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カンテラ四方山話。

 

本日は、バルサカンテラ関連ニュース中心に。

 

◇フベニールA監督にジョルディ・ビニャルス

バルサというクラブをバルサたらしめている重要な要素が、カンテラです。年齢別に複数の階層を成しているフットボル・バッセにおいて、とりわけ大事なのはバルサBへと上がる選手を育て上げるフベニールAのカテゴリ。2010年からの2年間はここにオスカル・ガルシアという名指導者がいて、黄金時代ともいえる好成績を残していたわけですが、昨日ついにその後任監督が決定しました。2012/13シーズンよりフベニールAを率いるのは、ジョルディ・ビニャルス。今季オスピタレを率いていた彼もまた、ラ・マシア育ちの人材です。

今シーズンのコパ1/16ファイナルでバルサと対戦したオスピ。その際、会見でペップ・グアルディオラはジョルディ・ビニャルスのことを何度も称えていました。彼にとってはラ・マシアの先輩ですので、特別リスペクトの気持ちがあったのでしょう。

ビニャルスは1979年に選手育成寮としてのラ・マシアが発足した際の、その1期生19人の1人だそうです。まずはカデッテからカンテラ生活をスタートさせ、フベニール、バルサC、バルサBと順調に昇格。1987/88シーズンにはついにトップデビューも成し遂げるのですが、残念ながらここで成功することはできませんでした。サバデイへとレンタルされた後、カステジョンへと移籍。オビエド、ベティス、ビジャレアル、タラッサ、フィゲラスと渡り歩いて現役を引退しています。

フットボル選手としてのキャリアを終えた後、ビニャルスはテクニコの道へと入りました。彼のベースとなっているフットボルはもちろん、バルサの哲学。ショートパスを中心に素早くボールを展開し、サイドを切り開くというスタイルです。

ティト・ビラノバとも関連が深く、バルサ新監督がタラッサFCでセクレタリオ・テクニコをやっていた2005年、監督として契約したのがこのジョルディ・ビニャルス。そしてアシスタントコーチとなって彼を補佐したのが、来季はティトの右腕となるジョルディ・ロウラでありました。そんな彼らが7年後、再び源流であるバルサで集う。ビニャルス新監督の良き仕事に期待することといたしましょうぞ。

 

◇イエとカー

トップチームへと選手を供給することを第一の目的として存在している、バルサB。そのためにはチームがハイレベルなコンペティションで競い合うことが重要であり、せっせと他クラブから人材を集めてくる所以となります。先日は公式サイトにて、フベニールAから7人のキラキラ星(グリマルド、ミゲル・アンヘル、ドンゴウなど)が加わると発表されたバルサBですが、彼らの補強はそれだけにはとどまりません。

例えばバルサBのクリスティアン・ロバトがエスパニョールへ移籍して、その代わりにペリコからジョルディ・アマトがやってくるかもしれないというウワサ。バルトラ、ムニエサ、モントーヤらがトップ昇格するBチームなので守備ラインの補強は必須ですが、実現するならビックリのオペレーションです。セビージャの新星デランテロ、ルイス・アルベルトを狙っている、という話もあります。

しかしここ数日、ひっそりながらも繰り返しSPORT紙に取り上げられている選手たちがいまして。それはスポルティング・リスボンのふたりの期待株、Edgar IéとAgostinho Cá。ここではひとまず、エドガル・イエとアゴスティーニョ・カーと表記しておきます。彼らはどちらもギニア出身の18歳。ポジションはイエがセントラルで、カーがセントロカンピスタとなります。元々はインテルが獲得すると見られていた選手たちです。

ポルトガルの逸材をクラブへと連れてくるため、バルサは5月末にセクレタリオ・テクニコのナルシス・ジュリアをリスボンへと送り込んでいます。この時、巷ではイエとカーはインテルが獲得で最有力と言われていました。メディアには具体的な移籍金なども紹介されていたようです。けれどもその影で、ジュリアはスポルティングと交渉。インテルよりも好条件を提示したバルサが、ポールポジションを奪い取ったと見られるようになりました。

しかし・・・ ここに新たな登場人物が現れます。その男の名は、ジョルジュ・メンデス。言わずと知れた、ジョゼ・モウリーニョ一派のポルトガル人代理人であります。

バルセロニスタにとっては悪名高きこのメンデスがナニをしたか。そう、彼はレアル・マドリーのフロントに対して、「イエとカーには獲得のチャンスはありますよ」とそそのかしたわけです。インテルで決まりと思われていたふたりだけれど、バルサがそれを奪い取った。でも交渉はまだ決着していない。マドリーも付け入る隙はあると。

イエとカーの代理人、カティオ・バルデ氏はSPORT紙の取材に対してこう語っています。「スポルティングとバルサは、彼らが適切と考える内容で合意に至れます。しかしバルサから選手たちへと提示する金銭条件については、まだ回答を待っているところです。インテル?話があったのは事実です。けれどもスポルティングは契約書にサインはしなかった。彼ら(インテル)はまだ諦めてはいませんよ」

三つ巴の戦いとは、なんともスリリングじゃないですか。これぞ夏のお楽しみといいますか。インテルを抜いて交渉の最前列についていたバルサですが、ポルトガルで大きな影響力をもつメンデスの乱入で事はややこしさを増しました。ナルシス・ジュリアには今、迅速かつ効果的な一手が求められています。さあ、どうなりますやら。

続報!

エドガル・イエとアゴスティーニョ・カーの獲得に関し、バルサが次の一手を出したようです。それは昨シーズンにバルサからスポルティングへと移籍したジェフレン・スアレスの移籍金(375万ユーロ)を割引し、バルサからチェルシーへと移籍し、スポルティングがレンタルしているガエル・エトックの賃料を肩代わりしますよ、というもの。あの手この手、使えるものは全部使え。イエ&カー作戦に関してはまだひと悶着あるかもしれません。週明けの新着情報が楽しみであります。

 

◇伝説のテクニコが退団

フットボル・バッセの話題が続いているので、もう一発。とってもひっそりと、FCバルセロナの伝説のカンテラ監督がクラブを去ったというニュースです。その名はフラン・サンチェス。ラ・マシア一筋15年、数多くのクラックたちの成長を見守ってきたテクニコさんです。

フラン・サンチェスが伝説と言われる所以、それは15年というバルサカンテラ最長の在任期間です。クラブの会長が代わろうが、フットボル・バッセの責任者が代わろうが、サンチェスはバルサにいた。話題のジョルディ・アルバも、来季からトップに上がるバルトラやモントーヤも、ビッグクラブが欲しくてたまらないチアゴ・アルカンタラも、みんなフラン・サンチェスのチームを通過していきました。その彼、ツイッターにてこんなふうに別れのメッセージをつぶやいています。

「今日私は、15年を過ごした我が家であるFCバルセロナと別れを告げました。私にできるのは、ただただ感謝だけ。この偉大なクラブが私を監督として、人間として鍛えてくれたのです。バルサに成功が続くことを願っています。数多くの良い選手たちを監督できたことは誇りでした」

こちらこそありがとう!すばらしき監督に大きな幸運がありますよう。

 

◇ボージャン 「バルサに戻るかどうかは、僕次第」

では本日最後は、そんなフラン・サンチェス監督の指導をひょっとしたら受けたかもしれないボージャン・ケルキックの話題です。夏のバケーションを満喫中のボージャンは、現在故郷のカタルーニャに滞在中。21日にはバルセロナのラジオ局RAC1の番組”Primer Toc”に出演してまして、自身の将来やらなんやについてコメントしています。

「僕はローマに戻るよ。だってそれが一番の選択肢やと思うからね。僕はあそこでの1年目に、とっても満足しているんや。バルサ復帰?それは僕と今年の成績次第や。ローマでの2年目は、僕のキャリアで一番大事な年になるやろう。いろんなところから声はかかると思うけれど、僕はイタリアリーグに集中をしたい。そこでベストを尽くしていくよ」

バルサの監督がペップ・グアルディオラからティト・ビラノバにバトンタッチしたことは、カンプノウ復帰には好都合かもしれません。バルサの元9番は言います。「ティトにはとてもよくしてもらったよ。彼のことは下部カテゴリ時代から知ってるし、彼にはとってもかわいがってもらってるんや。彼にはバルサにポジティブな貢献をする能力があるし、並外れたチームが彼をサポートするやろう」

またボージャンは、ルイス・ミージャが自分を五輪代表メンバーから外したことについてこう感想を述べました。「がっかりしてるよ。招集されるだけの仕事はしてきたと思ってるからね。でも僕をオリンピックに呼ばないと決めたのは監督。イタリアでプレーしてると、スペイン国内よりも影響が少ないんや。ローマではこれ以上ムリという仕事をしたと分かってるだけに、報われなかったことにがっかりしてる」

ルーチョ・エンリケのローマ退団に関しては。「ヨーロッパリーグ敗退がかなり痛かったよ。どういう経緯で彼がその決断をしたのかは僕には分からない。ただ彼は僕らに、疲れたと言ってたね。ローマは簡単ではないんや」

ちなみにボージャンは対戦チームのユニフォーム収集家だそうでして、コレクションはもうすぐ100枚に達するのだとか。ローマの皇帝トッティやインザーギ、デル・ピエーロら、カルチョのクラックたちを彼はすでにゲット済み。そんなボーですが、こんなことも無邪気に語っております。「2008年のチャンピオンズ準決勝、オールド・トラッフォードでマンチェスター・ユナイテッドに負けたときは、クリスティアノ・ロナウドにシャツをお願いしたんや」。あの時はまだ、白組に行くとは決まってませんでしたからね、ハ・ハ・ハ!

 

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