厳しい道のりの中で、我慢を選択したドン。
6月24日(月)の現地早朝、「伝説の曲を聴きながら、バケーションに出発中」との呑気ツイートを行ったチアゴ・アルカンタラ。おおよそ休暇らしからぬ、そわそわして落ち着かない数日となるであろうこと確実のセントロカンピスタですが、メディアに伝えられていることが事実であるとするならば、彼は近々赤いユニフォームを手に記念撮影するのでしょう。クレとしては残念ですが、致し方ありません。来年行われるムンディアルがブラジル開催であり、野心溢れる若者の違約金が1,800万ユーロぽっちだったなら、そういうことにもなりましょう。
“カンテラ枠”のなかった時代
チアゴの件が議論される中で、必ずお手本として名前が登場してくるのはアンドレス・イニエスタとチャビ・エルナンデスです。彼ら2人が大きな壁として君臨している今の時代のカンテラーノたちも相当に大変ですが、イニエスタたちはまだカンテラーノがトップチームにほとんど定着しない(チャンスも与えられない)時代の苦労人たちだったわけで。今であれば当のチアゴであり、ジョナタンであり、セルジ・ロベルトであり、“セントロカンピスタのカンテラーノ枠”(自家製後継者枠)みたいなものがふわっと存在しますが、ドンたちは標識すらない荒野を自らの足で切り開いてきたスゴさにより、大きな賞賛を手にしているレジェンドです。
アルカンタラ兄以上に“ラ・マシアに天才あり!”と言われていたイニエスタでしたが、当時のクラブにはトレーニングにフィリアルの選手を参加させよう、なんてシステムも確立されてはおらず、このまま頑張っていればトップに上がれるという確かな希望も彼にはなかったでしょう。夏になれば白いチームが狙っているというウワサが立ち、他国からの誘いの声も数々。しかしドンが去るかもしれないとの不安を、クレは特に抱いていなかったと記憶します。
じっと忍耐強くチャンスを待ったイニエスタは18歳でトップデビューし、21歳当時はデコやチャビの控えでスーパーサブとなっていました。背番号8をもらったのは23歳の時(2007/08)。この頃はまだ便利屋的な扱いで、今の地位を築き始めたのはペップ・グアルディオラがやってきてからです。そう考えると、トップチームで明らかに居場所があるのに成功を急ぐ若者には、そう焦りなさんな、とも思ってしまうのですが、まあ余計なお世話でしょう。
アドバイスは送らない、送れない
ところで。少し前、チアゴの去就について訊ねられたチャビは、「もう少し忍耐を持つことを勧める」とコメントをしていましたが、ドン・アンドレスの考え方はそれとはまた違っています。そのあたりもまた、個性が表れていて面白いものです。25日付のSPORT紙のインタビュー記事の中で、イニエスタは新天地での挑戦を目指すことについて次のように話しています。
「アドバイスを送りたいとは思わないよ。置かれた状況は選手によって異なっているんだ。選手はそれぞれに、各自の瞬間を生きてる。各自が自分の状況を分析しているし、物の見方もそれぞれで違うからね。だからアドバイスなんて送ることは出来ない。他人が自分と同じように物事を評価するように試みることは出来ないんだ」
「僕の場合は、考えはハッキリしていたよ。僕は苦労をしたとしても、バルサで成功したいとだけ思ってた。実際かなり苦労はしたけどね。自分にとってはそれがベストだと考えたんだ。人はそれぞれの状況の中で決断をしなければならない。僕の決断が失敗だった可能性は勿論あるけど、幸い物事は上手く運んだよ」
バルサにおいては、忍耐強く待つことが正解とは限りません。むしろ、そういうケースは少ないでしょう。ジョナタンは1年粘ったけれどもダメでしたし、セルジ・ロベルトにしてもどうなるか分からない。さらに次世代のセルジ・サンペル(18歳。今年5月、バルサとの契約を2017年まで延長)もまた然りです。なので去ることを選ぶ選手を非難はしないけれど、監督が構想に入れているキラキラ星には、出来れば残ってカンプノウで挑戦してほしい。稀有なケースとはいえど、ドンのような最高のお手本がいるわけですからね。そして残った選手には、よりいっそうの愛着が湧くクレであります。
コメント
バルサで生き残れば正真正銘のクラックになれる可能性があるのに残念です。他のクラブではやはりイニエスタやシャビ程の選手になるのは難しいでしょうね…