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ウンティティの告白「幸せじゃなかった。ただ混乱から出たかった」

精神的にも辛かった治療期間を経て、回復したビッグサムの左ヒザ
リヨン戦を前に、母国L’EQUIPE紙で当時の心境を語った

明日バルサとチャンピオンズ 1/8 final ブエルタ(第二戦)をプレーするオリンピケ・デ・リヨンは、サムエル・ウンティティの心のクラブです。

喉から手が出るほどに出場したかったであろう故郷リヨンでのイダ(第一戦)は、左ヒザの回復が間に合わなかっただけに、今回は、と期するものもあるに違いない。母国フランスのE’LEQUIP紙もビッグサムの出場を期待し、試合前日の3月12日は彼のインタビューを掲載しています。

週末のラヨ・バジェカーノ戦でフル出場を果たし、続くリヨン戦でも機会はあるのか。そう訊ねられたウンティティさん、思いのほか落ち着いた様子でこうコメントをしました。

「決断をするのは監督だけれど、プレーができることに僕はとても幸せなんだ。3ヶ月間もできなかったことだからね。(先発を)続けられるかどうかよりも重要なのは健康であり、ヒザと身体がしっかり反応することだよ」

でも話が続くにつれ、今回の怪我の辛さがぽろぽろとこぼれてくるんですよね。
(フランス語は読めないので、スペインメディアを参考にしてます)

世界王者となったものの

ウンティティにとって、2018年夏は幸福感の絶頂を味わうことができた夏でした。世界王者となり、「子どもの頃の夢が叶った」と語るロシアでのムンディアル。しかしフランス歓喜の優勝の陰で、ウンティティのヒザは悲鳴をあげていたのです。

「大会前から、僕のヒザは問題を抱えていたんだ。歯を食いしばりながら、自分のできるベストのプレーをしたよ。バルセロナに戻ってから問題が再発生したので、自分のヒザを大事にするためにストップする決断をした。予想したよりも長い時間がかかってしまった」

セントラルは2017/18シーズン終了前の5月からヒザに違和感を覚え、リーグ戦を欠場していました。それでフランス代表としてムンディアルに出場し、問題が悪化した。彼は大会中に「避けるべきことを、してしまった」と認めています。

混乱する頭、難しい決断

左ヒザの治療方法を巡っては、クラブ医療部の勧める手術を断り、保存治療を選んだことを疑問視する声もありました。
「いろんな見方があったけれど、僕は自分を表すのが好きではないし、その瞬間はそうだった。ハードワークをしたのが、裏目に出たんだ。異なる意見が幾つかあって、頭の中で混乱をしていた。どう決断するのかも知らなかった。でも最良の方法を選んだよ」

悩んだ末に保存治療を選んだウンティティは、11月末にドーハ(カタール)へと飛びます。スポーツ医療で高名なアスペタル・クリニックで治療を受けるためです。

「簡単な決断ではなかった。簡単なのは手術を受けることだったんだ。でも僕はそういう人間じゃない。僕はメンタルが強く、屈しない人間だ。手術を受け入れるのがベストだと言われたときもあったけれど、僕は考えを変えなかったよ。幸運なことに僕は、家族に囲まれる機会もあった。でもその時の僕はあまりにもよそよそしく、扉を閉ざしていたから、彼らには簡単じゃなかったね。僕は幸せじゃなかった・・・ ただ混乱から出たかった

キャリアで初の大きな怪我に直面したウンティティは、混乱していました。

「かなりの自問をした。僕の周囲のドクターたちが、それぞれに違ったオピニオンをくれたからだよ。もし間違った決断をした場合、自分の今後のキャリアになにが起こるんだろうか、って自問してね。精神的に難しかった」

バルサとは衝突せず

ウンティティの言葉からは、バルサ医療部の助言もまた納得のいくものではなかったことがうかがえます。とはいえ、最終決断に関して医療部との衝突があったかというとそうではない、とこのインタビューで明言するセントラルです。

「何人かが言っているのとは反対に、行っていく処置に関してクラブと対立したことは一度もなかったよ。彼らはいつだって僕の気持ちを聞き、サポートしてくれた。アスペタルに行くと決めた時も彼らは了承し、僕らはいつも連絡を取っていたんだ」

復帰したアトレティコ・マドリー戦でいきなり痛みが再発した前回とは異なり、カタールで最先端の保存治療を受けた今回はいまのところ順調にきています。このまま上手くいくかどうかは神のみぞ知る・・・ のですが、ビッグサムの決断が大正解だったことを期待しましょう。

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