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イニエスタ「ムンディアル決勝弾が前進する力となった」

世界王者となった6年前より今の方が好調だとドン・アンドレス。

チームトレーニングが休日となった19日(月)、バルサのカピタン アンドレス・イニエスタがラジオ局ONDA CEROの番組 El Transistor に出演。バルセロナ郊外 Esplugues de Llobregad の自宅に番組の司会者で友人でもあるホセ・ラモン・デラ・モレナ氏を招き、9月16日でちょうど20年となったバルサ入団時の思い出話やトップデビュー、スペイン代表でのムンディアル優勝、引退後の監督業についてなど様々なテーマについて語っています。ドンは言います。「僕は今32歳で、バルサとは34歳まで契約がある。僕は今、26歳の頃よりも状態が良いんだ。この今と同じフィーリングをこれからも持っていけると好いね」

ラ・マシアが今の自分を作った

■バルサ入団:「子供の頃は、父親を仕事から引退させたいと思っていたんだけど、それが上手くいくかどうかは分からなかったよ。バルサへ行く時は、そのことは誰にも言っていなかったね」「バルセロナへ行くかと訊かれて、最初の答えはNOだったよ。家族と離れて知らない場所へ行くことが僕にブレーキをかけていたんだ」「ラ・マシアでの最初の夜は泣いた。すごく泣いたよ

「あれは僕の人生で最悪の夜だった。人生で最悪の日がラ・マシアでの初日だと言うとキツイ響きがあるし、僕は感情面でのことを話しているんだけど、僕にとってラ・マシアは我が家であり今の自分を作ってくれた場所だよ。ラ・マシアは一つの家族なんだ。僕らは一つだし、両親が教えてくれたことの全てがラ・マシアでの生活でさらに鍛えられた。それが僕の抱いている感情。これからもそれは変わらないだろう」

■トップ昇格:「フベニールチームにいた時、(トップチーム世話役の)カルロス・ナバルから次の日はトップチームでトレーニングをするぞと言われたんだ。当時僕は16歳で、トップチームを率いていたセラ・フェレールから電話があった時、最初は冗談だと思ったよ。(翌日)僕は練習用のシューズを持って、どこへ行けばいいのか知らずにいた。そこへルイス・エンリケが通りかかって、彼と一緒のロッカールームへと行ったんだ」

「ずっと夢見ていたトップデビューはベルギーでの試合。監督はバンガールだったね。バンガールはいつもすごく正直だったし、僕にとっては特別な人だよ。カンテラーノをデビューさせるのは簡単なことじゃないんだ。デビューの際には自分に出来ることをしろ、楽しんでこいって言われた」

選手や人としての転換点

■親友ダニ・ハルケの死:「全てが揃っているという瞬間に、心地良くない物事、自分ではどうにもならない状況が入ってくるという事が時折あるよね。コントロールできない状況がどばっときて、周りの人々の助けが必要だと気付くんだ。困難な瞬間が訪れた時、前進を続けるために僕は偉大なプロフェッショナルや人々のサポートが必要だった。真っ黒な雲から抜け出すのは難しかったけれど、幸運なことに僕は少しずつ前へ進んでいくことができたよ。精神は複雑で気まぐれなものだからね。もし(2010年)ムンディアルがああいうことになっていなければ、自分がどうなっていたか分からない。ムンディアルが僕を推し進めてくれたんだ。選手としても人としても、あれ(決勝戦の優勝弾)が転換点となった」「ゴールの瞬間は1秒か2秒、僕は静寂を耳にしていた」

26歳だったその当時より、今の方が状態が良いと感じてるよ

■現役引退後:「自分にはこのクラブで成果をあげる力がないと思った時、去るべき時が来たと言うことになるだろう。それは一つの可能性さ。だけど、クラブもまた決断することはできるね。監督業?僕はあまり先のことは考えてないんだ。将来もフットボルとつながっているとは思うけど、今日のところはトップチームの監督となっている自分は思い描いてない。否定もしないけれどね」

 

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