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プジョル、今季限りで退団

ヒザの怪我によって、求められるレベルに戻れなかったとカピタン。

2014年3月4日、FCバルセロナの偉大なるカピタン、カルラス・プジョル(35)が今シーズン限りでの退団を表明しました。その数時間前、“本日16時(現地)よりプジョルが会見を行う”とのクラブ発表があった時から、そういうことになるとは覚悟をしてはいましたが、いざ現実のものとなってしまうと寂しいやら切ないやら。現時点ではまだ退団後の進路(他チームでの現役続行、引退)はまだ決まっておらず、またシーズン終了後に報道陣からの質問に応じる記者会見を行う旨が今回の発表では明かされています。

6月30日でバルサを去る

4日(火)の現地午前、“16時からカルラス・プジョルによる緊急発表を行う”とFCバルセロナが公式に伝えて以降、その内容はきっとバルサ退団であろうとの推測が地元メディアを飛び交いました。最近話されているウワサを否定するのであれば、ほぼ毎日トップチームの選手によって行われる当番会見で良いわけです。加えて今回のそれは記者からの質問を受け付けず、選手からの発表のみと伝えられていたことからも、考えられる内容はひとつでした。

そして16時すぎ、会場となったシウター・エスポルティーバの会見室にカピタンは現れます。スポーツディレクターのアンドニ・スビサレッタと、親友ジェラール・ピケに付き添われての登場。会見室にはその他、イバン・デラ・ペーニャを始めとした友人たちの姿もあったようです。鈴なりのカメラマンたちにひとしきりシャッターを押された後、プジはこうスピーチを始めました。

「本日皆さんに集まってもらった理由は、今シーズン終了をもって、私がFCバルセロナの選手ではなくなることを伝えるためです。クラブにはすでにそのことを伝えてあり、退団で合意をしています。契約は解除され、残されている2年分は無効となります」

「ここ最近の2度の手術の後、私はここに残るために求められるレベルを取り戻すことに苦労をしています。それは私が考えていた以上、ドクターたちが言っていた以上でした。それ故に私は、この決断を下しました。そして以下の3点をお伝えします」

「今日で終わりではありません。コンペティションはあと3ヶ月残されており、私が諦めるつもりがないことを、私を知る人たちは分かっている。向上し、チームの目標達成を助けるために、私は最後まで戦い続けていきます

6月30日以降に自分がどうしているかは分かりません。ただ確かなのは、シーズン終了後の私には休養が必要であることです。私は怪我により、4年間止まることなくきました。その後にどうなるかは、いずれ分かるでしょう。

そして最後に、シーズンの最後に記者会見を行い、19シーズンにわたって付き添ってくれた全ての人たちにお別れを言いたいと思います。(来たいと)望む人たち、来れる人たち、会長、理事、監督、チームメイト、クラブの人たち、ジャーナリスト、友人、家族。この日は皆さんが望む全ての質問に答えるでしょう。ありがとう、ではまたあとで!」

原稿を読むことなく発表を終わると、プジョルはさささっと退場。よってこの場は2分ほどでお開きとなっています。

永遠のカピタン

カルラス・プジョルは17歳でラ・マシアに入寮し、1999年10月2日のバジャドリー戦(リーガ)でトップデビューを果たしました。クルイベルとリバルドのゴールによって0-2で勝利したこの試合でプジは、55分にシマオと交代でピッチに立っています。熱意はあるけれどテクニックとは程遠い少年で、後に彼がクラブの魂となり、19シーズンもチームを支えていこうとは誰が想像できたでしょう。

バルサはそれからいわゆる暗黒時代に突入し、プジーやチャビは長い無冠時代を経験。しかしライカー&ロナウジーニョ時代からはようやく栄光の階段を上り、バルサでは21ものタイトルを獲得しました。今では彼の5番は永久欠番にすべきではないか、との議論も為されるほどの永遠のカピタンです。

いずれにせよ、プジョル本人が指摘するとおり、シーズンはまだ3ヶ月が残されています。カピタンは最後の公式戦が終わるまで、全力でチームのために奮闘してくれるでしょう。チームメイトたちはカンプノウでのアトレチコ・マドリーとのリーガ最終節を、グラン・フィエスタとしなければならない。さらにはその翌週のチャンピオンズ決勝を花道に出来れば最高であります。簡単ではないですが、是非そこを目指して!バモス・バルサ!グラシアス・プジョル!

 

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