ずっと夢だったバルサでのプレーが実現し。
恐怖の南米トリデンテの一角として、今シーズンここまで公式戦21ゴールをあげているルイス・スアレス。FIFAの制裁によって10月末まで出場停止でかつ、今年がバルサ初年度だったことを考えると、その早い適応力とゴール前での決定力の高さに驚かされます。先日のヘタフェ戦での2ゴールも、どちらもゴラッソでした。さらに得点を決めるだけでなく、常にライン裏を狙って動き回り、守備で走ることも厭わない。すばらしいの一言です。スアレスがこれだけバルサ流に馴染んでいるのは、彼が持つ資質に加え、彼のバルセロナへの愛情が大きく物を言っているのは間違いない。バルサ入団前から、このカタルーニャクラブに関するエピソードには事欠かない彼ですから。
ロニーモデルのスパイクを履いていた
ウルグアイのテレビ局Canal 10による番組内でルイス・スアレスは、バルサ入団がまだ夢のまた夢だった時代のことについて説明をしています(欧州に渡る前のエピソードはこちら)。妻のソフィア・バルビさんがバルセロナの隣町ロスピタレに住んでいたことで、ルイシートは機会を見つけてはカタルーニャを訪れ、カンプノウでバルサ戦を観戦。あの伝説的5-0クラシコもスタジアムで見たという彼、当時(16歳頃)はライカーバルサのロナウジーニョの大ファンだったそうで、「同じシューズを履いていた」のだそうです。
そこからスアレスは、「常にプレーすることを夢見ていたチームでプレーする夢を叶えるために、すべての段階をクリアして」きました。そして今はルーチョチームには欠かせぬ選手として、クレからも厚い支持を得ている。ウルグアイのクラックにとってはバルセロナでのプレーすることの意味はどういうものか。彼は言います。「僕は外野からこのチームの試合を見て、楽しんできた。それが今はピッチの中から見ているなんて、以前は信じてなかったよ。僕はそれを褒美のようなものだと解釈したし、バルセロナへ来るためにしてきた努力をより評価する理由となってる」
対等なスターたち
ムンディアルで起こした噛みつき事件によって4ヶ月出場停止という特殊極まる状況下でバルサへと移籍したルイス・スアレス。ナーバスだったであろう彼を、チームは諸手を広げて受け入れました。「歓迎は驚くほどだったよ。何人かの選手たちとは対戦して顔見知りだったけど、並外れた扱いを受けたんだ」
イニエスタは「代理人が同じだった」ことで、アルゼンチン人選手たちとは「マテ茶」が仲を取り持ったことで、入団当初からすぐ良い関係になれたとルイス・スアレスは言います。「レオとは最初の瞬間からとても馬が合ったね。チームメイトたちのことは誰一人として悪く言うことはできない。彼らがスター選手だとみんな言っていたし、僕は常々星は天にあるものだと言ってきたけど、このロッカールームでは全員がチームメイトであり、全員が対等なんだ。付き合いの大小はあるけど、誰もが対等だよ」
ただ、コパアメリカ2011の準々決勝でアルゼンチンとウルグアイが対戦した時の出来事の関係で、ハビエル・マスチェラーノとスアレスは最初はちょっとばかり気まずかったりもしたようです。「マスチェラーノとの間には、コパアメリカの件でちょっと問題があったからね。僕が彼の退場を引き起こしたとして、彼は僕を非難していたから。でもそれは有名なアルゼンチン対ウルグアイのクラシコのなせる業だし、ピッチに置いてきたことさ。今、僕らはお互いを理解し合い、団結していってる」
ということで着実にバルサの一員となっているルイス・スアレスですが、ひとつ納得のいかない出来事があったのだと明かしてもいます。それはトレーニングに遅刻したとの理由で課せられた罰金のことです。「僕らはトレーニング開始の1時間前に到着してないといけないんだけど、その日僕は10時1分着になったんだ。シウター・エスポルティーバには時間前に着いてたのに、打刻する前に体重を量らないといけなくてね。それでロッカールームに入って測定の前に着替えをしていたら、時計が10時1分になって罰金を命じられた。1分のために罰金かよ、と僕は腹を立ててるんだ。今でもまだ、僕が払うべき罰金の書かれた紙が壁に張ってあるよ」。そこは5分早くやってこようぜ、ルイシート^^
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