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キニよ、いつまでも

バルサとスポルティングで大きな足跡を残した元デランテロが逝く

2018年2月27日、FCバルセロナとスポルティング・ヒホン、そしてスペインフットボール界の伝説的人物が急逝しました。エンリケ・カストロ、通称キニ。1970年~80年代に活躍し、リーガ得点王に5回も輝いたデランテロです。

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日本ではあまり馴染みのない人物ですが、今日28日はスペインのスポーツ紙が揃って彼を表紙にしているところからも、その存在の大きさが分かります。

死因は心不全。
ヒホンの自宅に向かっている車中で心臓が停止し、病院へと搬送される救急車内で一度は蘇生に成功したらしいのですが、病院到着前に再び心停止、帰らぬ人となりました。享年68歳でした。

低迷期の希望

伝説のキニの死去に関し、SPORT紙のエルネスト・フォルク編集長は2月28日の紙面に「キニを忘れることは、私たち自身を忘れるようなことになるだろう」とのコラムを記しています。

彼曰く、「バルセロニズモにはキニとともにフットボールが始まった世代があり」「私たちがカンプノウに行き始めた頃(父のひざに乗せられていた)、父たちはバルサの9番(キニ)に見とれるために足を運んでいた」

キニがバルサで活躍したのは1980年から1984年までの4シーズン。

クラブ創設以来初となる一般ソシオの投票によってジュゼップ・ルイス・ヌニェスが会長に選ばれ、選手ヨハン・クライフがバルサを去って2年後、リーガ優勝は10数年に一度程度だった頃で、キニはクレにとっての希望のような存在だったわけです。

さらにこのキニさんは人格もすばらしく、人々に愛される存在でした。

ヒホンとバルサで5度、ピチーチに輝く

キニのプロフットボール選手としてのキャリアは、第1次スポルティング・ヒホン時代(1968-80)、バルセロナ時代(1980-84)、第2次スポルティング・ヒホン時代(1984-87)に分かれます。

ヒホンでは1973/74、1975/76、1979/80にリーガ得点王を獲得。
チームが降格した1969/70と1976/77年も、セグンダで最多得点者となりました。

そんな彼をバルサは何年間も狙っていたのですが、スポルティングが手放そうとはせず。
SPORTによると、降格してもなお移籍を拒まれたことで、キニは引退も考えたそうです。
バルサ入団の夢は1980年夏にようやく実現。キニが31歳の時でした。

三十路での入団。
にもかかわらず、バルサ初年度にピチーチに輝いてしまうから感銘を受けます。
この1980/81シーズンの3月、彼は誘拐というショッキングな事件の被害者になっています。

誘拐事件

キニが誘拐されたのは1981年3月1日のことでした。

カンプノウでのエルクレス戦が終わったあと、バルセロナ・プラット空港に奥さんを迎えに行ったキニは、二人の男にワゴン車に乗るように命じられ、行方不明になります。この事件はスペインのみならず、ヨーロッパ中に衝撃を与えたそうです。

幸い、誘拐犯グループは3月26日に逮捕され(金目当ての犯行だった)、キニも無事だったのですが、チームメイトを誘拐されたバルサにまともな試合ができるはずもありません。

リーガ残り7試合で首位アトレティコ・マドリーまで2ポイント差に迫り、逆転優勝も可能だといわれていたバルセロナは失速、最終的には首位から4ポイント差の5位でシーズンを終えています(優勝はレアル・ソシエダ)。

驚くべきは、事件後のキニが犯人たちへの告訴を取り下げ、許す姿勢を見せたことです。
バルサは訴訟を継続し、勝訴、犯人たちには10年の実刑と選手への500万ペセタの支払いが命じられたのですが、キニはこのお金を受け取らずと。なかなかできることじゃありません。

バルサのリーガ3,000ゴール

キニのエピソードとしてもう一つ有名なのは、誘拐事件から3ヶ月後、 6月18日に行われたコパの決勝戦です。

この試合の対戦相手は、奇しくも彼が12シーズンを過ごした古巣のスポルティング・ヒホン。
クラブ史上、プリメーラや国王杯での優勝のないヒホンだけにキニとしても複雑な心境だったでしょうが、そこはそこ。このファイナルで彼は2ゴールを決める活躍を見せ(3-1)、バルサにタイトルをもたらしています。

(悪夢のシーズンをコパ優勝で終えたバルサを、50万人のファンが街頭に繰り出し勝利を祝ったという)

キニといえば、バルサのリーガにおける3,000個目のゴールを決めた選手でもあります。
3,000ゴールがキニ、4,000ゴールがギジェルモ・アモール、そして5,000ゴール目がレオ・メッシです。

バルサで5つのタイトル(1982年のカップウィナーズカップ、1981年と1983年の国王杯、1983年のコパ・デ・リーガ、1983年のスーペルコパ)を獲得、2度のピチーチに輝いた後(1980/81、1981/82)、キニは1984年にスポルティング・ヒホンへと復帰。
38歳で現役を引退して以降はヒホンのテクニコやクラブ特使として働き続けていました。

偉大なるゴレアドールのバルサでの活躍に感謝。
現役時代のことは知らないのですが、ゆっくりと休んでください、キニ

 

このニュースのまとめ

  • ・“キニ”ことエンリケ・カストロ氏が2018年2月27日に逝去
  • ・バルサには1980/81から4年在籍し、ピチーチに2度輝く
  • ・選手としての才能だけでなく、人格の素晴らしさで愛された
  • ・誘拐されたことでも有名

 

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