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アンス・ファティ:バルサ入団の経緯と、主要人物アルベルト・プッチが語る育成の重要性

タレントだけでなく、原石たちの強いメンタルを強調したカンテラの責任者たち
スカウティングやアルベルト・プッチの説得、そして育成まで、バルサカンテラ全体の成功

ひとりのカンテラーノがトップチームでデビューするまでには、多くのスタッフたちの努力が背景にあります。スカウト、交渉と契約、育成、抜てき。トップチームまでの階段を上るのはほんの一握りで、スター選手になるのはさらに一部です。今をときめくアンス・ファティにしても、様々な人々の仕事があってここまでやって来た。関わったスタッフ全員の功績でキラキラ星の今があります。

アンダルシアで見つけた原石

アンス・ファティがFCバルセロナの門をくぐったのは2012年、4つ年上の兄ブライマのバルサ入団から1年後のことでした。

ファティ家は2008年、内戦の起こっていた故郷ギニアビサウ(西アフリカ)から、アンダルシア州セビージャ県の町エレーラへと移住を決断します。父ボリさんがスペインへと出稼ぎに行っていたところへ(市のゴミ焼却場、国鉄、市役所の運転手などで働いていたらしい)、家族が合流したようです。アンス少年が6歳の時でした。

スペインへ来たアンスは2009年、町のフットボールチーム(スクール?)でフットボールを始めます。翌2010年にセビージャの育成組織に加入すると、直ちにそのきらめく才能が開花を始める。幾つもの有力クラブとともに、レアル・マドリーやバルサのスカウトにもその名前は届きました。
2011年から2020年にかけてアンダルシア方面のコーディネーターを務め、2012年にファティ獲得に関する報告書を書いたホセ・アントニオ・バルディビエソさんのコメントが、9月30日版MDに掲載されています。

彼は他の誰とも違っていたよ。年上の子どもたちに勝てていたし、試合を決めるゴールをたくさん決めていたね。私が一番驚いたのは、彼のパーソナリティだった

パーソナリティは直訳すると「個性、人格」。その選手の内的な特徴であり、独自の選手として、なんらかの事柄に対しどう向かっていくかを決める要素です。これが不十分だと、バルサのようなクラブでは成功できない。

アルベルト・プッチの説得

ここで登場するのが、バルサカンテラの責任者(~2014)だったアルベルト・プッチです。アンスだけでなく、リキ・プッチ久保建英の獲得にも大いに関わった人物。現在はJリーグ・アルビレックス新潟の監督を務めています(初のトップチーム監督挑戦)。

そのアルベルト・プッチが何度もファティ家に通い、父ボリさんにバルサのプロジェクトが息子の将来にとってベストだと説得したことで、アンス・ファティの今がある。より多くのお金を提示していたマドリーとの競合に、育成を強調することで勝てたのは気持ち良いです。

その後、セビージャとの移籍合意が難航したようですが、2012年、アンス少年は兄ブライマのバルサ入団から1年後、10歳でラ・マシアへと入門したのでした。そしてアレビン(U-12)にて、エリック・ガルシア久保建英と出会う。
アルベルト・プッチが将来バルサに帰還することにより、このトリオが再び同じチームに集う・・・ なんてストーリーはないですかね。

発見よりも重要なのは、育て教えること

バルサカンテラに大きな足跡を残したアルベルト・プッチさんのコメントが、半月ほど前の仏フランス・フットボール誌に掲載されています。

「二人(リキとアンス)は偉大な選手たちで、彼らには輝かしい未来がある。リキは大変なタレントの持ち主だったが、フィジカルの点で契約には迷いがあったんだ。進歩を止める要因となり得るからね。彼の場合は、その向こう側を見なければならなかった」

アンスの場合は違っていた。彼は純粋なタレントの持ち主で、議論の余地はなかったんだ。久保を獲得したのは、日本の私たちのスクールでコーチをしていたオスカル・エルナンデスのおかげだ。彼は私に日本人のタレントがいて、家族がバルセロナで暮らすことを了承していると言ったんだ。私は彼を信頼し、久保はテストを受けにやって来た。最初にボールを触った瞬間から、この子の才能が並外れていると理解したよ。そして私たちは彼と契約した。ピッチでリスクを取ることを迷わない、精神的にとても強い子だった。強いパーソナリティを持っていた。もちろん大きな才能もね」

アンスは9歳の時、アフリカからこちらにやって来たばかりだったけれど、彼はダイヤの原石だったし、彼のプレーには喜びが表れていた。私がリキを初めて見たのは11歳の頃だ。それから彼は毎年成長し、彼が14歳になった時、私たちは彼を連れてこようと決めた。フィジカルは大きなハンディキャップだったが、ある部分では、それが彼のメンタルを強くしていたし、技術面を向上させるための刺激になっていたんだ」

さらにはティアゴ・アルカンタラダニ・オルモマルク・ククレリャら多数のカンテラーノ獲得の責任者だったアルベルト・プッチ。そんな彼が強調するのは、発見よりも育てることの重要性です。

肝心(本質)なのは発見することや契約することではなく、そういったプロメサス(将来性ある子)たちを形作り、教育をし、導くことなんだ。成功への道は、長くて難しく、多くの外的要因も絡んでくる。全てのベースは原石となるタレントだけれどね」

アンス・ファティリキ・プッチが育成組織でキラキラ星となり、バルトメウがのこのこ出てきて満面の笑みで契約書にサインをするまでに、どれだけの人々の努力があったのだろうかと思う。

世界中から超一流の選手たちが集まってくるバルサのようなクラブで、カンテラーノがトップチームまで上がってくるのは至難の業です。タイミングもカギを握り、アンスの場合は、もしネイマールが来ていたらまた違ったことになっていたでしょう。起用する監督の存在も不可欠。リキは逆に、ペドリクーマンの到来が逆風になっています。

カンテラ全体の成功だからこそ嬉しい、ラ・マシア産選手のトップチーム昇格。月並みですが、一人でも多くのカンテラーノがトップチームを構成する未来がありますように。

 

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