メディアの主役になることは念頭にない。
人の性格は様々で、当然フットボリスタも様々。下着姿でリフティングする様子をウェブ上で披露する選手もいれば、そもそもSNS自体をやっていない選手もいます。我らのセルヒオ・ブスケツはその後者の好例で、“地味をもって尊しと為す”といわんばかりに地味街道をまっしぐら。クレとしましては彼こそ世界最高のメディオセントロであるとの評価は揺るがないのですが、世界中のプロ選手(同業者)の投票で選ばれるFIFProのワールドイレブンにも選出されないなど、世間的な存在感は極薄のようです。しかしながら本人はそういった個人賞と無縁であることを気にしていない様子。「望むのはチームタイトルさ」と述べています。
FIFProのワールドイレブンに“忘れられた” NO.1ピボーテ
少し前になりますが、チューリッヒ(スイス)のコングレスハウスにて催されたFIFAとかいう組織の賑やかな式典において、発表されたFIFA/FIFProワールドイレブンは、バルセロニスタにとっては不満の残る顔ぶれでした。投票を行った世界中の約2万5千人のプロフットボル選手の皆さんはどこを見てらっしゃるのか?と言いたくもなる受賞者がちらほらいて、明らかに選出されるべき我らのセルヒオ・ブスケツが入っていないなんておかしいじゃないかと。しかしセルヒオ本人はそういった事柄には(少なくとも表向きには)さほど関心はないようです。19日付のSPORT紙のインタビューで、バルサの5番はこう語っています。
「誰だって自分の仕事を認められたいものだけれど、その一方で、そういった個人賞が時に大衆向けだってことを僕は分かっているからね。トリプレーテを達成した僕らのチームもそうだし、すごく良いシーズンを送ったけど選ばれてない選手はたくさんいるよ。でも同時に、怪我で長期間離脱していた数人を除けば、選ばれた選手たちが偉大なのは確かだ。まあ僕は自分が良い仕事をしたと思っているし、重要なのはチームレベルで僕らがトリプレーテを達成し、その後にまた二つのタイトルを獲ったことだよ」
外野から見ていますと、セルヒオは自ら進んで目立つことを避けようとしているようにも思えます。今では多くの選手たちが活用するSNSを、彼は表向きには使っていません。
「僕はSNSを持たず、世間の注目を集めようとしないことでメディアから距離をとっているんだ。その意味で僕は大多数の選手たちとは数光年の距離があるけれど、そう決めたんだよ。僕としてはピッチの中で良い仕事をして、フットボルを本当に好きな人たちに認めてもらえればそれで好い。それで大満足なんだ。僕はシーズンの終わりにチームがタイトルを獲得している方が好いよ」
将来的にもSNSを始めるつもりはないのですか?との問いには、「難しい決断だね。トップチームに昇格した時から、SNSをする必要性を僕は感じなかったんだ。僕らには新聞(報道陣)があるし、それで十分だよ。SNSが良いように使われることも時々あるけど、そうじゃないこともあるわけで、要はバランスをとって上手い使い方を知ることだよね」
セルヒオはまた、近々父親になります。子供が生まれることで、生活は変わるのか。「フットボル選手としては変わらないと思う」と予想するセントロカンピスタですが、個人レベルでは変化があるかもしれないと言います。「でも僕は多くの時間を自宅で過ごしていて、静かな生活をしているから、そのあたりは変わらないよ。これからは子供が優先されるのは確かだけれどね」
今なお向上を続ける秘密
世間の評価がどうあれ、セルヒオ・ブスケツがバルサにとって不可欠で生命線といえる選手なのは間違いありません。彼のすごいところは、メッシやイニエスタもそうなのですが、メディオセントロとして世界最高と考えられるようになってからもさらに新化を続けている点です。その秘密について、セルヒオはこう説明します。
「僕は自分に対してすごく批判的で、おそらくは行き過ぎてるんだけど、僕にはそれが良いんだ。僕が見るのは試合がどう進んでいったか、自分の良かったプレーは何か、悪かったのはどこか、改善できるプレーは何か、といったところ。毎日の積み重ねが基本だと僕は思っているよ。社会生活においては、可能なかぎり健康に気を配り、しっかり休み、全力でトレーニングし、チームメイトたちや監督から学ばなければいけない。これからも向上し、成熟し、バルサの柱の一人であり続けられればいいね」
カピタンの一人となったことによる責任感などはどうでしょうか。「チームで自分が重要であるとは常に感じていたし、自分の役割も知っていたよ。トップチームに昇格してきた頃と、第3カピタンになった現在とでは役割は同じじゃない。役割ははっきりと変化している。外から見えることしか話には出ないけれど、自分だけじゃなく他のカピタンたちやロッカールーム全体において、物事は上手くいっていると思う」
プロ選手になれると考え始めたのは「フベニールAからバルサB時代のこと」だというブスケツ。その頃は「もちろん希望はあったけれど、事がこんなに上手くいくとは思ってなかった」と彼は言います。若き日に目標としていたのは誰なのか。クラックの答えはこうでした。
「これといったアイドルはいなかったけど、戦術的に似ていそうな選手には注目していたよ。パトリック・ビエラやチャビ、ヤヤ・トゥレもそうだね。ヤヤからは多くの事を学んだと認めないといけない」
バルサの黄金期に中心メンバーとなれた幸運については、「勝つことはどんどん難しくなっているよ。自分が想像もしなかった夢に僕はいる。これが終わらないようにしていかないとね」とのことです。
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