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ありがとう、ヨハン。

バルサの伝説ヨハン・クライフ逝く。

2016年3月24日、悲しいニュースが世界中を駆け巡りました。フットボル界に革新を起こし、FCバルセロナのプレースタイルを確固なものとした英雄ヨハン・クライフ(1947年4月25日生)が68歳の若さでこの世を去る―。死因は昨年から患っていた肺ガンということも、個人的には特別な意味を持ちます。独自の切り口によるコラムや発言も楽しかった人物。これから寂しくなります。

肺ガンを患い

ジョハン・クルイフ(カタルーニャ読み。たぶん)は昨年10月に肺ガンと診断されたことを公表し、公けの全ての活動を休止。闘病生活に入っていました。今から1月と少し前には自らのウェブページを介して「ドクターたちのすばらしい仕事や人々の愛情、私の前向きなメンタルによって、ここまでの治療結果は好ましいといえる」「私の感覚としては、前半は2-0で勝っている。試合はまだ終わってはいないものの、自分が最後も勝つだろうと確信してる」とコメント。朗報として伝えられました。それだけにこの突然の訃報は驚きであり、ショックでした。

ごく個人的なことも書きますと、わたくしの母親もまた今年1月に肺ガンによってあの世へと旅立っております。なので同じ病を患っていたクライフ御大には回復を期待していました。しかし、、、対戦相手はかなり厳しいヤツだった。苦しい試合となったことでしょう。お疲れ様でした、Johan。ここからはゆっくりと休んでください。

バルサの礎を築いた名将

昨年のトリプレーテ祝勝会@カンプノウにてジェラール・ピケが言った台詞「ありがとうケビン・ロルダン!キミから全てが始まった!」。この言葉はバルセロナ界隈で大ヒットし、今でもジェリが代表戦で指笛を鳴らされ続けるその一端となったわけですが、もっと大きなサイクルとしてバルサで“全てが始まった”のは、このクライフが監督となってクラブに戻ってからでした。現在世界中のファンに愛され、称えられ、またある方面の人々からは嫉妬されるバルセロナスタイルは、クライフによって確立され、ライカーペップによって継承されてきたものだからです。

バルセロナといえば攻撃的フットボル、なる認識はかつてより存在していたといいますが、ポゼッション、ポジションチェンジ、エストレーモ、ピボーテ、ティキタカなどに象徴されるスタイルとカンテラ起用がバルサに根付いたのはクライフ監督のドリームチームからです。あの栄光の時代を経てバルサは自他ともに認めるグランデとなり、独特なフットボルを志向する“ユニークな”クラブとなります。クライフ無しでは、バルサは並みのビッグクラブ止まりだったことでしょう。

クライフがバルセロナの監督に就任した1988年当時、クラブには嵐が吹き荒れていました。ジョゼップ・ルイス・ヌニェス会長による運営は行き詰まり、反ヌニェス派との二派に分かれてのお家騒動が繰り返される日々。選手たちが会長の辞任を求めるという“エスペリアの反乱”なる事件も勃発し、バルサは崩壊の危機に瀕していました。そこらのクライシスなんて可愛く思えるほどのクライシス。そこでヌニェスが一発逆転の望みをかけてチームを託したのが、このクライフ監督です。この大勝負が見事成功するわけですから、バルサもヌニェスもラッキーでした。

その後、クライフ率いるバルサ号は幾つかのピンチに直面しながらもそれらを乗り越え、リーガ4連覇、チャンピオンズ初制覇といったタイトルをクラブにもたらしていきます。クライフの到来によって、バルサのサイクルは大きく変換されました。木曜日にサンチアゴでのチリ戦を終えたあと、リオネル・メッシは次のようにコメントしています。

クライフはバルセロナのフットボルと考え方を変えた。ここ数年でバルセロナがもたらしたものの大部分は彼によるものだよ。彼はフットボル界とFCバルセロナに非常に大きな影響を残した人物だ」

結果を最優先するフットボルでタイトルを獲得してきた監督は世界に数多くいますが、フットボルに革新をもたらし、歴史を作った人物となると数えるほどしか存在しません。ヨハンはそのなかでもトップクラスの革新者でした。彼のおかげで今のバルセロナがあり、極東に住む私たちがバルサに魅せられている。クレとしてこうして毎週お楽しみがあることには感謝の言葉しかありません。ありがとうヨハン。ありがとう、ヨハン。

 

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