6歳で入門し、18年間過ごしたクラブを去って日本へ
セルジ・サンペール(24)が18年間に及ぶバルサ生活に別れを告げました。昨日はそのサンペールの退団会見が催されたのですが、トップチームで大きな功績を残すことなく去る選手のこういった会見は記憶になく。サンペールがそれだけクラブを愛していたことの証しです。
18年間のバルサ生活
セルジ・サンペールのトップチーム暮らしは、多くのクレが期待したようなものとはなりませんでした。
サンペールが特別だったのは、バルサの育成カテゴリーを全て経験した最初の“純ラ・マシア産”選手だった点です。どこかのクラブからスカウトされて入団するのではなく、ラ・マシアだけで育ち、トップチームまで到達した初めての選手。
同世代のエクトル・ベジェリンやジョン・トラルが英国からの甘い声に誘われてバルセロナを去る中、カンプノウでの成功だけを夢見て挑戦したのも大きかった。その姿にバルセロニスタは心打たれ、サンペールがセルヒオ・ブスケツの後継者となる日を心待ちにしてきました。
しかしカンプノウでの成功は、容易ではなく。
2014/15シーズン(チャンピオンズ、APOEL戦)に19歳でトップデビューを飾って以降、公式戦出場は13試合。セルジ・サンペールはトップチームで出場機会を掴めず、契約を解除する形でバルサ生活に終止符を打つこととなりました。入門は6歳ですから、24歳の今まで実に18年間に及んだバルサ生活でした。
さよならを告げる価値がある
退団会見は通常、チームで歴史を作った選手が開くものです。サンペールの場合は、わずか13試合出場の経歴でこのさよならの場を設ける必要があるのか、と問う声もあったようですが、なんといっても18年間ですから。
会見の冒頭でサンペールはこれが「相応しい機会」であり、「良いさよならをして、クラブにお礼を言いたかった」と述べています。その意思は誰も否定できるものではない。セントロカンピスタはいいます。
「思い出を一つだけ挙げるのは無理だよ。18年間だからね、たくさんの忘れられない経験をしたし、ひとつだけというのは難しい。スクール入団テストの初日のことは覚えてるよ。あの日、僕らは13-1で負けたんだけれど、幸運なことに僕は試験に受かってね。そこから全てが始まったんだ」
「僕はただの子どもだったけれど、一人で去るわけじゃないからね。多くの友人たちがいて、クラブに教えられたすべての価値(敬意、努力、野心、チームワーク、謙虚さ)もある。僕はクラブに恩があるんだ。バルサはいつまでも僕のカサ(家)だよ」
「ここで成功することが僕の夢だったし、ここでシーズンを終えたかった。でも決断をすべき時はあって、僕はこれが適切な瞬間だったと思う」
自分がどこまでやれるのかを見たい
バルサでは成功を掴めなかったとはいえ、まだ24歳のセルジ・サンペール。この若さでの日本行きには、多くの人々が驚いたようです。
「簡単な決断ではなかったけれど、自分が評価されていると再び感じたかったのが大きいんだ。今はフットボールを楽しむことに専念してるよ。ヴィッセルは僕にその可能性をくれている。楽天の創業者セニョール三木谷に伝えられたプロジェクトは、ソリッドで野心的なものだった。僕はそれに胸が弾んだんだ。神戸はバルサスタイルでプレーしているしね」
その野心的な計画において、重要な選手になってほしいとサンペールは口説かれた模様。フットボールを楽しみ、主力選手としてどこまでやれるのかを試したいとセントロカンピスタはいいます。
「自分を試したかったし、どこまでたどり着けるのかを見たかったんだ。自信は大いにあるので、どうなるか見てみよう。怖くはないさ。でも自分がどこを出るのかは忘れないし、バルサはいつも心の中にある」
カデッテやフベニールの頃から楽しみにしていて、トップ昇格まで果たした選手がクラブを去ることになったのは、やはり寂しいものがあります。すでに2年前からレンタル生活に入っていたとはいえ(今季は背番号16を付けてスカッド入り)、こうして退団が確定すると、やはり寂しい。でも日本を次の挑戦の舞台に選んでくれたのは嬉しく、神戸が第二のわが家になれば光栄です。
神戸でのセルジ・サンペールに大きな幸運がありますよう。
そしてイニエスタ、ビジャらとともに、わが家の妻氏の楽天ライフに貢献してくれますよう^^
このニュースのまとめ
- ・バルサとの契約を解除し、神戸へと移籍するセルジ・サンペール
- ・バルサスクールから18年間、アスルグラナ一筋の純ラ・マシア産選手だった
- ・フットボールを楽しみ、自分を試すために日本へ
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