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クエンカ、チアゴ、エスティアルテ

 

◇クエンカは全治3-4ヶ月

怪我の多発したシーズンを総決算するかのように、公式戦が終わった今となっても、バルサ選手たちの怪我に関する話題がメディアを賑わせています。5月最終日となった木曜には、イザーク・クエンカが右ヒザの外側半月板とやらを手術。復活には4ヶ月ほどかかると見られ、楽しみにしていたオリンピックはおろか、シーズン開幕も絶望的となっています。関節鏡手術なのでもう少し早いかと思っていただけに、残念。

今回オペを担当したのは、バルセロナでヒザといえばこの人のラモン・クガット大先生と、クラブドクターのリカルド・プルーナさんです。手術終了後にはいつものように説明会見が行われ、ドクターは若きエストレーモの状態についてはこう見解を示しています。「3ヶ月以内に完治することはないでしょう。おそらくは4ヶ月、4ヵ月半はかかるものと見ています」

どうしてそんなに時間がかかるのか。ドクター・クガットはこう説明しました。「選手が弱冠21歳であることと彼の将来を考慮し、私たちは超保守的な関節鏡手術を行うことに決めました。半月板の摘出は選択肢から外しました。外側半月板を取り除いた選手の1~2%はプレーに戻れないことがあり、私たちはそういったリスクは冒したくなかったのです」

クエンカが右ヒザに痛みを感じ始めたのは12日ほど前のことだそうで、最初は保存療法を行っていたそうです。しかし最終的には手術を行うことを決断し、今に至る。これからは1週間ほど患部を固定し、1ヶ月~1ヵ月半は松葉杖を付いた生活、そしていよいよ本格的なリハビリのスタートとなるそうです。「8月の上旬にはトレーニングに戻れるでしょう」とプルーナさんは見立てています。

 

◇チアゴは五輪に間に合うかどうか

クエンカのほかにもう1人、トップチームからは長期離脱者が現れています。アスレチックとのコパ決勝で右脛遠位端(くるぶし近く)に打撲を受け、それで浮腫とやらが出来たチアゴ・アルカンタラです。浮腫ってなんだろう?と思い調べてみると、どうやら”むくみ”。優勝翌日にカンプノウで行われた祝勝イベントでチアゴは半パンを履いていましたのでじ~っと脛の辺りを見てみると、腫れている様子はないので、足首周辺がイタタなのかもしれません。普通に歩いているチアゴですが、若干歩きづらそうにしているような、そんなふうに見えなくもないです。

そこで医療部はチアゴに対し、怪我を悪化させないためにユーロへの参加を見送るようにアドバイスし、この夏はせっせと治療を行っていくことになりました。前述のドクター・プルーナの説明によれば、兄アルカンタラは毎日午前と午後の2回クラブの医療センターへと通い、磁気治療を受けることになるのだとか。そして7月半ばにもう一度状態を評価し、悪化のリスクがないと判断されれば、ロンドン五輪には出場できるかもしれないということです。まあなんであれ、クエンカともども、これが夏休みでよかったなと。

その他の負傷選手たちに関しましては、ダビド・ビジャはシーズン開幕にトップフォームに戻っていることが目標。セスクのハムストリングス肉離れは重傷ではないけれども「部分的に危険なので注意は必要」。アルベスはリハビリをブラジルで行い、フォンタスの回復は「ファンタスティック」とドクターはコメントしています。

 

◇マネル・エスティアルテの語るペップ秘話

日本で水球といえば超マイナースポーツですが、ヨーロッパでは高人気。その伝説的選手だったマネル・エスティアルテの名前といえば、あちらではそれはもう轟きまくっているようです。そのエスティアルテさんがペップの大親友であることは、熱血クレなら基本情報の類(ですよね?)。ペップ時代にはチームの外交担当(記者会見での補佐役?)として、グアルディオラを支えてきました。そしてペップの退団と共に、エスティアルテもバルサを去った。31日付けのEL PERIODICO紙に彼のロングインタビューが掲載されていますので、特に興味深い部分だけを抜粋してみます。

「誇りと共に去るけれど、世界最高のチームを離れるのは寂しくもある」というエスティアルテさんは、周囲が勝手に書いたり話したりしていることにより、最後は「孤独感」を覚えてもいたそうです。バルサではペップと選手たちの橋渡し役となることを優先していた彼。しかしそれは簡単な仕事ではなかったんだと彼は言います。「監督の親友であることを知られながら、22人の選手たちに信頼されるのはとても難しいことだった。お前はスパイだろ、と思われてしまうからね。彼らに受け入れられたことが、私の一番の誇りなんだ」

「2、3人の記者たちがペップを罠にかけようとして、何度も質問を仕掛けていると感じたことが何度かあった」というエスティアルテ。彼は親友でありながらもペップの「全てを処理していく能力に驚いた」と語っているのですが、インタビューではこんな裏エピソードも明かしています。「彼の最後の契約更新の際、私たちはある討論をしたんだ。ペップは協力してくれた人たちの間で給料の一部を分けたいと言い出してね、私はそれを断ったよ。私たちは給料を得ていたし、ボーナスももらっていた。報酬は受けている、と感じていたからね。それにリストはスタッフだけじゃなく、ガードマンやその他職員、バルサBの人たちなど恐ろしく長くなっていた… それで彼はサバデイ銀行の広告で得たお金を、全員で分けたんだ」

そういうペップの出来た人間であるところを、アノ男のように、執拗に標的にする人たちもいます。マネルはこうも語っています。「時々彼は、フットボルのことだけを考えられるフィリアルに戻りたいもんだと言っていた。彼は本当にフットボルのことが好きなんだ」

そして。「決して明かされることのない秘密も幾つかあるよ。でもロッカールームで特にインパクトのあった事の話をしてみよう。おそらく、ペップは怒っていたんだ。私たちは話をしていて、苦労をしたなあ、疲れていたよなあというところから、話題が審判へと向いた。するとペップは全員を集めてね。”キミらが疲れを感じ、人生は難しいと考えているときに、1人のチームメイトが内なる怪物と試合を行っているのに気付いているんかな?そう、私たちは疲れている。言い訳はある。けれども優先すべきこともある。私たちは健康であり、アビは私たち全員に1つの手本を示してくれたんや”と言ったよ。ペップは偉大なモチベーターだと言われる。けれどもモチベーションは毎日のプロフェッショナリズム、誠実さでもたらされるものだ。ペップは私に言ったよ。”マネル、私たちは彼ら(記者)を欺いてはいけない。彼らは私たちを叩くチャンスを狙ってくる。そしてそうなった時、私たちは潰されてしまうんや」

インタビュアーさんは問います。ペップは消耗によって去るのでしょうか?エスティアルテの答えはこうです。「4年が経過したからね。ペップは私に言ったよ。”疲れを感じている以上に、私は来年も多くを与えられるやろうけれど、全ては無理やということを知っているんや。私はそれでは、彼ら(選手たち)や自分、クラブを裏切ることになると感じている。自分がなにか唯一のものを残すことは分かってる。何故なら私たちは、また勝利していくやろうからね”」

結局長くなってしまいました。インタビューはまだ続きがあるのですが、そちらはまた機会があればということで。。。

 

◇ベナイジェス 「アルバが戻ってくれば最高に嬉しい」

では本日最後は、バルサ復帰が既定路線となっているジョルディ・アルバに関してです。ご存知のとおり、アルバはバルサのカンテラ育ち。1998年に9歳で下部チームに入団し、2005年にUDコルネジャへと移籍しています。イニエスタやメッシを育て上げた、あのアルベール・ベナイジェスさんも若きアルバを知るひとりでして、COMラジオの番組内で、こんなふうにかつての教え子についてコメントをしています。「もし彼がバルサに戻ってくるのであれば、私の人生の中でも一二を争う嬉しいニュースやね。彼がクラブを出たときには、いくつもの議論がなされたもんだ。私は出て行く必要はないとバックアップしていたよ。彼の問題は、子供から男への変化が他よりも遅かったことだ」

当時のアルバについて、ベナイジェスさんはこう振り返っています。「最初に彼のプレーを見た日、私は彼の年齢が信じられなかった。彼の母親には、本当のことを教えてくれとも言ったほどだ。周りの選手よりずっと小さかったから、実年齢のように見えなかったんだよ。彼は左エストレーモでプレーをしていた。その当時に彼がスペイン代表の左ラテラルになると言われていたら、それはないと言っていたやろう。彼はアタッカーで、かなりのゴレアドールやった」

 

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