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パウリーノ・アルカンタラ

また一人の伝説の記録を塗り替えたメッシ。

ミスター記録破りことリオネル・メッシがこの日曜、また新たな称号を獲得しました。オサスナ戦(7-0)でハットトリックを決めたギガクラックは、パウリーノ・アルカンタラのバルサでの総得点(公式戦+親善試合で369ゴール)を抜き(371)、彼が80年以上持ち続けてきた“FCバルセロナの歴代最多得点者”の呼び名を引き継いだのです。第二次世界大戦以前の記録ってのが、この数字の途方もなさを表しています。そして17日(月)、パウリーノのお孫さんであるブランカ、クララ・アルカンタラさんがLa Xarxaの番組に出演。祖父の大記録を稀代の点取り屋が塗り替えた件などについてコメントしています。

ゴールネット破りのアルカンタラ

これを機会にクラブの歴史を学んでおくのも良いことだ、ということでパウリーノ・アルカンタラさんについて調べてみますと、彼は1896年にフィリピンにて生まれました。当地に駐留していたスペイン軍兵士を父に持ち、3歳の時にバルセロナへ。バルサの創始者ジョアン・ガンペルによって見出されて15歳でトップデビューを飾ると(1912年、カタルーニャ選手権)、初試合でハットトリックを決めています。この最年少得点記録は、今もまだ破られていません。

パウリーノは1916年、フィリピンへと戻った両親に連れられ一度バルサを退団します。しかしクラブからの誘いによって1918年に再入団。両親は当初これを認めなかったのですが、マラリアを患ったパウリーノがバルセロナに戻らせてくれなければ治療を受けないと拒み、ついにはその熱意に負けたとの逸話もあります。以後は1927年で現役を引退するまで、FCバルセロナ一筋でプレーしました。バルサでは357試合に出場し、得点は369です。

引退後は医者に転身。1931年から1934年にはバルサの理事を、1951年にはスペイン代表監督を務めました。また、クラブの公式サイトによると彼はバルサで初めて回顧録を記した選手だそうで(1924年)。トレードマークは、常に腰に付けていた白いハンカチ。サミティエルやサモラらと共にバルサ最初の黄金期を築いた、クラブ最初のクラックの一人です。1964年、67歳でこの世を去っています。

彼の名を一躍有名にしたのは、1922年4月のスペイン対フランス戦でした。なんとパウリーノの豪快シュートは日向小次郎のタイガーショットよろしくゴールネットを突き抜け、以後彼は“Romperedes”(ネット破り)と呼ばれるようになったのだとか。当時フットボルをしていた子供たちは皆、パウリーノのネット破りに憧れシュートを放っていたそうです。

「私たちの祖父が思い出されている」

その伝説のパウリーノ・アルカンタラの記録が今回、80数年の時を経てギガクラックに塗り替えられた。2012年3月20日のセサル・ロドリゲス超え(公式戦232ゴール)もそうでしたが、レオがとてつもない選手だと脱帽しつつ、クラブの歴史の長さを改めて感じる出来事です。偉大な選手が数十年後に登場して、レジェンドの記録を抜くことは、その伝説の記憶を今一度この時代に呼び戻すことでもあります。同じくまた数十年後には再びバルサにスーペルクラックが生まれ、メッシの名がメディアを賑わせるのでしょう。

今回の記録更新にあたっては、パウリーノのお孫さんであるブランカ・アルカンタラさんとクララ・アルカンタラさんがLa Xarxaの番組に出演し、祖父やメッシの偉業についてコメントをしています。「今年は祖父の伝記が出版されたり、非常に面白い一年となっています」と言うのは妹のブランカさん。新記録達成後、レオ・メッシがフェイスブックページにパウリーノへのメッセージを記し、2人が並んだイラストを掲載したことについては、彼女は「メッシの心遣いはとても嬉しいものでした。私たちは非常に感動しました」と感謝を表しました。

ブランカさんはこうも言います。「パウリーノのひ孫となる私の娘は、レオ・メッシの大ファンなんです。一番好きなのはパウリーノですが、その次がメッシです。学校では自分の曾お祖父さんについての発表もしてるんですよ。いつかメッシのファンでフットボルをプレーする娘が、彼と手をつないでカンプノウに入場してくれたら最高です。ものすごく感動すると思います」。こういう希望、叶っちゃうんですよね^^

一方、姉のクララさんは「長い時間忘れられていたパウリーノ・アルカンタラが、今は皆さんに思い出されている」と言い、メッシへの感謝をこう述べています。「祖父の記録をメッシが超えたのはすばらしいこと。そして私はメッシがフェイスブックにパウリーノと彼のイラストを掲載したことにありがとうと言いたいです」

ちなみにメッシの記録に関しましては、リーガでの通算ゴール数がウーゴ・サンチェスの234まであと1つ、というのがあります。マドリーのレジェンドである彼の記録をベルナベウクラシコで更新、ってのはなかなかにクレ心を刺激するお話。是非、実現しますよう!

 

 

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