暗黒時代ラストの2003年、更迭されたバンガールからバトンを引き継いだ
わずか5ヶ月間のバルサ監督時代ながら、チームを前向きな雰囲気に戻し降格から救う
去る4月5日(日)、セルビア人監督ラドミル・アンティッチがこの世を去りました(71歳)。アンティッチといえば、1995/96シーズンにアトレティコで達成した国内二冠ですが、バルセロニスタとしては暗黒時代のチームを救ってくれた救命士として感謝の気持ちが絶えない。ご冥福を心よりお祈りします。
危機的状況から、UEFAカップ出場権
「アンティッチ」と検索してみたところ、訃報の中で「バルセロナを指揮し」程度の説明しかなされていないラドミル・アンティッチ。Wikipedia日本語版でも「短期間監督を務め、GKビクトル・バルデス、MFアンドレス・イニエスタら若手選手に出場機会を与えている」との記述しかありません。
バルサ監督だったのは2002/03シーズンのことなので、若いクレには特に感慨もないでしょう。
ラドミル・アンティッチがバルサの指揮を執ったのは、わずか24試合です。ラ・リーガで18試合(9勝6分3敗)と、チャンピオンズで6試合(3勝2分1敗)。しかしセルビア人監督がカンプノウで過ごした5ヶ月は濃密でした。
当時のFCバルセロナは暗黒時代の真っただ中です。
ルイス・バンガールの二度目のバルサ挑戦が大失敗に終わり、ジョアン・ガスパールはチューリップ監督の更迭を決断。リーガでは15位に沈み、ヨーロッパ戦の出場権よりも降格が近い危機的状況で、チームを救う任務を引き受けたのがアンティッチだったのです。
そしてアンティッチ率いるバルサは苦難の末に、リーガ6位に滑り込んだ。
うっすらと残る記憶では、チームが辛うじてUEFAカップ(現在のヨーロッパリーグ)出場権を得たことに安堵し、アンティッチにはさほど感謝もすることなく次のフランク・ライカールト時代に視線が移ってしまったのですが、今にして思えば彼はよくやってくれました。
ちらつく降格の影にバルセロニズモの雰囲気は沈んでいましたし、そのなかでの勝点33を積み上げですから。
チャンピオンズでは(今はなき)2次リーグを勝ち上がるも、ユベントスとの1/4 final 第2戦@カンプノウにて、延長114分にサラジェタの一撃を食らって敗退。79分にダビッツが退場して数的優位になり、86分にチャビのゴールで同点としたことで希望はあったのですが。。。
ガスパール「クレはアンティッチに永遠に感謝すべき」
クラブの危機でアンティッチに賭けた理由を、当時クラブ会長だったジョアン・ガスパールは次のように説明しています(ラジオ局RAC1にて)。
「アンティッチは消すことのできない思い出を(バルセロナに)残したね。クレは永遠にアンティッチに感謝をするべきだよ。私が彼との契約のためにマドリー市へと向かった時のことだ、あるホテルでサインをしたんだけれど、彼は私に『私は6ヶ月だけでいい。後のことは見てみようじゃないか』と言ったんだ。そんなことは世界のどの監督もしなかっただろう。彼が監督を引き受けた時、チームはヨーロッパよりも降格に近かったことを考えればね」
「カオスな状況だった。そしてフットボール界を知る人たちは全て、あの状況ではアンティッチが適任だったと私に言っていたよ」
ラ・リーガ首位でバルベルデを引き継いだキケ・セティエンも大変ですが、暗黒時代は15位でしたからね。。
暗黒時代の救命士
当時は本当に混乱していて、そういえばカルラス・レシャックもバンガールの後任候補に挙がっていました。記録を見てみると、バンバンが更迭されてからアンティッチが監督就任するまで、“つなぎ役”でトニョ・デラ・クルスがチームを1試合だけ指揮し(カルデロンでのアトレティコ戦)、3-0で完敗したりしてるんですよね。そういえば、そんなことも。
(※2003年2月3日のSPORT。「希望の顔」。アンティッチ「私に恐怖はないし、私たちは上手くやっていくだろう」)
そしてガスパールも会長を辞任し(アンティッチ就任から1週間後)、暫定会長のエンリク・レイナが4月にアンティッチとの契約を1年延長するも、6月の選挙でジョアン・ラポルタが勝利したことで彼の監督続投はなくなり、裏門から去ることになっています。
自分が書いた2003年6月当時の文章を見返してみたところ、シーズン途中ながらも会長選挙のネタで持ちきり。UEFAカップ出場権を争いながらもロナウジーニョだ、ベッカムだ、監督はライカールトかヒディングか、と盛り上がり、アンティッチはラポルタ&ロセイによってあっさりと切られています。
しかしアンティッチがUEFAカップの出場権までチームを復調させていなければ、悪夢の二部降格だってあり得、1955年に欧州規模の大会が催されて以来、毎年欠かすことなく出場し続けている唯一のクラブたる称号もなかったわけで(当時はここに結構こだわっていたと記憶)、その功績に改めて感謝するところです。ありがとうラドミル、そして安らかに。
コメント
いつも記事の更新を楽しみに読まさせていただいています。また、このページからソシオになるチャンスをいただき、03-04シーズンでは10万台であった番号が今では7万台になりました。
長くなりましたが、アンティッチ元監督のご冥福をお祈りいたします。この02-03シーズンの12月にカンプノウのセビージャ戦を現地観戦しました。結果は0-3でボッコボコにやられて、「何しに来たんだ?」という思い出とあっちのホームかと思うぐらいの白いハンカチが咲き乱れ、ほぼ満場一致のdimisionのコールが忘れられません。
その後に現れた救急医療長のアンティッチ監督により、ヨーロッパ戦の皆勤賞を得るまでに治療してもらいました。当時あっちの新聞で、2部降格を救え等面白おかしくクラシイスを書かれた記憶があります。
シーズンが変わり、ベルナベウのチャビのカンフーゴールで白組とのパワーバランスが変わり(自論)、ロナウジーニョとライカー、ペップとメッシ、カンテラのフットボールと歴史が続いてきます。アンティッチがいなかったら、また別の歴史となっていましたが、暗黒の出口に導いてくれたアンティッチの感謝は忘れられません。
どうぞ安らかにおやすみください。
懐かしい。
まだ「アスールグラーナ」など駆け出しのバルサ系サイトがいくつかあった時代かなぁ。いつの間にかここしか見なくなった。長くお世話になっております。
いつも生活の一部として拝見しています。
初めてバルセロナというクラブに接したのが、02/03シーズンです。当時まだ民放でも深夜に試合が放映されていてクライファートとサビオラとルイスエンリケのプレーに痺れてファンになりました。今思えば、アンティッチ監督時代かなと。
その頃の影響かオランダ代表も好きでした。デブール・コクー・オーベル・・・
それからこのサイトでバルセロナを追っかけ、グッズ購入、現地カンプノウで観戦したり(ラシン戦、アンリがFKを入れ、ティアゴ・アルカンタラ初ゴールだったような)、ずっと応援してます。
自分がバルセロナのファンになった方だと。ご冥福をお祈りします。
あ〜〜、そうだったんですね!
記憶の中で、「降格危機の中、ライカーが就任、怒涛の連勝(連続無敗だったかも)で急浮上」と書き換えられてました。
ほんとはアンティッチ監督だったのですね。
私は暗黒時代の始まりとともになぜかバルサのファンになり、このずんどこ時代は事情によりテレビを見られなかったため、まだまだ低速のインターネットで情報を集めて回る日々でした。ふがいないバルサに落胆しつつ、そんな中でこちらの管理人さんの愛とユーモア溢れる語り口にどれだけ救われたことか。映像は見なくとも逆に濃密な、気持ちだけは一緒のシーズンを過ごし、以来、バルサは私の生活の一部です。私の人生を豊かにしてくれた管理人さんとアンティッチさんに心から感謝です。
アンティッチさん、どうぞ安らかにお眠りください。