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ティト・ビラノバ。

 

FCバルセロナの次期監督はこんな人。

リーガにおけるタイトル争いは事実上終了し、首都方面はマドリーがいつワッショイするのかといったところに興味を注いでいる今日この頃。バルセロニスタとしては無論そんなものに関心はありませんので、メディアに登場するネタは、来シーズンの補強に関するものの割合が増えてきています。MUNDO DEPORTIVO(MD)紙、SPORT紙それぞれに少しずつ挙がっている名前は違っていますが、共通しているのはどちらも、デランテロに大型補強があるんじゃないかと言っている点です。

 

◇”9番”への再挑戦

具体的には、SPORTがフェルナンド・ジョレンテとバン・ペルシー。MD紙がドログバ、トーレス、そしてバン・ペルシー。どちらにも第2候補的な扱いですが、ペルシーは何気に人気株のようです。それぞれ異なった個性を備えたこれらデランテロたちの特徴は、攻撃のターゲットマンになれる、いわゆる”9番”タイプの選手だというところ。イブラヒモビッチの時には失敗に終わった”9番”システムに、ティト・バルサは再挑戦しようとしていると読むことができます。

フットボル界にセンセーションを起こした、メッシを”偽9番”へと置いたシステムは強力な破壊力を有してはいるものの、守備力に自信のあるチームたちはこの2年で、その対抗策を用意することに成功してきています。中央をガッチガチに固められ、レオがかなり低い位置まで下りてくることもしばしば。サイドのスペースをえぐれても、センタリングが脅威にならない場面が多々ありました。2列目からの飛び出しも、コンディションが悪ければできない。というわけで、再びデランテロ・セントロに賭けてみようということになったようです。

そして最優先候補となっているらしいのが、空中戦に強く、バルサに最もフィットしそうなジョレンテ。ペップ時代にもウワサのあった彼ですが、ズラタン失敗以降のチームはビジャであり、アレクシスといったタイプのデランテロに賭けてきたので、移籍実現はありませんでした。それが今年の夏は本気をだして獲りに行くようなので、今後の動向に注目してみましょう。

 

◇ペップと同期生

ここで一度、2012/13シーズンのFCバルセロナを率いるティト・ビラノバという人物をクローズアップしてみましょう。ペップ・グアルディオラの右腕であることはクレなら誰もが知っていますが、それ以外のこと、どういう経歴の人物であるのか、性格やエトセトラについてはほとんど知らない。今後は長くお付き合いする(そうであってほしい)人なので、ここはちょっと調べてみました。

まず基本的なデータでは、誕生日は1969年9月17日の42歳。ペップ・グアルディオラよりは1年4ヶ月ほど早い生まれです。出身地はカタルーニャのBellcaire d’Emporda(人口700人ほど)。バルセロナから地中海沿いに北上し、もう少しでフランス国境といったあたりの町。ジローナとフィゲラスが最寄の少し大きな町です。

ティト・ビラノバは1984年、バルサの下部カテゴリーに入団しました。グアルディオラとは同期となります。ここで順調に成長していったティトですが、クライフに見出されてドリームチームの中心となっていくペップとは異なり、彼はトップチームへはたどり着いてはいません。バルサでのプロ生活は、フィリアルで過ごした2年間のみ。そこからは合計8チームを渡り歩く、苦労人タイプの選手生活を送っています。セルタ時代が彼の選手としてのピークで、プリメーラには26試合に出場しました。

Marti Perarnau氏執筆の”Senda de Campeones”という本の中で、ビラノバはバルサB時代のこんなエピソードを語っています。「クラブとの契約を延長する時、レシャックとクライフにバルサBにいるのは2年だけにしたいと言ったんや。僕は21歳やったし、もし2シーズンでトップチームに上がれないのであれば、ここを出て行くとね。時間の経過とともに、自分が間違っていたことに気付いたよ。僕のプレースタイルはバルサにはピッタリと適応したけれど、他のチームでは別のスタイルに合わせるのが簡単やなかったからね。成功していたとはかぎらへんにせよ、出て行くのを急ぎすぎた。21歳で出る必要はなかったんや」

 

◇責任感が強く、しつけられていて、意欲的

ティトの人物像については、かつてのボスたちの証言が幾つかの記事に載っています。そのひとり、フィリアル時代に彼を監督をしていたルイス・プジョルさんは当時のティトについてこう語っています。「すばらしい人柄だったけれども、その年齢としてはマジメすぎたよ。内の感情をほとんど外には出さず、責任感が非常に強く、よくしつけられていて、人の意見をよく聞ける子だった」

また、セルタ時代の監督であるチェチュ・ロホさんは、23歳頃のティトのことをこう振り返りました。「よくしつけられて、気取るところのない子だったし、非常によく訓練されていて、学ぶ意欲を持っていたね。そして彼は、出場機会のない時には、ゲームの展開をとても注視する選手だった。全てに注意を払うことを好んでいた」

ファンとして気になるのは、ティトがスター揃いのバルサのロッカールームをまとめていけるかどうかですが、これについてはロホさんは心配無用との太鼓判を押しています。「ティトには強いパーソナリティがある。マジメで分別があるということは、なにも指揮する能力がないという意味ではないからね。彼は上手くやるよ。何故なら、彼はバルサをとてもよく知っていて、ペップと長年仕事をしてきた。そのことを選手たちは尊重することだろう」

ティトはセルタでプレーした後、バダホス、マジョルカ、レイダ、エルチェ、グラマネと渡ってプレーを続けてきました。最後は家族の仕事の問題でカタルーニャに戻る必要があり、他のオファーを蹴ってグラマネに入団したのですが、お金が最優先ではないということを示すエピソードを、グラマネの会長アントニ・モラレスさんが次のように明かしています。「彼とは2年契約を結んでいたんだけれど、2年目にヒザを負傷してね。フットボルをプレーし続けることができなくなったティトは、私にこう言ったんだ。”アントニオ、僕はもうプレーできへんから、残り分の給料はもらわんとくよ”。お金を得るためだけに契約満了まで残る選手がいる中で、これは彼のすばらしい誠実さを表している」

 

◇セットプレーを得意とする

現役を引退したティト・ビラノバは、即座に指導者としての道を歩み始めます。どこまでもフットボルを愛する故に、引退したならコーチライセンス取得、はごく自然な流れでした。2001年夏、バルサはちょうどフットボル・バッセの責任者だったジョアキム・リフェが、カルレス・レシャック(当時のトップチーム監督)の協力を得て、下部組織の強化を計画していたそうです。そこでグラマネに在籍していて、怪我で現役を引退しようとしていたティト・ビラノバに白羽の矢を立てた。ねえ君、カデッテB(14-15歳)の監督をやってみない?というわけです。もちろんティトはこの誘いを迷うことなく承諾。2002年より、スタッフとしてバルサに加入することになりました。

この時、カデッテBを率いていたのは、ドン・アンドレスを見出しメッシも育て上げた後の下部組織の統括責任者アルベール・ベナイジェスさんです。ティトはそのベナイジェスさんに1ヶ月ほど師事したあと、後を継いでカデッテBの監督となった。その彼がティトを称し、「自分は彼の師匠やない。いろいろと教えてもらったのは私や」(SPORT紙)というのですから、当時から才覚を表していたようです。特にビラノバが得意としていたのは、セットプレーでした。ベナイジェスさんはこうも語っています。「私たちが一度もやったことがないような、新しいプレーをもたらしてくれたんや」

ティト・ビラノバは”生徒”にも恵まれていました。当時のカデッテBには”87年世代”と言われるメッシ、セスク、ピケが在籍。そのティトの持ち込んだセットプレーのキッカーを務めていたのがまさにセスクやメッシで、とりわけセスクは、スペシャリストとしてかなりのキックを任されていたということです。このあたり、来季は今と修正があるかもしれません。

ベナイジェスさんはまた、ティトの長所についてこう説明しています。「決断を下す際の冷静さが際立っている。彼はどんな時も、ベンチで落ち着き払っているよ。いろいろなことを考えてね。シーズンを左右しかねないような緊張感高まる瞬間においては、それは非常に大事なことや」

ティト・ビラノバは87年世代たちが昇級していった次のシーズンもカデッテBを率い、その2002/03シーズンをもって一度バルサを去っています。それは何故か。理由は簡単です。2003年の夏にはジョアン・ラポルタ新会長によるバルサがスタートし、スポーツ部門の副会長だったサンドロ・ロセイが、フットボル・バッセの責任者をジョゼップ・コロメールへと変更。コーチたちも複数名が入れ替えとなり、そのなかの1人がティトだったわけです。政権交代による犠牲者、というところです。ラポルタ新会長とは関係なく、ベナイジェスさんもここでクラブを一度去っています。

バルサを出たティトは2003年、パラフルジェイの監督を務め、後にフィゲラスとテラッサのスポーツディレクター(?)となっています(現場ではなく、デスクワーク職への変更)。そしてテラッサの監督に就任しようとしていた2007年の夏に、ペップ・グアルディオラに声をかけられ、コンビを組んでバルサBでのチャレンジをスタートした。一度はクビになったクラブで、世界中から称賛を集めるトップチームの指揮を執ることになったティト。なんとも数奇な人生ではないですか。

 

◇その他、ティトあれこれ

●趣味は映画とテニス
●ふたりの子供たちと過ごす時間が好き
●父は元村長
●故郷の海も好き
●ペップに負けず劣らずの、フットボルの虫
●息子のアドリアはバルサのカデッテBでプレー中

ティト・ビラノバに関するニュースは他にもあるのですが、今回は長くなってきましたので、機会がありましたらまた後日。

 

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