13歳でバルセロナにやって来てから、ちょうど20年が経過
少年は世界最高選手となり、バルセロナで歴史を築いた
昨日2020年9月17日は、レオ・メッシのバルセロナ到着からちょうど20周年の記念日でした。ギガクラックがバルサで紡いでいく歴史はこの日から始まった。この夏はいろいろあり、ひっそりと20年を振り返っていた可能性も高かったわけですが、結果としてレオはまだバルサにいる。この一年を僕らは楽しまねばなりません。
2000年:伝説の始まり
2000年9月17日、当時13歳だったレオ・メッシは、父ホルヘさんに付き添われてバルセロナにやって来ます。目的はFCバルセロナの入団テストを受け、バルサ選手となること。仲介役となってテストを実現させたジュゼップ・マリア・ミンゲージャさんには感謝しかありません。
この時、カンテラ責任者だったカルラス・レシャックがレオを一目見て言った言葉「彼と契約せねば!そうでなければ私たちは一生後悔することになるだろう」や、12月に紙ナプキンで交わされた入団契約の逸話は有名な話です。
2001年:出場2試合目でいきなり骨折
レオ・メッシが正式にバルサ選手となったのはこの年の1月8日のことです。しかし彼は2試合目の試合で左脚の腓骨を骨折するアクシデントに見舞われてしまう。全治3ヶ月の怪我でした。幸いだったのはこれが単なるアクシデントに終わったこと。元気に復活したメッシは、翌シーズンから圧倒的フットボールで数々のゴール記録を塗り替えていきます。
(その記録を次はボージャンが塗り替えていく)
2002~2003年:ものすごい少年がいるとざわめく
カンテラに並外れた少年がいるらしいぞ、とのウワサが出始めたのが2003年頃です。
後にトップチーム監督となるティト・ビラノバがコーチをするカデテBから始まり(ピケ、セスクがチームメイト)、カデテA、そしてフベニールA・B、さらにバルサCへと駆け上がっていくレオ少年。もはや彼が他とは違う選手なのは明らかでした。
2003年11月16日には、FCポルトの新スタジアム、ド・ドラゴンの落成記念試合に初招集。フランク・ライカールトによってデビューも飾っています。
2004年:公式戦デビュー
3月にバルサBでデビューしたメッシを、ライカールトはプレシーズンに呼びます。いよいよあのメッシがトップチームに入るぞ、と胸をときめかせるクレ。たしか書類の関係で公式戦デビューは10月までずれこみ、やきもきしたのを覚えています。
ラ・リーガ初出場は10月16日、ムンジュイックのエスタディオ・オリンピコで行われたデルビー。デコと交代での出場でした。背番号は「30」。17歳と3ヶ月。
2005年:初ゴールと、ガンペル杯でのセンセーション
レオ・メッシのバルサでの初ゴールは、2005年5月1日のアルバセテ戦で生まれています。ロナウジーニョのパスを受け、GKの頭上を抜くゴールを決めるのですが、1回目はオフサイドの判定。しかしそのすぐ後に、ほとんど同じ形で決めてしまったことがバルセロニスタを驚かせました。
6月にはワールドユースで得点王&MVPを獲得。そして8月24日のガンペル杯でユベントス相手にセンセーションを起こし、ファビオ・カペッロに「この年でこんな資質の選手は見たことがない。気に入った!」「ライカールトにレンタルをお願いしたが無理だった」と絶賛されたことで一気にメッシの名前は広まりました。
9月にトップチーム契約獲得。実はエスパニョールへのレンタル話もあったメッシです。
■FIFAワールドユース最優秀選手(2005)
■FIFAワールドユース最多得点(2005)
2006年:怪我に泣いたチャンピオンズ
思い出されるのはチェルシーとのチャンピオンズ準決勝。太ももの筋肉を負傷し、涙を流しながらピッチを後にするレオの姿です。もちろん、バルサが24年ぶりの優勝を果たすパリ決勝(対アーセナル)では出場できず。この当時のメッシはしばしば筋肉系の怪我をしていました。
夏のドイツワールドカップでは、アルゼンチン代表デビュー。
2007年:衝撃、ヘタフェ戦の5人抜きゴール
ライカールト&ロナウジーニョ時代が斜陽期に入り、タイトルと無縁だったシーズン。あまり良い記憶はない年ですが、国王杯ヘタフェ戦で見せた5人抜きゴールはその決め方がマラドーナが1986年メキシコワールドカップ・イングランド戦で見せた5人抜きゴールにそっくりだったことで、バルサファン以外でも大きな話題となります。カンプノウクラシコでハットトリックを決めたのもこの年。バロンデオロでは3位に入り、大スターとなる前夜です。
2008年:グアルディオラとの出会い
2シーズン連続で無冠に終わったバルサとメッシにとって、転機になったのはペップ・グアルディオラの監督就任でした。
ロナウジーニョがクラブを去り、メッシが背番号10を継承。黄金時代の幕開けです。
ペップの指導を受けたメッシは、一気に世界最高選手への階段を上っていきます。チームメイトたちも最高の世代が揃っていた。すべての歯車が噛み合っていくバルサとメッシです。
2009年:6冠達成、バロンデオロ初受賞
バルセロニスタにとって最高すぎて怖いくらいの一年でした。グアルディオラが仕込んだ斬新なフットボールに敵はなく、国王杯、ラ・リーガ、そしてローマ決勝ではチャンピオンズも獲得。その後も2つのスーペルコパとクラブワールドカップも制し(延長戦、胸エスクードでの決勝弾!)、前人未踏の年間六冠を達成しました。ペップが指示した食事改善によって、メッシは怪我のない身体となってフル稼働。個人賞ではバロンデオロを初受賞したほか、FIFAの年間最優秀選手賞にも輝いています。
■バロン・デ・オロ(2009)
■FIFAワールドプレーヤー・オブ・ジ・イヤー(2019)
■ラ・リーガ最優秀選手(2008/09)
2010~2011年:メッシ無双時代
桁違いの得点力を爆発させていくメッシ。この頃から、ハットトリックはもう彼の日常のようになっています。リーガ得点王は当たり前。バロンデオロもメッシの指定席のごとくです(2010年にはメッシ、イニエスタ、チャビでバロンデオロの表彰台を独占)。2010年11月にはモウリーニョマドリーを5-0で粉砕するなど、とにかく心地の良い時代でした。
2009年にマドリーに加入したクリスティアノ・ロナウドの存在もメッシには大きかったことでしょう。
ペップバルサは円熟を見せ、2011年5月にはマンチェスター・ユナイテッドを破ってのチャンピオンズ獲得。日本で開催されたクラブワールドカップでもネイマールのサントスを寄せ付けず、年間5冠を達成しています。
■バロン・デ・オロ(2010、2011。最年少3度受賞)
■ボタ・デ・オロ(2009/10)
■UEFA年間最優秀選手(2011)
■ラ・リーガ最優秀選手(2009/10、2010/11)
■ラ・リーガ得点王(2009/10)
2012年:圧巻の年間91ゴール
2011/12シーズンでペップ・グアルディオラがバルサを去り、助手のティト・ビラノバが監督を引き継ぎます。この年のメッシは得点力がとにかく凄まじかった。通年での91ゴール(バルサで79、アルゼンチンで12)を記録したり、チャンピオンズのレバークーゼン戦では1試合5ゴールをやってのけたり。年またぎになりますが、ラ・リーガで21試合連続ゴールという変態的な偉業も達成したりと、呆気にとられる毎試合でした。
バルサの伝説セサール・ロドリゲスの持つ歴代最多得点記録(232)を塗り替えたのもこの年。それからさらに400得点追加してるんですがね・・・(2020年9月18日時点:634ゴール)
●バルサ歴代最多得点記録(2012年3月20日)
●ラ・リーガシーズン最多得点(2011/12、50得点)
●年間最多ゴール(91得点、ゲルト・ミュラーの記録を更新)
●ラ・リーガ最多連続試合得点(21試合、2012年11月~2013年5月)
●6コンペティション得点(2011/12)
■バロン・デ・オロ(2012。唯一の4年連続受賞)
■ボタ・デ・オロ(2011/12)
■ラ・リーガ最優秀選手(2011/12、2012/13)
■ラ・リーガ得点王(2011/12、2012/13)
2013~2014年:試練の時
切ない年です。ティト・ビラノバが耳下腺がんで療養生活に入り、後任となったタタ・マルティーノはバルサの特殊さに馴染めない。巨額の脱税疑惑で連日メディアを賑わせたのもこの年です。真剣にバルサ退団を考えるメッシをティトが説得したり。そしてティトの死去・・・ レオにとっても辛い日々だったでしょう。
クラブは状況を変えるべく、ルイス・エンリケ監督にチームを託します。同じくしてルイス・スアレスが加入。
●ラ・リーガ最多得点者(テルモ・サラの252ゴールを更新。2014年11月22日)
■ボタ・デ・オロ(2012/13)
■ラ・リーガ最優秀選手(2014/15)
2015~2016年:MSN大爆発
2015年1月にはエンリケとの確執問題でクラブは小さなクライシスに陥るものの、そこからの反発力は見事でした。メッシ、ネイマール、そしてルイス・スアレスの攻撃トリオ(MSN)が大爆発したことで、バルサは再び常勝チームへと返り咲き。ピッチ内外での親友を得、メッシにも笑顔が戻りました。チームは年間5冠を達成し(2015)、個人賞においても久しぶりにバロンデオロを受賞しています。
2016年もその良い流れを継続。ただしフットボールはカウンターが主流に。
■バロン・デ・オロ(2015)
■UEFA年間最優秀選手(2015)
●6コンペティション得点(2015/16)
2017~2018年:メッシへの依存度増す
卓越した得点力はそのままに、徐々にアシスト数も増やしていくのがこのあたりです。FKの名手となっていくのもこのあたりでしょうか。ひとつひとつ、新たな技術を習得していく克己心。上達への飽くことのない意欲。
それに従い、バルサのメッシ依存症はその度合いを増していきます。ネイマールがPSGに行ってしまったのが痛手だった。個人記録ではバルセロナでの公式戦500ゴールを達成。クラシコにおける最多得点者にもなっています。
一方でチームはルイス・エンリケが休養を求めて監督を退任し、エルネスト・バルベルデが到来。メッシも三十路に入り、キャリアの終盤にもう一度チャンピオンズをとの気運が高まっていきました。アンドレス・イニエスタが退団し、メッシがカピタンに就任。
2017年7月30日、幼なじみのアントネラ・ロクッソと結婚。
■ボタ・デ・オロ(2016/17、2017/18)
■ラ・リーガ得点王(2016/17、2017/18)
2019年:6度目のバロンデオロ受賞
何年経とうが、レオ・メッシの偉大さに変わりはない。それが改めて示された年です。衰えることのない得点力により、3年連続・通算6度目となるボタデオロ(欧州得点王)を獲得。さらにそこに別次元のゲームメイク力・アシストが加わり、6度目となるバロンデオロにも輝いています。世界最高選手はメッシ。個人タイトルではすばらしいシーズンでした。
しかしチームレベルでは、アンフィールドの悪夢で欧州制覇の夢は砕け散ります。そしてそれを受けての、計画性の感じられないクラブの補強。メッシはついにバルサ退団を決意しました。。
■バロン・デ・オロ(2019)
■ボタ・デ・オロ(2018/19)
■FIFA THE BEST(2019)
■ラ・リーガ得点王(2018/19)
●ラ・リーガ最多ハットトリック(35回。2019年12月7日、クリスティアノの記録を更新)
●10シーズン連続40得点超え(2010/11~2018/19、唯一)
2020年:クライシス来る
ここまではメッシとチームにとって困難な年となっています。1月に信頼するバルベルデが解任され、3月にはコロナウイルスによる隔離生活。給与減額を巡ってバルトメウ理事会と対立したり、バルサゲート事件があったり・・・キケ・セティエンとは全く波長が合わず、最後はリスボンでの屈辱的2-8。そして8月のクラブ退団を巡ってのバルトメウとのやり取りと、意思に反しての残留。
20周年目前での退団か・・・と思っていたので、彼が今もバルサ選手であり続けているのは嬉しいです。これから始まる(おそらく)バルサでのラストシーズンが少しでも喜びに満ちたものとなりますように。頼むよ、ロナルド・クーマン。
応援するクラブから史上最高選手が生まれた喜びを噛みしめつつ、奇跡のような物語を見守っていきましょう。
■ラ・リーガ得点王(2019/20)
■ローレウス・ワールドスポーツマン(2020)
●ラ・リーガ 14シーズン連続二桁得点(2019/20)
●ラ・リーガ最多アシスト記録(20回、2019/20。2008/09のチャビに並ぶ)
コメント
詳しくはないのですが、紙ナプキンで入団契約した後もひと騒動あったのだそうですね。
なんだったかの本で読みましたが、バルセロナ入りしたメッシ父子が生活に困窮し、ミンゲージャさんが個人的に支援してギリギリ関係が続いていた状況だったとかなんとか。
我々が知る範囲でも、知らない範囲でも多くの困難があったことでしょうし、この経歴は本当に奇跡だったのだろうなと思います。
本当にデビュー前からこの選手を追えてクレ冥利につきます
私の持っているメッシユニは背番号30のものです
ここまでの選手になるとは流石に思ってなかったですが。。。