バルサの選手となってとても幸せそうなデランテロ。
マドリー戦、セルタ・デ・ビーゴ戦の連敗によって、FCバルセロナの周辺はざわざわと心穏やかならざる状況となっています。メディア(≒人々)の関心はルーチョバルサがどういう状態で、どのようにすればこのシーズン最初の難局を乗り切れるかに集まっており、メディアに登場する関係者はもれなく“ぷちクライシス”に関する見解を訊ねられることになります。月曜日はジョゼップ・マリア・バルトメウ会長、ルイス・スアレス、そして御大ヨハン・クライフが公けの席でバルサなどなどに関してのコメントを披露。こちらではウルグアイの点取り屋さんの言葉たちを拾ってみましょう。
バロンデオロ?僕は貝になります
FCバルセロナの“9番”は11月3日(月)、バルセロナのラジオ局RAC1の番組“Primer Toc”に出演し、自らやチームについての各テーマについて率直なる思いを語っています。まずは、今のルイス・スアレスにとって不可避な質問、バロンデオロ2014の候補者リスト23名から除外された件についてです。ルイシートは言います。「プレミアのような世界で一番難しいリーガの1つで最優秀選手に選ばれて、クリスティアノ・ロナウドと並んで欧州得点王になった選手がいないんだから、みんなの注目を集めるよね。でも僕はなにかを言うよりは黙っておきたい。僕がしゃべると問題が起きるだろうから」
本音を言えば騒ぎになりそうなんですね、、との想像はさておき。チームの現状についての話題とは別に、バルサ入団時のあれこれについてもスアレスは説明しています。「ペレ(グアルディオラ代理人)から電話があって、バルサが僕を獲得すると言われた時は、涙が出たよ。僕はそれが信じられなかったんだ。キエッリーニの事があってから話は消えたと思っていたし、クラブがしてくれた多大な努力のことを僕はずっと忘れないだろう。マドリー?他のクラブと同じように会話はあったんだけれど、自分が白いクラブに近づいたと感じた瞬間は一切なかったよ」
ムンディアルの噛み付き事件にて、4ヶ月間公式戦から締め出されたルイス・スアレス。この制裁期間中、デランテロが心を痛めたのは幼き愛娘の素朴な質問でした。「4歳になる僕の娘が、こう訊ねてくるんだ。“ねえパパ、今はどうして試合に出ていないの?”。僕の胸はすごく痛んだよ。自分が犯した過ちによって、自分をプロだとは感じられなかった。娘には、パパが間違ったことをしたからだよ、君のパパは完璧じゃないんだと説明した」
批判を消化し、状況を変える
勝っている時は胸を張って誇らしげに春を謳い、好ましからざる結果が続くと深刻な表情で冬を憂う。バルセロニスタにはそういう傾向が強い気がしますが、ルイス・スアレスは前向きに今を見ます。「勝てなければ批判を受けるもので、地元での試合なら特にそうなるよ。連敗して批判されるのは普通のことさ。僕らはセルタ相手にたくさんチャンスを作り、姿勢も良かったんだ。でもフットボルは必ずリベンジの機会を用意してくれるもので、(水曜の)アムステルダムでの試合はそれに当たる。僕らは状況をひっくり返さないといけない。自分たちの力を僕らは信じてるよ」
バルセロナは強力トリデンテを擁しながらも、70年以上カンプノウで勝利のないセルタに敗れました。「負けを引き受けるのは難しいことだけれど、責任は全員のものだからね。メッシとネイマールとスアレスがいたから、じゃなくて。2試合をプレーして、その両方で負けたことはちょっと驚きだけど、そのことはもう忘れるべきだし、必要なのは状況を変えていくことなんだ。僕らは今も自分たちを信じているし、改善できると思っている。この状況を元に戻す準備をチームは整えている。これまでの件がある僕はもっとだよ。負けた夜は、なかなか眠れないんだ」
セルタ戦でのバルサのパフォーマンスについては。「セルタはプレッシャーの激しいチームだからね、ラインを飛び越すために、デフェンサからデランテロまでダイレクトなプレーをする必要があると僕らは知ってたんだ。0-1とされたことで僕らは必死になり、さらにダイレクトなフットボルになっていった。それはバルサがいつもしているような洗練されたプレーじゃなかったね。ボールが入りたがらない時は、ゴールへは入らないんだ。0-1となるまで、セルタの得点機は1回だけだった。その後は僕らがむき出しになって、彼らはよりチャンスを作っていたね」
古巣のアムステルダム・アレナ訪問
先日のスーペルコパ・カタルーニャにて、鮮やかな切り返しの後にジェラール・ピケのヘッド弾をアシストしたルイス・スアレスですが、あのプレーは実はそういう意図ではなかったんだと明かした点取屋です。「セルタ戦での僕には2回、切り返すんじゃなくてシュートを打たなければいけないチャンスがあったね。アタッカンテであっても、僕はアシストが好きなんだ。チームメイトがフリーでいるところを見たら、僕はその彼にボールを渡そうとするよ。ただジローナでの(エスパニョール戦の)あれはピケへのアシストじゃなかった。バセリーナを狙ったところ、彼がキレイに決めたんだ」
バルサのスタイルに馴染んでいっている、とスアレスは語ります。「時間の経過にしたがって慣れていくものだからね。ベルナベウではボールに触れて好い気持ちだったけれど、戦術的にはちょっと雑だった。でもこの1週間改善に努めたことで、セルタ戦では良くなっていたと思う」。ポジションについては、「アヤックスやリバポーでして来たように、攻撃的ポジションはどこでも可能」と強調したデランテロでした。
この火曜と水曜、ルイス・スアレスはかつての本拠地(2007-11)だったアムステルダム・アレナを再訪します。「アヤックスのような長い歴史のあるクラブで、僕は22歳にしてカピタンになったんだ。僕はあそこで多くを学んだ。戦術面で鍛えてくれたアヤックスに僕は感謝をしてるよ。アヤックスはフットボルの学校さ。チャンピオンズで初出場したのもアヤックスだったし、これから僕はバルサ選手としてアヤックスと対戦する。これは運命だよね。奇妙な感じがするけれど、バルサで全力を出さないといけない。あとは1/8ファイナルでのリバポーとの対戦だね!」
大エースのレオ・メッシとは、友好な関係を築いているとスアレスは言います。「レオの隣りでプレーできるのはすごい特権だよ。人がどれだけ彼を疑問視しようとね。彼がどれだけの選手で、どれだけの賞を勝ち取った選手かをみんな知っている。同じように、ネイやアンドレスやチャビたちとプレーできるのも恵まれたことさ。僕らはお互いをもっと補い合わないといけない。レオとはとても好い関係だよ。彼やハビエル(マスチェラーノ)とは、文化が似ているんだ。マテ茶を飲んだり、家族との時間を大事にしたりね。ハビエルともよく一緒にいるよ。僕はとても満足してる」
カンプノウに忍び込んだ日
ウルグアイ代表はその他のよりプライベートな話題についてもコメントしています。スアレスのバルサ愛が高まったのは、妻ソフィア・バルビさんの影響抜きには考えられません。「今の妻と試合を見に行った時、バルサの全てに惚れたんだ。スタジアムやショップ、全てを好きになったよ。街もとても居心地がよかったしね。ここでプレーするのは僕の夢だった。でも愛の話をする時、距離は難しい問題になる。お金に余裕がなくて、旅費を都合できないとなれば余計にね。一緒になるために僕らは努力をして、今はバルセロナで暮らす夢を叶えている。僕らを離れ離れにした街で、僕らは今2人の子供たちと暮らしてるんだ。僕の人生は映画にできるかもね。自分たちが夢を生きていることを、僕らは気付いてるよ」
ちなみに若き日にカンプノウを訪れた際、スアレスたちにはこんな事があったそうです。「スタジアムのゲートが一つ開いているのを見つけてね。僕らは中に入って、写真を1枚撮って、走って外へ出たんだ。少し前、会長と冗談を言いあった時、罰金を払ってもらわないとなって言われたよ^^」
その当時、ロナウジーニョの大ファンだったとクラックは振り返ります。「あの頃の彼はスペクタクルだったね。僕は彼のプレーを見るのが大好きだった。その後はチャビやイニエスタを擁したペップ時代。僕は彼らをとても敬服してるんだ」
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