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スエルテ、ボージャン!

ストーク・シティへと完全移籍した“9番”。

さて、フットボル的には出会いと別れの季節であるこの夏に、またひとつ寂しいニュースが入ってきました。FCバルセロナの宝、とも言われたボージャン・ケルキックの移籍に関し、クラブがストーク・シティと合意したとの報せです。彼がデビューをした頃は、メッシと2人でゴールを量産しまくっている未来しか想像しませんでしたが、この世界では特にすんなりとは事が運ばないもので。ラ・マシアが生んだ“天才ゴレアドール”は静かに、英国での新生活を始めます。

移籍金推定200万ユーロ、4年契約

チャビ・エルナンデスがバルサとの契約を解除すると言われていた22日、実際にクラブとの関係を終わらせたのは、カンプノウの星になっているはずだったボージャン・ケルキックでありました。ここ3年間の扱いを見ていると、その結末は十分に想像できたことですが(むしろ自然な展開)、愛された子の退団だけに寂しさは拭えず。それも選手側が出場機会を外に求めての移籍ではなく、巨額のオファーを断りきれなかったわけでもなく、クラブが裏門から追い出すようなかたち、ってのが寂しさを増幅させます。

この3年間、ボージャンを戦力に数えることなく他クラブに送り出してきたバルサフロントは、今夏も引き続き彼への扉を閉ざしていました。最終的にプレシーズンに参加をしていたボージャンでしたが、クラブは当初彼を招集しておらず。デランテロが強く望んだことによる、トレーニングへの参加許可でした。

しかし、ボージャンを28日からの“英国ステージ”へと帯同させるつもりのないフロントは、彼への圧力を強めていったようです。移籍先を決めるよう迫られたボージャンは、まずマラガとオリンピアコスを却下したとSPORTは言います。そして残ったデポルティボとストーク・シティの2つから、マルク・ムニエサの所属する英国行きを選択したと。クラブ運営面でデポルより安定していたのと、元バルサ選手のマーク・ヒューズ監督から、個人的に説得されたのも大きかったようです。

移籍金は公表されていませんが、メディア報道によると200万ユーロ前後。将来ストークがボージャンを売る際には、その収益の何割かを得られる内容であるようです。契約期間は4年となっています。

クラブ記録を塗り替えまくった希望の星

7年ほど前のボージャン・ケルキックは、バルセロニスタの希望の星でした。“4番”ばかりが生まれてくるラ・マシアから、またまた本格的な点取り屋が生まれた!わっしょい!末はバルサのラウールだ!と、大きな期待を受けたカタルーニャ人のデランテロ。フットボルバッセではありとあらゆるゴール記録を塗り替え、400回以上ネットを揺らしたのですから当然でしょう。当時はレオ・メッシがトップチームで頭角を現し、ルドビク・ジュリからポジションを奪っていた頃。そのメッシの記録を破りまくってのトップ昇格だったわけです。

2007年9月16日に弱冠17歳でトップデビューを果たしたボージャンは、フランク・ライカーのお気に入りとなり、ここでも幾つかの記録を樹立していきます。同年10月20日にはリーガのビジャレアル戦で得点を決め、メッシを抜いてクラブ最年少得点記録を更新。チャンピオンズにおいても、大会史上2番目の若さでゴールを決めていまして、この時の記録更新なるか?の盛り上がりは実に心躍ったと記憶しています。ライカーの下でのデビュー年は48試合に出場し、12ゴール。うち10ゴールはリーガで、ラウールの新人初年度記録(9)も更新しました。これは明るい未来を夢想しない方が変でしょう。

しかし、、、運命とは残酷なもので、翌年にライカーに代わってチームを率いたペップ・グアルディオラはボージャンを重用しませんでした。2008/09シーズンはコパ要員(9試合で5ゴール)となり、リーガは23試合出場でゴール数はわずか2に減少。2009/10シーズンは最終的にズラタン・イブラヒモビッチからスタメンを奪い、リーガ終盤戦では貴重なゴールを連発、優勝に大きく貢献したわけですが、ペップの考えを変えるほどではなかったようです。2010/11シーズンは7ゴール。ウェンブリーでのチャンピオンズ決勝で、最後の交代枠が自分ではなくアフェライだったことが、ボージャンにはショックだったとも言われています。

そこからは流浪の旅の始まりです。2011/12シーズンはルイス・エンリケ率いるローマに移籍するも、これといった結果を残せず(7ゴール)、翌年はミランへレンタル。公式戦29試合に出場し、得点はわずかに3つでした。バルサへと戻ってきた昨年はアヤックスへと貸し出されましたが、期待されながらも5ゴールに終わり、今回のストーク・シティー移籍へと至っています。どこかでブレイクしていれば、結末もまた違ったかもしれないのですが、、、残念。

ボージャンはまた、クラブ最速での100試合出場も達成していたわけで、その彼の現状はバルサで200、300、400と試合を重ねていくことの難しさを改めて実感させます。デビューが若かっただけに、未だに23歳というボージャン。多少の回り道をしましたが、まだまだ復活できる年齢ですし、遠くの街から活躍のニュースが届くのを楽しみにしていますよ!ブエナ・スエルテ(幸運あれ)、ボージャン!

 

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