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メッシ 10周年

世界NO.1選手の公式戦デビューから10年。

今日10月16日はバルセロニスタにとって、特別な意味をもった日です。FCバルセロナが世界に誇るギガクラック、リオネル・メッシがバルサでの公式戦初出場を果たしてから、今日でちょうど10年。おお遂にあの期待の少年が公式デビューか、と楽しみにしていたことを思い出すとともに、あれからもう10年が経ったのかと月並みながら思うわけです。超新星だとの評判はあったものの、まさかフットボル史上最高とまでいわれる選手にまで成長しようとは。その記念すべきデビュー戦は2004年10月16日のモンジュイックでのデルビー(0-1)。82分、デコ(決勝ゴールの主)との交代での出場でした。

361ゴール、バロンデオロ4連覇・・・

メッシのこの10年間は数々の栄光に彩られてきました。バルサが太陽王ロナウジーニョの時代を経てペップ黄金期へと入っていく流れの中に、このクラックの爆発が重なったのはまさに幸運でした。チャビ&イニエスタなる稀代のセントロカンピスタを仲間に得たメッシは悪魔的破壊力でゴールを量産し(公式戦361ゴール)、バロンデオロを4連覇。2006年のパリ決勝は怪我で出場できなかったものの、3度のチャンピオンズ制覇の原動力になりました。メッシ以前のバルサはリーガ優勝16回で、彼のデビュー以後は10年で6回優勝なる数字も、メッシの影響力を表しています。

初ゴールには意外と時間がかかっていて、デビューから半年以上が経過した5月1日のアルバセテ戦ロナウジーニョからの浮き球アシストを受けてのゴール(バセリーナ!)をマテウ・ラオス審判がオフサイドと判定したことで無効になったところ、その直後に全く同じようなゴールを再度決め、今度は認められたという得点でした。

バルセロナダービーにてデコと交代で

公式デビュー戦となったエスパニョール戦のことも思い出してみましょう。まず、このシーズンの序盤はエスパニョールの調子が良く、デルビー前の時点で彼らはリーガの5位につけていました。対するバルサもそこまでの6試合を5勝1分で乗り切り(もちろん首位)、6年ぶりのリーガ優勝へと向けて一直線。久々に熱いデルビーが帰ってきた!とバルセロナの街(特にペリコファン)は盛り上がっていました。当時のサンチェス・リブレ会長による、「もし我々が勝っても、欠場者を言い訳にしないでほしいね」のコメントは、ペリコの今回はいけるぞ、というムードを現しています。

実際、この試合のバルサはやり繰りが難しい状況でした。10月恒例のFIFAウィークによって主力は少々疲れていましたし、ジョルケラ、ガブリ、シルビーニョ、モッタ、エジミルソン、ジェラール、ジュリーと多くの負傷者を抱えてもいた。ベンチを埋める選手が足りなかったことでカンテラーノに頼ったフランク・ライカーが招集したのがメッシを始め、ダミアー、クリスティアン、ペーニャら若者たちで、一番の注目はもちろん、オポルトとマルセイユの親善試合に出場していた17歳のレオでした。

さて試合はペリコたちの期待も空しく、アスルグラナの勝利で終わります(0-1)。勝負を決めたのは開始わずか8分のデコの一撃。相手デフェンサに当たってコースが変わり、その後にゴールへと吸い込まれる、デコ得意の必殺のシュートによる得点でした^^

そしてレオ・メッシは82分、その殊勲のデコと交代でピッチに入ります。この時の背番号は「30」。MUNDO DEPORTIVO紙によりますと、アイドルであるデコの「20」とロナウジーニョの「10」に敬意を表してのこの番号なんだそうです。17歳と3ヶ月22日での出場は、パウリーノ・アルカンタラに次いでバルサ史上2番目の若さでの公式戦デビューでした。

デコ 「チーム全員が待ち望んでいたデビュー」

10月15日のMD紙電子版には、そのデコによるコラムが掲載されています。歴史的瞬間の関係者本人による回想ですから、なかなかに興味深いものとなっています。

レオ・メッシがクラックになるのは、当時のスカッドの全員がハッキリと感じていたことだった。トレーニングでの姿を一目見るだけで、レオが並みではない才能を持っていることは分かった。その無邪気で内気な少年がダイアモンドの原石であることを、僕らは知っていたんだ。だから僕は、彼のトップチームデビューをものすごく楽しみにしていたことを覚えている

人生における偶然で、僕は唯一の選手であるレオと交代する特権を授かった(今はそう断言できる)。彼はクラックであり、僕の友人だ。そのことは夏にあったオポルトでの僕の引退記念試合に彼がいたことが示している。2004年10月16日のモンジュイックでのあの交代の瞬間、僕はメッシに特別なことは何も言わなかった。僕らは試合の前にすでに意見を交換していたし、彼が神経質になっていないのを見ていたのがその理由だ。彼のデビューの瞬間を、僕らはほとんど彼と同じくらいに待ち望んでいた。あれが彼にとって特別な日だったのを僕は覚えているけれど、僕ら全員にとってもまた特別な日だったんだ。僕は彼の公式戦初ゴールのこともよく覚えている。あれはカンプノウでのアルバセテ戦で、ロニーのアシストによるものだった。彼が僕らに与えてくれたたくさんの喜びの第一弾。そしてそれは今も続いている」

当時のメッシ宅、今は大学生4人が生活

MD紙には他にも、ほほう、という記事があります。それはデビュー当時のレオ・メッシが住んでいたアパートに関するもので、10年前に彼が住んでいた部屋の現在の住人さんを訪問してみました、というものです。

ミニエスタディの附属グラウンドでレオ少年のプレーを見たチャーリー・レシャックが獲得を即決し、“紙ナプキンの契約書”によってバルサ入団が決まって以降、レオと父ホルヘさんはカンプノウ近くのアパートで生活を始めます。カンプノウまで徒歩5分ほどの距離にある、Gran Via de Carlos III通り53番地のアパートの5階(4部屋、120平米)。Francesc Mitjans とともにカンプノウを設計した Josep Soteras によるデザインで、1970年代の建物だそうです。

ここに当時から住んでいる、ある住人さん曰く、「とても内気な少年で、玄関でピパス(ヒマワリの種)を食べているのをよく見かけたよ」「無名だった頃もトップデビューして名が知られてからも、彼との関係は変わることがなかった」とのこと。控えめで決して驕らず、はメッシが語られる際はいつも目にする言葉ですなぁ。

レオと父上が暮らしていた部屋は現在、4人の男子大学生が借りているそうです。自分たちの部屋にかつてはメッシが住んでいたことは、大家さんから教えられている模様。ちなみにバルサがメッシ家用に借りていた時の家賃はひと月1,147ユーロだったのですが、経済危機で不動産バブルも弾けた今は、950ユーロだそうです。1人あたり237.5ユーロ(32,000円ほど)でカンプノウ至近、かつ以前のメッシの住居。ええなぁ。

 

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