3年間のバルサ生活を終え、チェルシーへ。
ムンディアル開幕戦ではネイマールが2ゴールをあげてスターぶりを存分に発揮し、一方で前大会王者スペイン代表が2日目に出番だということで、カタルーニャのメディアも祭りの始まりに胸ときめかせているこの金曜日。ひっそりと、というわけではないですが、二次的な扱いとなっているのがセスク・ファブレガスのチェルシー移籍です。しばらく前から青組行きは既定事実のように報じられていましたので、驚きはないニュースとはいえ、決まってしまうとやはり寂しく切ない。バルサにおける幸せな結末の難しさを改めて感じるところです。
「今がプレミアへと戻る適時」
セスク・ファブレガスは12日(木)午前、自らのSNSアカウントにて公開書簡を投稿することでチェルシーへの移籍を明らかにしています。切り出しはこうです。「まず第一に、すばらしい3年間を楽しんだFCバルセロナのみんなに感謝したい。バルサは僕の少年時代のクラブだったし、バルサのような偉大なチームでプレーするチャンスを手にしたことを、僕はいつも誇りに感じ名誉に思うだろう」
「僕はプレミアリーグで未解決の仕事があると感じているし、今がプレミアへと戻る適時だと思うんだ。そう、アーセナルが僕と契約する最初のオプションを持っていたことはみんなが知っている。(でも)彼らはこのオプションを使わないことを決め、それで僕らの道が再び交わることはなかった。彼らの良き未来を願ってるよ」
そしてセスクは「他のオファーを入念に検討し、チェルシーが最善の選択だったと信じている」と続け、「彼らには信じられないチームと並外れた監督がいる」と新クラブを賞賛。「このチームに完全にコミット(覚悟してやったるぞと決意している)しているし、プレー開始が待ちきれないよ」と述べてる辺りが、アーセナルファンをかなり刺激しているようです。彼のフェイスブックのコメント欄はバルセロニスタ(幸運を!)、グーナー(裏切り者!)、チェルシーファン(ようこそ!)の各感情が入り乱れる空間となっております。
公開書簡の最後を、「母国がワールドカップを連覇する手助けをすることだけに意識を集中させるために、この移籍を大会開幕前に完了させることが極めて重要だった」と締めくくったファブレガス。それが1-2日前でなく木曜だったのは、ムンディアル開幕に敢えてぶつけた、、というのは邪推しすぎですか。
人生における最大の挑戦、だったバルサ復帰
2011年8月15日にカンプノウで行われた入団(出戻り)プレゼンテーションで、セスク・ファブレガスは次のようにバルサ復帰への喜びと決意を表しています。
「下部カテゴリー時代に出て行った選手を再び信頼してもらうことが、難しいのは承知してるよ」
「自分がこれから世界最高の選手たちと競争していくことは知っている。僕は困難な挑戦が好きなんだ。恐れはない。全くその逆だよ。バルサは僕の人生における最大の挑戦だ」
「僕のことを許さないであろう人たちがいること、自分が他の選手の倍を求められるであろうことも知っているんだ」
「この瞬間を何年間も待っていた。今日はとても特別な日だよ」
この2011/12シーズンはチアゴ・アルカンタラがバルサBからいよいよトップ昇格してくるぞ、という年で、バルサでの競争よりもロンドン行きを選んだ選手(しかもアーセナルと長期契約までした選手!)に大金を投入してまで呼び戻す必要はあるのか!?との議論が白熱していたのを思い出します。是が非でも呼び戻すべきムードと、高すぎることへの反発と。結局カンテラっ子ゆえにすぐさま受け入れられましたが、プレゼンテーションで彼が認めていたとおり、ファンからの視線は厳しいものであり続けた3年間でした。
セスクにとっては、彼の3年間のカンプノウ生活がチームの下降期と重なったことも不運でした。この3シーズンはペップ・グアルディオラ、ティト・ビラノバ、タタ・マルティーノと毎年監督が交代し、彼らはそれぞれにセスクの活用法を模索しながらも、最善の結論を導き出せなかった。クレがセスクに唸ったのは1年目の前半と3年目のメッシ不在時くらいでしょうか。ペップもティトもセスクを活かす方法を模索しながらも、シーズン終盤はどちらも控えで終わっていたセントロカンピスタ。もっともセスクにこだわったのはタタでしたが、数字を残しながらも彼はメッシスタイルには合わなかった。カンテラ育ちゆえ、“バルサに合わないはずがない”と言われたのに合わないんですから、フットボルの世界は複雑であります。
アーセナルでの8年間で身につけたプレミア式プレーは、バルサに新たな味わいを加えるとも見られたのですが、ピッチ上での足し算は容易ではありませんでした。最前線の少し後ろで守備陣を引っ掻き回すアナーキストであるセスクは、メッシシステムのバルサには適合せず、かといってインテリオールでも会心のゲームは少なく。もし彼がプレミアへと行かず、ラ・マシアから這い上がってトップチームに定着していたらどうだったろう(もし、よりインテリオール色を強めていれば)、と妄想します。少なくともあと2年くらい戻ってくるのが早かったら、また違ってたんでしょうか。
クラブ史上2番目の高額移籍金
3,300万+出来高300万ユーロと言われる移籍金に関しましては、FCバルセロナの選手放出史における2番目の高額退団選手となります。これを上回っているのは、100億ペセタ(当時。ユーロ換算では6,000万ユーロほど)だった契約解除金を支払われ、マドリーへと去ったルイス・フィーゴのみ。バルサにしては珍しくたくさんのおカネを残してくれた、と言われたトゥレ・ヤヤでも3,000万ユーロ。チアゴ・アルカンタラが2,500万ユーロです。
セスクがSNSでも触れているように、彼の買戻し権を保有していたアーセナルがその権利を行使した場合、バルサ(とセスク)が彼らに支払った移籍金に100万ユーロを加えた3,600万ユーロでセスクを呼び戻せていたとされています。もしマンチェスター・ユナイテッドが4,600万ユーロで手を上げても、アーセナルが3,600万ユーロで呼んだらセスクはそちらを選んだのは確実。現実にはガナーズはセスクを呼び戻さなかったのですが、彼(とダニエラ)の希望がロンドン復帰一択なら、チェルシーに合計3,600万ユーロ以上をオファーする理由もありません。その3,600万ユーロ条項がダダ漏れってのが問題ですかね。
いずれにせよ、なんだかんだでバルサで成功してほしかった選手が夢破れてクラブを去るのは寂しく切ないことです。数々の因縁が実現するチャンピオンズでありますから、遠からざる将来、セスク+モウリーニョのチェルシーとバルサは対戦することになるでしょう、きっと^^。モウとルーチョも旧知ですし。ということで?あっちでも何かと大変でしょうがグッドラック、セスク!3年間アリガトウ、また会う日まで!
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