラーノだ。
バルサ入団は11歳と若かったイザークだが、そこからの道は平坦ではなかった。
なんとトップ契約を手にするまでに、彼は2度もクラブを去っているのだ。
紆余曲折:2002年にバルサの扉をくぐりインファンティルBのメンバーとなったクエンカは、2005年にカデッテBへと昇格している。しかし2006年夏にはCFダムへと移籍。さらにその翌年には、故郷のレウスへとプレーの場を移すことになる。そして2009年夏にバルサのフベニールAへと復帰するのだが、2010/11シーズンには再びサバデイへとレンタルされてしまう。
サバデイのセグンダA昇格に貢献したことが評価され、2011年夏にバルサBのメンバーとなったクエンカを、ペップ・グアルディオラは密かに注目していた。後に曰く、「2度クラブを離れて、それでも戻ってきた彼にはナニかがある」。ミスターはイザークをプレシーズンのツアーに呼び、その後も頻繁にトップチームの練習に参加させることで、経験を積ませていった。
2011年10月にトップデビューをしてからは、実質ペップチームの一員扱いだった。
怪我に泣く:そして2012年1月31日、契約を延長すると同時にクエンカはトップ契約を手にしている。
これに伴い、背番号を39から23へと変更。23を選んだのは、マイケル・ジョーダンに憧れているからだ。
不運だったのはトップ昇格した2011/12シーズンの最後に右ヒザを痛め、半月板の手術を余儀なくされたことだ。
これによりクエンカは2012/13シーズンの前半戦を棒に振り、2013年1月31日、アヤックスへの期限付き移籍が発表された。
しかしその後も怪我は続き、出場はわずか3試合。
バルセロナへと戻った2013年6月8日、再び右ヒザ半月板の関節鏡手術を受けている(全治3-4ヶ月)。
プレースタイル
クエンカの持ち味は戦術理解力と高いボールコントロール技術、機を見てのタテへの突破、そして精度の高いクロスボールだ。右サイドでも、左でもプレー可能。
下部カテゴリー時代はメディアプンタをやっており、チームメイトだったテージョのゴールをアシストしまくっていたという。それだけあって、パスの出し方は上手い。ペップ曰く、「なにもしないという選択肢を持つインテリジェントな選手」だ。
その他情報
ある会見でグアルディオラに「身体的に異性にモテるタイプではないけれど・・・」といじくられていたが、カノジョはいる。
- ※2012年12月、バルサとの契約を2015年まで延長。
- ※2014年7月11日、バルサとの契約会場で合意し、デポルティボへと移籍。スエルテ!
- 【イザーク・クエンカ関連記事】
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【獲得タイトル】
- バルサ
- 国王杯(2011/12)
- ヨーロッパスーパーカップ(2011)
- スーペルコパ・エスパーニャ(2011、2013)
- クラブワールドカップ(2011)