15 Bartra | ||
フルネーム | Marc Bartra Aregall (マルク・バルトラ・アレガイ) |
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ポジション | デフェンサ(セントラル) | |
国籍 | スペイン | |
生年月日 | 1991年1月15日 | |
出生地 | サン・ジャウマ・デルス・ドメニース(タラゴナ) | |
身長 | 183m | |
体重 | 70kg | |
バルサ入団 | 2001年 | |
デビュー戦 | 2010年2月24日 アトレチコ・マドリー対バルサ(リーガ第22節、2-1) | |
前所属クラブ | バルサB (10-12) | |
契約終了年 | 2017年 | |
移籍金 | なし | |
年俸 | 推定200万ユーロ | |
違約金 | 4,000万ユーロ (試合出場30%未満で800万ユーロに下がる) |
経歴
バルトラが生まれた町タラゴナは、バルセロナから電車で1時間弱のところにある。
ローマ時代の移籍で有名なこの町から、マルク少年は日々バルセロナへとフットボルをするために通った。
最初に入団したのはバルサではなく、ライバル関係にあるエスパニョールだ。しかしながらバルトラはわずか1年で青白チームからアスルグラナへと籍を移す。2001年、10歳の時だった。
アレビンAにはじまり、インファンティルのBとA、カデッテのBとA、フベニールのBとAと、バルトラもまたすべての下部カテゴリーを一歩ずつ昇格してきた選手だ。
トップデビューは2010年2月24日、ビセンテ・カルデロンでのアトレチコ戦(2-1負け)。この日のペップチームは守備陣が火の車で、バルトラは右ラテラルで先発したジェフレン(!)と交代で60分にピッチに入った。
ポジションはそのまま右ラテラルだった。
その後の2シーズンはトップチームの練習に参加しつつも、主にバルサBでプレーをする生活が続く。
トップチーム昇格は、ティト新体制がスタートした2012/13シーズン。当初はセントラルに負傷者が相次ぎながらも起用されずにいたが(無用なプレッシャーをかけないためのティトの親心)、10月末のセルティック戦でついに先発となって以降は、ぼちぼち出番を手にしていっている。
タタ・マルティーノ監督となった2013/14シーズンはプジョルが怪我に悩まされたため、ピケ、マスチェラーノに続く第3のセントラルとしてチームに貢献。計算の出来る選手として成長していった。
ルイス・エンリケが監督に就任した2014/15シーズンは、マテュー加入によって序列の4番目となり、ファンにとってももどかしい一年となった。ピケのパフォーマンスが復調し、ポジションを空けなかったことが大きい。
結果、2シーズンでの合計出場数が50に届かず、契約条項によって違約金が1,200万ユーロへと減額。去就が注目を集めたが、バルサでの成功を求める心で残留を選択した。
しかし勝負の一年と気合で臨んだ2015/16シーズンも満足な試合出場機会を得ることができず、さらに安価となった契約解除金の支払いで新天地ボルシア・ドルトムントへの移籍を決断。バルサ生活に終止符を打った。
スペイン代表では2013年6月、レギュラーとして臨んだU-21ユーロで優勝。
【プレーの特徴】
ピッチ上での特徴は、エレガントさを感じさせるプレーにある。
カンテラ歴10年余のセントラルとあって、テクニックは上々。なんとなく似た感じもするピケと同じく、パスが上手だ。身長も183cmにつき、空中戦も得意。時折気持ちのこもったゴールを決める。
ぶっちぎりというほどではないが、スピードもある。
【雑情報】
・私生活ではテレシンコでMotoGPのレポーターを務めるメリッサ・ヒメネスさんと交際中。2015年8月、娘のガラちゃんが誕生。
※2011年12月、バルサとの契約を2014年まで延長。
※2014年3月、バルサとの契約を2017年まで延長。
※2016年6月、契約解除金800万ユーロ支払いでドルトムントへと移籍。幸運あれ!
- 【マルク・バルトラ関連ニュース】
- ■シンデレラボーイ、バルトラ(2012年10月25日)
- ■バルトラは挫けない「状況はどんな時でも変えられる」(2016年3月14日)
- ■プジョル代理人とバルトラ(2015年11月26日)
- ■選手がバルサを退団する理由:バルトラの場合(2016年6月13日)
【獲得タイトル】
- バルサ
- リーガ(2012/13、2014/15、2015/16)
- チャンピオンズ(2014/15)
- 国王杯(2014/15、2015/16)
- スーペルコパ・エスパーニャ(2013/14)
- ヨーロッパ・スーパーカップ(2015/16)
- クラブワールドカップ(2015/16)
- スペイン代表
- U-21ユーロ(2013)