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ベジェリン、バルサ復帰への扉を閉ざさず

今は関心を持たれて嬉しい、という程度ですが。

ダニ・アルベス退団によって発生した右ラテラル問題を解決すべく、FCバルセロナが獲得を狙っているとされるのがアーセナルのエクトル・ベジェリンです。ご存じのとおり彼はラ・マシアで8年間を過ごした元カンテラーノですが、フベニールカテゴリに所属していた16歳にベンゲルさんの勧誘に乗ってプレミアへと移籍。6年たった今、クラブが是非呼び戻したいと考えるほどの立派なエリートフットボル選手へと成長しました。ただし問題はラテラルには破格の4,000万ユーロとも5,000万ユーロともいわれる移籍金。出戻り失敗に終わったセスク・ファブレガスの前例もありますし、この出費は大きなボトルネックです。

信頼を感じられずに移籍

個人的には、バルセロニスタがプレミアリーグからの若手選手の青田刈りを苦々しく思っているなかでアーセナルの誘いに乗り、クラブを去ったエクトル・ベジェリンの獲得は面白くありません。ジェラール・ピケのように500万ユーロのお手頃価格で呼び戻すのであればまだしも、4,000万ユーロを超えるなんて拒絶反応が出てしまう。一度出ておいて今更なんだと思うわけですが、選手側の話を聞くのも必要だということで、22日付SPORT紙に掲載されているベジェリンのコメントを見るとこんな感じでした。

「幾つかの理由によって、僕はバルサを出た。感じていたのは、クラブが僕を信頼していないなということで、自分には他の選手と同じチャンスを与えられないと分かっていたんだ。それでアーセナルから話が来た時、彼らが僕をトップチームのために育てようとしている思ったよ。バルサが僕と契約を結びたがっていたのは確かだけれど、僕は評価されていないと感じていた

「話はまだあるよ。クラブの申し出にNOと言ったら、僕はチームから外されたんだ。16歳の選手にとって、それはきついよ。トレーニングは出来たけれど、試合に出ることはなくなった。7歳からいたクラブを、僕は失望して去ったよ」

U-21スペインで合宿中のラテラルはまた、MD紙のインタビューにも応じてまして、退団の経緯については「僕の事情は受け止めるには少し困難だったし、バルサを去った時はもう決して戻ることはないと思っていた。他の選手なら戻るための退団だと言うかもしれないけど、僕はイングランドで挑戦し、学び、フットボル選手となるために去ったんだ。でも未来のことは分からないし、扉を閉ざすことは出来ない」と述べています。

ベジェリンがバルサを去った2011年夏はペップチームが2度目のチャンピオンズを獲得した後で、サンドロ・ロセイ理事会が2年目に入る頃。そう聞けば、ああ7-8年ラ・マシアで暮らした少年を落胆させる何かあったのだろうなと合点もいきます。が、今一度クラブ側の当時の担当さんの説明も聞いてみたくはあります。なんであれ、セスク・ファブレガスと入れ替わりでの退団は、妙な因縁も感じますな。

カンテラ出身という特別な事実

SPORTのインタビューでは、記者さんは当然(割と執拗に)バルサが彼に関心を持っているというウワサについても訊ねてはいるのですが、アーセナルに所属し、グーナーとベンゲル師に恩義のある立場としては言えることは限られます。彼が言えたのは「バルサのようなチームの興味を刺激できるのはステキなことだよ。僕が小さな頃からカンテラで育ったのは事実だし、そのことはすごく特別だ」というくらい。あとは「アーセナルへの敬意があるから、自分が他のチームと話すことはないだろう」「自分の手の内にないこと」と追撃をかわしています。

バルセロナ系メディアが期待するようにベジェリンが夏に出戻りへ向かうとして、アーセナルへの恩と、バルサへと戻る意思があるならその表示をと迫る周囲との板挟みになる感じは、セスク・ファブレガスの件の再現となりそうです。8年間のラ・マシア生活で心身に組み込まれたバルサのDNAがどう影響してくるか。。そのあたりは彼が繰り返しているように、「どうなるか見てみよう」。ベジェリンには興味があるけれども大金は支払えないというロベルト・フェルナンデスの意見には「まったくもって正しいよ…」と同意をしている元カンテラーノです。

ということで長くなりましたが、最後はラ・マシア時代の良い思い出コメントをば。「楽しい思い出もあるよ。僕は幸せだったし、最初のアイドルも見付けた。たまにラテラルでもプレーしていたけど、当時はエストレーモだったから、よく注目していたのはジュリーのような選手だよ。でも僕はロナウジーニョ世代でね、彼の魔法を見るためにスタジアムへ行ったもんさ。あの頃はロナウジーニョ時代で、メッシが登場し始めた時だった」

 

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