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カンテラーノたちの新本拠地、エスタディ・ヨハン・クライフ始動!

バルサB、フェメニノ(女子)、フベニールAの新しいホーム
銅像に続いてレジェンドの名を冠したスタジアムが完成し、メッシらカピタンたちも駆けつけた

FCバルセロナの伝説であり、バルサスタイルを築いた故ヨハン・クルイフ(クライフ)の名を冠したスタジアムが完成し、その記念式典が盛大に催されました。このエスタディ・ヨハン・クルイフはバルサB、フベニールA(U-19)、そして女子チームの本拠地となる。始球式を担当したジョルディ・クルイフ曰く「夢の育つ場所」であります。

※フベニールAが使用するのはUEFAユースリーグ試合

エスタディ・ヨハン・クルイフはバルセロナの隣町、サンジョアン・ダスピ(Sant Joan Despi)にあります。選手寮ラ・マシアやトレーニング場のあるクラブ施設シウタット・エスポルティーバの一部で、収容人数は6,000人です。

元々この土地はジュゼップ・ルイス・ヌニェス元会長が購入していた場所。ジョアン・ラポルタ時代にトレーニング施設が作られ、サンドロ・ルセイ時代には新ラ・マシアが整えられていってます。歴代会長たちが少しずつプロジェクトを進め、いまの形に仕上がっていきました。

バルサBの本拠地だった、カンプノウに隣接するミニエスタディはこれにて完全に役目を終え、解体されてバスケットチームの本拠地 新パラウ・ブラウグラナが建設される。
FCバルセロナのカンプノウ周辺再編一大プロジェクト“エスパイ・バルサ”の重要な一歩が、このエスタディ・ヨハン・クルイフになります。

観客にとって非常に優しい、観戦しやすいスタジアムだそうですから、カンプノウ詣の際にバルサBなどの試合があれば、是非訪れたい場所です。

ジョルディ・クルイフの始球式

Embed from Getty Images

ちょっとしたオリンピックの開会式のようなオープニング式典の最後、始球式のためにぴかぴかの芝生に登場したのはヨハン御大の息子、ジョルディ・クルイフでした。
彼に付き添っていたのが母ダニーさんと、カンテラ出身の四人のカピタン(レオ・メッシセルヒオ・ブスケツジェラール・ピケセルジ・ロベルト)、バルサBのカピタンであるフェラン・サルサネダス、そして女子チームのカピタナ、マルタ・トレホン
ジョルディが始球式で蹴った、選手たちのサイン入りボールは、父ヨハンがバルサに入団した1973/74シーズンのボールだそうです。

また、式典にはアヤックスつながりでフレンキー・デ・ヨングも出席しています。
(セレモニー後には、バルサとアヤックスのフベニールチームによる記念試合。アヤックスが0-2で勝利)

前日には銅像の除幕式

このエスタディ・ヨハン・クルイフの落成式典の前日、8月26日には、カンプノウの正面玄関前にてヨハン・クルイフの銅像の除幕式が催されました。

製作はオランダ人彫刻家 Corry Ammerlaan van Niekerk さん(製作期間4ヶ月)、土台を含めた高さは3.5m、重さは1,500kg。
銅像のヨハンは選手の姿をしており、私たちバルセロニスタを導くようにどこかを指さしています。
土台に刻まれているのは監督時代の名言「ピッチに出て、楽しんでこい」(”Salid y disfrutad” 1992年チャンピオンズ決勝の際、ロッカールームで選手たちに送った言葉)です。

息子ジョルディ・クルイフは昨日 ラジオ局COPEの番組内で「わが家にとってとても感動的で慌ただしい2日間だった」と振り返り、父の銅像に関して「銅像のイメージは父のものだったし、リーダーだった父の姿が見受けられたから、とても気に入っている」と述べています。

クラブ会長にとっては、バルサが重要な決断を必要とする時には、ひっそりと天国のヨハンと対話する場所になれば良いと思う。そして選ぼうとしている道が、間違っていないのか考えればいいのです。

クライフの銅像や彼の名前が冠せられたカンテラーノたちのための新スタジアムが完成し、クレがバルサスタイルへの思いを新たにしたその裏側で、理事会がネイマールを呼び戻そうと必死になっているのが、なんとも悪い冗談のようで。

エスタディ・ヨハン・クライフでプレーする若者たちが、次のステップであるカンプノウを夢見られるようなクラブであってほしいと願います。

このニュースのまとめ

  • ・バルサB、女子、フベニールAの本拠地となるエスタディ・ヨハン・クライフが完成し、記念セレモニーが催された
  • ・ヨハンの息子、ジョルディ・クライフが始球式
  • ・前日はカンプノウでクライフ銅像の除幕式があった
  • ・一方でクラブはネイマール獲得に必死

 

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