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達者で、ムニール… そしてラフィーニャも扉を閉ざさず

最高のスカッドを手にすることの代償。

夏の移籍マーケットが終了まであと少しとなった8月30日、FCバルセロナとバレンシアの間で二つの取引が成されました。バレンシアからバルサへはパコ・アルカセルが移籍し、ムニール・エルハッダディは1年間バレンシアへと貸し出される。二つの移籍に契約上のつながりはありませんが、公式発表がほぼ同時だったことが示すように、オペレーションとしては一まとめとなります。ムニールに求められる役割はアルカセルの後釜。合意内容の最大の特徴は、シーズン終了後にバレンシアは1,200万ユーロでムニールを買取れる一方、バルセロナ側に買戻し権がないことで、活躍するほどにさよならに近付く契約です。

買戻しオプションは付けられず

FCバルセロナの公式発表によりますと、ムニール・エルハッダディをバルサから借りるにあたり、選手の2016/17シーズン分の年俸はバレンシアが負担をします。そして1年間ムニールの活躍ぶりを見て、来季以降もチームにいてほしいと思えば、“チェ”はシーズン終了時に1,200万ユーロで彼を買い取ることが出来る。その際にバルサは買戻す権利をもたず、完全移籍を拒むことは出来ません。ムニールの将来を最初に決めるのはバレンシアとなります。

バルセロナが唯一ねじ込めたのは、その後バレンシアがムニールを他クラブに売る場合には、その前にひと声をかけてもらう権利です。例えば、1,300万ユーロで○○クラブにムニールを売ろうと思うんだけれど、バルサさんはどうしますか?というやつです。

ムニール移籍に関する交渉の中で、バルサ側が粘った部分、それが買戻しオプションを条項に含めることだったとSPORT紙はいいます。それには失敗しましたが、代わりに引き出したのが買取オプションの増額。元々バレンシア側が求めていた800万ユーロでの買取を求めていたのだそうですが、バルサはそんな安値ではムニール放出を認められないと主張し、幾つかの綱引きの結果この1,200万ユーロと買戻しオプションなしで決着した模様です。

バレンシア行きを決断した経緯

この移籍をムニール方面から見ますと、彼は当初、バレンシアではなくセルタ・デ・ビーゴ行きに心動いていたそうです。MD紙によると、ムニール側はバレンシアのガルシア・ピタルクSDからの最初の接触に対しては「NO」と返答をしています。その理由はノリートの後任としてムニールを欲していたセルタのエドゥアルド・ベリッソ監督からの誘いにすでに「SI」と言っていたかららしく。ベリッソ監督に直接電話で説得されたことでムニールはバライドス行きで気持ちを固めていたみたいです。

しかしながらノリート交渉でガジェゴクラブとの関係がこじれてしまっていたバルセロナが、高額な移籍金を要求(あくまでもMDの説明)、この話は結局お流れになりました。

セルタ移籍のウワサが出ていた頃、バルサ系メディアでムニールがバレンシアへ行くと見ていたところはなかったと思います。SPORT紙ではトッテナムあたりが彼の志望クラブではないかと言っていました。しかし30日付のMDウェブ曰く、ムニールの希望はスペイン国内での移籍だった。そしてピタルクSDの熱心な勧誘があったのでしょう、彼の考えは少しずつ変化していき、最後はパコ・アジェスタラン監督の電話によってメスタージャ行きを受け入れることを決めたのだそうです。

バレンシアCFへの期限付き移籍が決まり、背番号9のシャツを着てクラブ公式ウェブの取材に応じたムニールは、次のように意気込みを語っています。「バレンシアはすばらしいクラブだし、再びリーガ上位に戻れるだろう。自分がここで成長することや、フットボルを楽しんでいくことを僕は確信しているんだ。チームが勝利するよう、全力を出していくよ。僕らは上へ行けると信じている」

カンテラーノを育てにくくなったバルサ

ルイス・エンリケの要望を満たすため、そしてクラブとしての野望を実現するため、2016年夏のバルサは大々的なチーム補強を行いました。それによって戦力は増し、高い競争力のあるスカッドが完成。8人が退団して6人が加入ですから、人数で言えば減っているのですが、いわゆる戦力外選手がいなくなったことで競争力は明らかに上がった印象があります。

大胆な投資によって先発と控えの実力差は小さくなり(中流の強化)、監督が選手たちにローテーションを受け入れさせる体制も整ったといえましょう。選手たちが公平だと思える起用法にする必要はありますが(平等とはまた違う)、ルイス・エンリケには彼が思うように選手を起用し、休ませることができる面子が用意されました。これで昨季のような春のガス欠はもう起こりにくいと想像できます。

一方でそのマイナス面といいますか、バルサはカンテラーノを育てるのが難しい状況にもなっています。外部の血によって“ミドルクラス”が強化されはしましたが、ムニールサンペールといったラ・マシア産選手は他クラブでないと出場時間を与えられない。彼らを“ミドルクラス”に育てられない。中盤の競争が激化したことで、次はラフィーニャが出るかもしれないと思うと切ないものです。カタルーニャラジオの番組内で、アルカンタラ家の次男はこう言っています。

退団は考えてないし、バルサに居たいと思ってはいるけど、もし出場時間を手に出来ないのであればプレーをしたくなるのは選手として普通のことだろうね」「選手は普通グラウンドに立っていたいものさ。もしここでそのチャンスがないのなら、レンタル移籍することに問題はないんだ。でもバルサで出場時間を手にするために、僕は最大限頑張っていくよ」

トップチームで若者を育てにくいことに加えて、バルサBがセグンダBへと落ちてしまったことで、ラ・マシアは今、困った時の選手供給所としての役目を果たせなくなっています。最強チームであることと、バルサモデルの両立は非常に難しい。かつてチャビたちが「再現不能のジェネレーション」と繰り返していましたが、それを今ひしひしと感じます。マドリーはカルテラ(財布)、バルサはカンテラと言われていたのが遠い過去のような2016年夏です。

 

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